雪原の桜(4)
綾野 2
穂村の話が一段落したあと、少しためらいはあったが綾野はひょんなことから手に入れた拳銃の扱いについて相談することにした。
説明するよりも実物を見せた方が早いと思い、紙袋から慎重に取り出してテーブルの上にゴトンと置く。それは、俗にリボルバー式と呼ばれるものだろうか、六発の弾が装填出来る回転体の付いた一丁の拳銃であった。さらに袋の奥には、ご丁寧にチョコレートの箱にカモフラージュして入れられた十数発の弾までついている。穂村はチキンを頬張りながら、その咀嚼をやめることなく「なんだよそれ?」と怪訝な表情で訊ねてくる。
「多分だけどさ、これ本物の拳銃だと思うんだよね」綾野が銃を手に入れた経緯を話そうとすると、テレビからタイミングよくニュースが流れてきた。
『本日、新宿歌舞伎町の雑居ビルで殺人事件が起きた模様です。今日午後七時ごろ、会員制クラブ『ブルーバタフライ』の店内で、指定暴力団工藤組の幹部金山龍一、四十七歳が突然店内に入ってきた何者かに銃撃されました。その後、病院へと搬送されましたが、間もなく死亡が確認。発砲した男はサンタクロースの格好をしており、そのまま逃走。周辺を巡回していた警察官が追いましたが、逃げられたということです。警察は暴力団同士の抗争だとして、男の行方を追うとともに、さらに調べをすすめる方針です』
「ほら、これこれ!」と綾野がテレビを指差すと「さっきの騒ぎはこういうことだったのか……」と穂村の表情も次第に真剣なものに変わっていく。
「あれ? これなんだろう……」
話を聞きながら袋をいじくっていた穂村が紙袋の中敷きの裏にSDカードが貼付けられているのを見つけた。
パソコンを立ち上げてカードリーダで読み取ってみると、色んな人の本籍地や現住所、過去の犯罪歴や職歴など、どういう法則かよく分からないたくさんの個人情報が流れてきた。何かの顧客情報だろうか? 拳銃と一緒に入っているからには、覚せい剤や大麻などのドラッグの顧客リストだったりするのかもしれない。
「これは俺が調べといてみるよ」
システムエンジニアをやっている穂村が自分のポケットへ入れる。それよりも今はこの拳銃の使い道だ。
「穂村、今の俺にはいくつか選択肢があると思うんだよね」
「選択肢? ほおほお」
「まず一つ目、この銃をそのまま警察に持って行って、事情を説明する。まあ一番現実的というか、普通の常識的な行動だよね」
「まあそうだな。善良なる一般市民だったら大概そうするだろうな」
「しかしそうなるとだな、俺自身が銃の不法所持の疑いをかけられたり、長い取り調べを受けたりとか面倒くさい展開になるかもしれないじゃん?」
「うーん、どうだろ? 確かに『拳銃拾ったんで届けに来ましたー』『了解っす。お疲れっしたー』って訳にはいかんだろうな」
「そこで二つ目の選択肢。そういう諸々が面倒なら、指紋をちゃんと拭き取って足がつかないように処置を施してから、海か山に捨てに行く」
「なるほど、とにかくこんな物騒なものは早く目の前から消してしまおうってことだな。旅行がてら、明日中央線に乗って山梨あたりまで捨てに行くってのも悪くない」
「だよねー。だけどそんな風に考えていると俺の中のリトルアヤノが『もったいない。捨てるなんてもったいないよ』って語りかけてくるのだよ」
「えっ? リトルホンダ的なやつだ。綾野の中にもいたんだ」
「そう。そこで最後の選択肢。これを……この拳銃を何かしらに活用する。この場合は、どう活用するか色々と方法を考えないといけないんだけどさ、なんだろうな、そう考えると正直ワクワクしちゃう俺がいるんだよなー。……穂村はどう思う?」
しばらく、何か考え込むように黙っていた穂村が、突然おかしなことを話し始めた。
「綾野は知ってる? ネアンデルタール人じゃなくて、ホモサピエンスだけが進化の歴史上で生き残った理由」
「え? 全然知らない。考えたこともないよ。知能指数の違いとかじゃないの?」
「いや、実はそうじゃないんだ。ネアンデルタール人ってのはさ、体格は今でいうプロレスラーみたいに筋肉隆々のマッチョだったんだ。その上、脳の容量も俺たちホモサピエンスと変わらない。つまり知能は同等で、身体能力はホモサピエンスよりも上。そしたら何となくネアンデルタール人の方が生き残ってもよさそうなもんだよね。だけど現実はそうならなかった。その命運を分けたのは飛び道具だっていう説が有力なんだ」
「飛び道具……どういうこと?」
「さっき言ったようにネアンデルタール人は力が強いから、牛や鹿のような獲物を狙うとき、こん棒でぶん殴ったり槍をぶっ刺したり、割と力ずくでやってたらしいんだ。対してホモサピエンスは体がそんなに大きくないから近接戦闘は分が悪い。同じように槍を使うにしても近付いて突き刺すという方法よりも、獲物との距離を十分に取ってから槍を投げて仕留めるという方法を選んだ。いや、選んだというよりも、そうでもしないと大きな獲物を捕まえることが出来なかったんだろうな。しかし当然、近付いてぶん殴る方法に比べたら獲物をゲットできる確率は格段に落ちる。だから彼らはものすごく努力したんじゃないかと俺は思うよ」
「そうだろうな。それでそれで?」
「うん、ホモサピエンスが飛び道具を使って命中率を上げていくうちに、これまで見逃していたすばしっこい小動物、ウサギとか鳥類、魚なんかも捕らえられるようになっていった。その間も、ネアンデルタール人は自分たちの肉体的な強さに依存したままで、道具作りをブラッシュアップしなかったんだよ。相変わらず動きが遅い動物しか狩りをすることが出来ない。ホモサピエンスは槍から弓矢など、飛び道具を進化させて革新的な狩猟方法を確立して対象となる獲物の種類を増やしていった」
「なるほど、強ければいいって訳ではないんだな」
「そうなんだ。だけど両者の命運を分けたのはそれだけが理由じゃない。我々の祖先ホモサピエンスは、今度はその飛び道具を使って人民を統制する術を学んだ。生活していく上で、群れが大きければ大きいほど一個体の『死』のリスクは低くなっていく。ヒトは飛び道具を獲物ではなく同じヒトに向け、恐怖心をあおることによって、大きな集団を作ることに成功したんだ。集団が大きくなると人と人とのコミュニケーションが活発になる。それは投擲具の作り方、使い方はもちろん、色んな物作りの工夫や知恵が爆発的に広まっていくことを意味する。ナレッジの共有化、それは新しいテクノロジーの共有化でもあった。そういう知恵が種の全体に行き渡ったからこそ、その後の地球の環境の変化に対応することが出来たんだ」
穂村はそこまで一気にまくし立てた後、手に持っていた缶ビールをあおった。そして最後にゆっくりと結論付けた。
「つまりだな、進化の過程では強いものが生き残ったわけじゃない、変化に対応できた種だけが生き残ることが出来たんだよ」
話の真意を汲み取れない綾野がふと窓外に目を遣ると、雪がチラついているのが見えた。テレビからは聴き飽きたものから初めて耳にするものまで、様々なアーティストのクリスマスソングが流れてくる。『あなたが選ぶクリスマスソング第一位は?』という企画らしい。
俺の一位はなんだろう? 山下達郎や稲垣潤一、ユーミンあたりがとりあえず頭に浮かぶのは、そういう世代だからだろうか。しかし、それらの曲にも特別な思い入れはない。大体みんなクリスマスに期待しすぎ、美化しすぎなんだよな。そんなもん、ただの365分の1日だと思っていれば何も無いことが当たり前なのに。
「俺が思ったのはさ、綾野は進化の道具を手に入れたのかもしれないってことだよ」
穂村の言葉にふと現実に帰る。
「進化の道具……?」
「そう、銃は個人で扱えるものとしては、飛び道具史上最もすぐれたものだ」
「そうか、拳銃も飛び道具って訳だ」
「だが、今の日本ではそれは持っているだけで当たり前に犯罪だ。だからあくまで一般論でアドバイスするなら、即刻手放すべきだとは思う。選択肢の一つ目か二つ目だな」
「まあ、そりゃそうだ。だけどそこでリトルホムラが何か囁きかけてこないか?」
「そんなもんは俺は飼ってねーよ。でも個人的な思いとして捨てたくないよな。何かのときにどんな役に立つか分からない。俺自身が使わせてもらいたいときが来るかもしれない。俺たちのこのつまらない生活を劇的に変化させてくれそうな、そんな高揚感すら予期させる。そういう意味ではやっぱりこの稀な機会を捨てるのは惜しいよな」
「だよなー。やっぱ惜しいよなー。だけど……お前が使いたい時ってなんだよ。銃をぶっ放したい相手でもいるのかよ」
「うん? うーん……。あるいはそういうことかな。でもさ、持ってたら綾野の助けになるかもしれないし、ほかの誰かの助けになるかもしれない」
結局、明日福岡へ行くことだけを決めて、穂村は帰ってしまった。どうしたらいいのか分からないまま、綾野は拳銃を片手にベランダへ出て、西新宿のビル群を眺めた。ただでさえ考えることが多い人生なのに、さらに考えないといけないことが、今日は一気に二つも増えてしまった。
綾野は中堅規模の映像制作会社で派遣社員として働いている。最近ではテレビの仕事はめっきり減ってきて、インターネットやスマートフォン向けに配信する動画制作が増えている。綾野の主な仕事は、音入れやテロップ入れなどの編集作業である。動画用の編集ソフトさえ使えれば、誰にだってできる簡単な仕事だ。朝九時には出社し、十八時までが定時ということになっているが、そんな時間に帰れることなど、まずありえない。早くても二十時、遅ければ終電まで残業というのが当たり前の世界だ。仕事が終わって、暗い部屋へ帰ってくると、テレビをつけて深夜番組を見ながら発泡酒を一缶飲み切るあたりで、大体寝なければいけない時間になってしまう。そして翌日もまた同じ一日の繰り返し。
そんな生活をもう七年近くも続けている。当初いつでも辞めることのできる派遣社員という就業形態を選んだのは、もう一度、自分の手で映像制作会社を作ろうと思っていたからだ。
綾野には過去に、起業に失敗した苦い経験があった。若い勢いだけで作ったその会社は一度も軌道に乗ることなく、二年と持たずに倒産した。作った作品はそれなりに評価を受けてはいたのだが、経営の実務をまったく知らない人間に、社会はそんなに甘くなかった。
それでも、もう一度やってみようと思ったのは、志半ばにしてこの世を去った麻奈美の遺志を継ぎたかったから――と言ったら、少し格好つけすぎだろうか。
しかし、前の会社で作った借金の返済は思うように減っていかなかった。借金を完済できたら、ある程度の資金が貯まったら……そう自分に言い訳をしながら先送りにしていたのだが、数年経っても上手く進まない現実に、次第にやる気が削がれていった。
やるなら何度潰されてもチャレンジする、やらないなら自分の能力を過信せず、分相応の職に就く。そういう選択をしておけばよかったのだろう。しかし、三十代後半になってしまった男には、もう後戻りをする道は残されていなかった。派遣社員としても派遣切りにあわないように残業でも休日出勤でも何でもして、必死にしがみついてきた結果が今の生活だ。
ところが皮肉なもので、生きる意味を見失っている俺はまだまだ死ぬ気配もなく、生きたかったはずの穂村は間もなくその短い一生を終えてしまう。変われるものならいつでも変わってあげたい。ただ、穂村もこんなつまらない人生を押し付けられるくらいなら、生きることを引き換えにしても変わりたくないかもしれないが。
右手に持った銃を見つめる。雪は勢いを増している。この銃が俺か、俺以外の誰かを助けてくれるきっかけになるのだろうか。人類が飛び道具を得たことで革新的な進化を遂げたように、俺の人生における変革のきっかけとなってくれるのだろうか。空に銃口を向け、両手でしっかりと握りしめる。色んな願いを込めて、宙に向かって引き金を引いた。
夜空に乾いた銃声が鳴り響く。空から舞い散る雪が火照った顔に当たって気持ちがいい。どこかでカァーともギャーともつかないような声でカラスが鳴いた。
隣のベランダから、ドスンと何かが落ちるような音が聞こえた。見ると、女だった。涙を流すその女の目を覗き込む。どうやら考えなければならないことが、もう一つ増えたようだ。
眼下を走る甲州街道では、事故でも起こったのか、クラクションがけたたましく鳴り響いていた。
(つづく)
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