絵本のすすめ -大学院で絵本と向き合ってみることにした
現在、私は修士課程で最後の年(といっても修士は2年しかないのですが。)を過ごしていて、修論に向けた研究をしています。
研究の題材は絵本!ちびっこたちに混ざりながら図書館で借りて、毎日たくさんの絵本を手にとってよんでいます。建築学科の大学院生とは思えないようなかわいらしい日々を過ごしているのです。笑
そもそもなんで建築学生が絵本を研究しているのか。。
わたしは作り手として建築をつくることと同じくらい、あらゆる人に対していろいろな体験や発見を与えてくれる、豊かな感情を抱かせてくれる存在である建築が好きです。世の中に出された作品、メディアとして/芸術として、建築を考えるということが、私にとっての建築を好きな気持ちに正直でいられると思ったのです。
子どもの頃、絵本をよむことは自分以外の世界に出会うための冒険に似た行為だったように思います。そしてその経験は、わくわくする物語と見たことのないどこかの国の景色やかわいらしい動物たちなどの素敵な絵と合わせて心の中に残り続けていて、いまの私の根本の部分をつくるものになっているんじゃないかなと思うのです。心にある原風景、とでもよべばいいのでしょうか。子どもの時に絵本を通して初めて知った世界は今でも私たちに少なからず影響を与えないはずがありません。
私の母はディズニー映画が好きでほとんどの作品のVHSが我が家にあったので、私は幼い頃毎日のように今日のビデオを選んで見ていましたし、毎月届く海外の童話絵本を楽しみにしていました。
ベルが本を読みながら歌って歩いているあの街並みだったり、ピーターパンが針を回していたビッグベンの時計だったり、、わたしが建築や都市に興味を持ったのは、思い返せば小さい頃に見た自分の知らない世界中の素敵な風景とそこでのキャラクターたちの楽しそうな様子にその時から憧れを持ち続けていたからなんじゃないかと、最近になって感じるようになりました。
いま絵本を手にとってみると、そこには単純といってしまえばそれまでなのかもしれませんが、登場する動物たちがみんな譲り合う気持ちを持ったなんの歪みもない優しい世界があったり、イスを動かすと音がなるというただそれだけのことをいろいろな表現と切り口からこれでもかってくらい広げていたり、純真でユーモアのある世界が広がっています。それは社会化された生活に慣れて娯楽を知ってしまった私たちには馬鹿げていると感じられるかもしれませんが、そう思ってしまう事実がまた痛く胸に刺さってきます。こんな純粋で美しい世界があったのかと。かわいらしい絵と凝った構成で作られた芸術性の高いものを幼い時に手にしていたのにこんなにも覚えていないものかと。
この絵本に描かれている既成概念にとらわれない子どもの自由で豊かな感性は、建築を勉強する学生として、芸術に関心がある人間として、将来いつかは子どもを育てることになるであろう女性として、子どもと大人に片足ずつのせたどっちつかずの立場から大人の方にもう片足も踏み入れようとしている身として、感じ続けることの難しい、なんてことないけどすごく大切な感覚を教えてくれるような気がしました。
論文では、家具について、絵本でどう捉えられ、描き出されるのかということを探っていく予定です。
家や建物よりも身体的で、子供のときから馴染み深い家具は、ものをつくるときの捉え方の視点でもおもしろい内容が浮き上がってくるんじゃないかと思っています。
メディア論の分野を扱う研究室に所属してから、Instagramが私の日常に溶け込んでから、いろんな人がいろんなところでいつも気持ちを表したり批判をしたりするようになってから、、、とにかくここ数年の時代を生きて、メディアのことを考えずにはいられないと感じています。
インターネットの発達によって現代のメディア技術はどんどん進化を続けています。特にSNSによって誰もが受信者にも発信者にもなれる一方で、技術が高度化しすぎたことは利用者を限定したり、知らない間に情報が私たちの生活を操作することもあり得るのも事実ですし、そんな世の中で私は実態のないメディアに人々が支配されているような不気味な感覚を抱きます。
そんな今日でも、その手触りを感じながらページをめくり、人の手が触れるメディアが絵本なのではないでしょうか。
まだ文字もない、古代の壁画の時代から、私たち人間は絵でものごとを伝えていました。
子どもが読むものとして人の手から手に受け渡される絵本。メディアとしてもっとも原始的で、芸術的で、実態的な絵本。
絵本はきっと、いつでも手に取った人の心を自由にさせてくれるんじゃないかと思います。
今後、素敵な絵本たちを紹介していけたらと考えているので、どうぞお付き合いください◎
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