「がんばったらいける」と「がんばっても無理」の境界線
Sさんはメーカー系商社に勤める30代会社員。
6歳と3歳の子どもがいる女性です。
仕事を辞めようかどうか悩んでいると私のところへやってきました。
Sさんは遠くをぼんやり見ながら、私に語ってくれました。最初は、仕事の不満や楽観主義なご主人の話が中心でしたが、会話の中で何度も「仕事にこだわりはない、別に辞めてもいい」「部屋はきれいでないといけない。食事は手料理でないと健康によくない。」と何度も出てくるようになりました。私はこう言いました。
「子どもが食事でこぼすたびにあちこち拭いて回り、おもちゃで散らかすのを片づけて回る。家族には手料理を毎日作って。家事や育児はイヤではないけど、やり過ぎて疲れてしまいそうです。」
「Sさんは、家事や育児の話をするとき、『○○でないと』という枠にはまった言い方をされます。仕事やご主人、お子さんのことを話すときは、『こうでないと』という枠にはめる言い方をされないんです。家事や育児をしているとき、どんなことを感じますか?」
「家の中がしっちゃかめっちゃかになっていると、母親が家事をしている姿と重なり、『同じくらいキレイにしないと』と、しんどくても片付けをやりきろうとしてしまう。専業主婦の母親と同じレベルの家事や育児をこなそうとしています。」
「Sさんがやる家事や育児業が、専業主婦のお母様に追いつけない気がして、頑張り過ぎてしまうんですね。。。」
仕事を辞めたら、「がんばり過ぎ」から解放されるか?
Sさんの頑張り過ぎは、”何でも手作りする母親、掃除も手を抜かない、子どもは母親の手で育てる母親像”と”そこまでやりきれない自分”との間で苦しんだ結果、生じています。
ここからは仮説ですが、このまま仕事を辞めて、時間に余裕ができたとしたら、Sさんは頑張り過ぎて疲れてしまうことから解放されるでしょうか?
私は、解放されない気がしています。一時的にはラクになって、家事に専念し、お子さんと向き合って充実した日々を送れるかもしれません。しかし、何かの拍子で、例えば実の母親に「まだオムツが取れていないの?」などと指摘されるようなことがあったら、自分の育児に自信喪失し、過剰に無理な育児をしてしまうことでしょう。
Sさんが思う「がんばったらいける」は、「がんばっても無理」のレベルだった
今回話をしたSさんは、家事育児を専業主婦のレベルでやって、やりきれないのは、頑張りが足りないだけ、頑張ったらできると信じてやり続け、限界に達してしまいました。
張りすぎてしまう傾向がある人は、「まだいける」のすぐ隣に「もう無理」がいるのに、限界に達するまで気づきません。
どうやったら、「もう無理」の手前でブレーキを掛けられるのか。それは、自分の限界を設定することです。
「虫歯になるから、歯を磨く」という理屈と同じです。
口内健康のための歯磨きですが、定着したらなぜ「歯を磨くか」など深く考えず、口の中がスッキリするから磨きますね。
限界を超えてやり過ぎて、身体の不調を起こさないために、”無条件で止める自分だけのタイミング”を定義しましょう。
そして、一番大事なのは、限界設定したタイミングを日常に取り入れて、実践することです。
Sさんも同じように限界設定をしてみたところ、「毎朝、掃除機をかけてから会社にいく」を、「火と木だけ掃除機をかける、ハンディクリーナーを活用する」としました。
「家事から解放されてもいいんですよ。それは手抜きじゃないんです。」
Sさんは私の言葉を聞いて、静かにうなずきました。《家事や育児は人に頼っていいし、代行できる部分が大半》という理解に置き換わっていくにはまだ時間がかかりそうなSさんですが、限界設定したことで、Sさんの”完璧な主婦像”が変わっていく足がかりになるよう引き続き伴走していきます。