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死ねない高齢者

最近のご老人の話題で多いのが年金だ。
年金の受給を65歳から75歳に遅らせると、受給額が10万円近く増えるとか。
世知辛いとはこのことよね。
ひたすら働いて子供も育てあげて、60歳過ぎてまともな働き口もなく、無理矢理勤めれば若い人に邪魔にされ、居場所もなく、かと言って家にいてもやることも無い。
大金持ちの麻生太郎とかいう長老様は「お前らいつまで生きるつもりなんだ」とぬかしたらしいが、そこまで言うなら役立たずの老後の人生をどうやって終えるべきか真剣に考えたことあんのかね。
幼い頃、姨捨山の話を読んで随分と考えさせられたことがあるが、これより酷いのが現代じゃないかと思う。
親をおぶって山中に置き去りにするという、強烈な罪悪感と責任を子が負うという責任の所在があるならまだしも、今や子が親の面倒を見るって死語みたいなもので、外国から来ている若者にその世話を任せたり、老夫婦ならまだやり過ごせるが、熟年離婚・老年離婚ってのもある。先立たれた方は誰にも助けを求められずに、都会の一軒家で孤独死するって、死すらも放置されるまでにこの国は荒んでしまった。
私の両親なんて一度離婚して晩年に再婚したのだが、母の方がどうしても父を受け入れられず、食事もろくに与えずに家から追い出し、道端で途方に暮れる父は警察に保護され、息子に電話がかかってきては引き取りに行くことがしばしば、最終的には老人ホームでひとり寂しく亡くなった。

視点を変えると、半世紀前のあんたらの若い頃の価値観で穏やかな老後があると思うなよ。
私の姉なんかは裕福な農家に嫁いでたった5年で、義理の親に対して、「あんたらがボケたら私は必ずあんたらを刺し殺します」とたんかを切って子供2人連れて家出してしまった。
当時20代だった私は、とても嘆かわしい話が身内で起きたもんだと、その当時の若かった姉の心境をあらためてインタビューしてみたいとも思う。

あと何年生きるかなんて重病患者でもない限り分かる訳がないし、突然死を突きつけられる恐怖って、この国の自殺者数の多さを物語っている証拠でもある訳で、我々はいつから金の計算をしながら死に向かわなければならなくなったのかね。
実は金のこと考えるって死にたくないってことでしょう。
全く向き合えてないのよ。
安心・安全・健康・長寿って戦後の国策としてやってきたんでしょうが。
死という問題を棚上げする代償について、思考力を失った老人ひとりひとりが結局は考えなければならないって、本当に世知辛いことよ。

眠るように亡くなった? 嘘嘘、生まれて80年も生き恥を晒して他人を貶めなければ成り立たない世の中よ。そう簡単に心臓は止まらんよ。

そもそも死というものは最終的に個人に突きつけられる禅問答のようなもので、これが金の話でカモフラージュするって、とてもとても貧しい国になったもんだ。
もともと豊かな国でもなんでもなかったんだろうけどね。

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