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雪原の桜(2)

綾野1


 待ち合わせの場所は歌舞伎町の入り口となる、ドンキホーテ前の角であった。ジングルベルが鳴り響く街は浮わついたカップルで賑わっている。今年はクリスマスイブが金曜日だということで、例年よりも一層人出が多いのだろう。そう思いながら、独身で恋人のいないは、同じく寂しいバツイチ独身の男友達、穂村の到着を待っていた。

 穂村は綾野の大学時代の同級生だ。この二人に竹本を合わせた三人が学生時代から三十八歳となったいまでも、親友として仲良くやっている。穂村は今年の始めに離婚したとはいえ、一度結婚をして、元妻との間には女の子がいる。竹本は今は九州の田舎へ帰ってしまったが、やはり結婚して奥さんとの間に男の子がいる。綾野はよく「俺だけがダメ人間だから結婚できないんだよな」などとおどけて言ったが、綾野が結婚、というよりも恋愛そのものを出来ない理由を二人は分かっており、その手の話になると場の空気は沈んでしまう。綾野がルックス的、性格的に女性に相手にされないというわけではない。付き合う相手に高望みをしているわけでもない。
 かつて付き合っていた女性が自殺したという苦い過去を持つ綾野は、その事件がトラウマとなって付き合う女性に深入りできなくなっているのだ。この人は麻奈美じゃない、あの頃みたいに子供じゃないんだ、と頭では分かっていても、自分が好きになればなるほど相手への負担が大きくなって、それがやがて死にたくなるほどの悲しみや苦しみに変わっていくんじゃないか。そう考えてしまうと相手への気持ちが膨らむ前に自分から別れを選んでしまう。
 穂村や竹本が「綾野のせいじゃないよ」「麻奈美も色々考えた末の決断だったんだよ」となぐさめてくれたのはありがたかったし、今でも感謝している。もう十八年も前の話だ。いいかげん引きずっていても前へ進めないと自分でも分かっているのだが。

 カップルのほかにも居酒屋やいかがわしいお店の客引き、テンションがあがって大声で叫ぶサラリーマンのグループ、地味なOL風の女性グループ、それとは対照的にこれから出勤であろう華やかな格好をした水商売の女性などなど、本当に歌舞伎町には色んな人種が歩いている。みな、眠らない街、歌舞伎町のネオンにそれぞれの欲望を求めているのだ。

 そんな人の流れを何となく眺めていたら一人の男が全速力でこちらの方へ走ってきているのが見えた。人ごみの中を流れに逆らっているから、そこら中からちょっとした悲鳴や怒号が聞こえてくる。しかし違和感はそれだけではない。その男はサンタクロースの格好をしているのだ。綾野が「なんだ?」と訝しげに眺めていると、その後ろから制服姿の警官が二人追いかけているのが見えた。何か盗んで逃げているのだろうか?
 そのうち逃げているサンタクロースの姿がぐんぐん大きくなり、綾野の方へと迫ってくる。男はそのコミカルなルックスとは裏腹に、目を血走らせて「うらー! どけごらぁぁあ!!」などと物騒な物言いで叫んでいる。逃げないと……頭では分かっているのだが、興味の方が勝ってつい目で追ってしまう。すると一瞬、サンタと目が合った。やばい! とっさに身を翻して靖国通りの方へ体を戻したとき、丁度角を曲がってきたサンタが綾野へ体当たりをするようにぶつかってきた。「悪いな」と合掌のポーズを作ったサンタは、そのまま靖国通り沿いを花園神社方面へと走り去っていった。さらに数秒遅れて二人の警官も追いかけていく。

 騒動が過ぎ去ると、街は一瞬で元の喧噪を取り戻す。東京では誰もが無関心、というのは正しいようで正しくない。普通でないことが日常的に起こる都会に暮らしていると、ちょっとした出来事にいちいち反応していたらキリがないのだ。だから無関心なのではなく、馴れてしまったと言い換えてもいい。
 ほっと一息ついたら、目の前に穂村が立っていた。どうやら、先ほどの騒動でこちらには近付けなかったらしい。「今のなんだったの?」と聞く穂村に対し「なんだろう、なんか犯罪者が追っかけられてたんじゃない?」と軽く返して歩き出そうとした時、綾野は、自分がさっきまでは持っていなかった紙袋を手にしていることに気がついた。赤と黄色のタータンチェックの柄が独特のあの百貨店のものだ。……なんだ、これ。あ、さっきサンタとぶつかったときに……。嫌な予感を抱きながら、ちらと中を覗くと、拳銃らしきものが入っている。
 背中がざわつき、顔面蒼白のまま動けなくなってしまった綾野に、穂村が振り返って促す。
「綾野、どうした? 行くよ」
「あ、ああ、ごめん、行こう行こう」
 歌舞伎町の奥へ向かって歩き出すが、綾野の頭の中で紙袋の中身と、ぶつかってきた男の顔がちらついてしょうがない。
 これまでの人生で一度も現れたことのなかったサンタさんは、どうやらとんでもないクリスマスプレゼントをくれたみたいだ。
 こんなものを持って、歌舞伎町をうろうろするなんて考えただけでぞっとする。
「穂村、今日はうちで飲もう。ちょっと緊急事態発生だ。静かな場所でお前に相談したいことがある」
 綾野が言うと、「なんだよ、緊急事態って」と怪訝な顔を見せた穂村だったが、「俺もちょっと綾野に話したいことがあったし」とその提案に同意してくれた。

 初台にある綾野のマンションで仕切り直すことにした二人は、一応クリスマスイブだということで、ケンタッキーのフライドチキン、シャンパン、缶ビールなどを調達して、部屋へと入った。
 まずはシャンパンで乾杯し、仕事や近況など当たり障りのない話題でお互いを牽制する。その後、ほどよく酒が入ったところで、穂村の方が先に切り出した。
「あの、綾野さ、ちょっとここからは、ちゃんと聞いてもらっていいかな?」
「え? うん、いいけど。なんだよ改まって」
「うん……。まあ……結論から言うとさ、俺もうすぐ死ぬらしいんだよ」
「……えっ、なんだよそれ。『らしい』ってなんだよ。全然意味分かんねえんだけど……占いで言われたとか、そういうこと? なになに、何の話だよ」
「ははは、落ち着けよ。いや、そういうあれじゃなくて、まあいわゆる末期がんってやつらしいんだな」
「まじかよ……」
「実は今年の初めにやった検査で分かって、それからここ一年、放射線治療を続けてたんだけどさ。やっぱダメだったよ」
「軽く言ってるけど、本当か? なんか全然死ぬ感じには見えないけどなあ……」
「だろ? 俺だっていまだに信じらんないんだよ。普通に酒だって飲めるし、メシも食える。簡単な運動だって問題ないのにさ……」
 自分自身の死に関することだというのに、淀みなく、時には笑顔さえ見せて語る穂村を見てると、本当に死ぬ寸前の病人のようには思えない。綾野がふと気付いたことを聞いてみる。
「あれ? 今年の頭ってことは、奈央さんとはまだ別れてない頃じゃん。お前、そのこと彼女にちゃんと言ったのかよ」
「いや……。ちょっと事情があってそれも言ってない。それに、離婚したのはこの病気のこととは関係なく、俺の浮気が原因だから……」
 あまりに淡々と話す穂村に怒りを覚えて、綾野の声も大きくなってしまう。
「お前さあ、本当は浮気なんてしてないだろ? なんでそんな変な嘘ついてまで離婚したんだよ。こうなったからには、本当は奈央さんと聖奈ちゃんに最後までちゃんと見送られて最期の時を迎えたいって思ってんじゃないのか? 俺には……俺にだけは本当のことを言ってくれよ」
 最後の方で声はしぼんでしまったが、そう言って離婚した真意を問いただすと、何かを逡巡しているような仕草を見せた穂村がゆっくりと口を開いた。
「……。そうだな。本当のことを言うと俺は浮気もしてないし、妻とも子供とも別れたくはなかった。ただ、これは、俺だけの問題じゃないんだ。俺と綾野、竹本の三人の問題なんだよ。そこに関係のないあいつらを巻き込みたくなかったんだ」
 突然話の中に自分の名前が出てきたことで、綾野の頭は混乱した。穂村が死ぬことと、穂村が離婚したこと。それが俺と竹本に一体何の関係があるというのだ。
「は? なんの話だよ、まったく心当たりがないんだけど……」
「だよな……。そうだ綾野、明日もあさってもどうせ暇だろ? 久しぶりに竹本の畑でも見に行かないか。詳しいことは三人で話したい。お前らと一緒に九州で過ごすことが出来るのも、これで最後だろうし……」
「この時期だと畑には、何にも育ってないんじゃないのか? まあだけど、どうせ暇だし、そういうことなら久しぶりに福岡行ってみるか。竹本とも結構会ってないしなあ」
 綾野が誘いに乗ると、穂村はほっとした表情になってから、寂しそうに言った。
「綾野、俺さ、あり得ないって分かってんだけど、頭のどこかで自分の人生が永遠に続くんじゃないかって、そんな気がしてたんだよ。毎日毎日働きに出て、家に帰ると奈央や聖奈が待っててくれて、ときどき綾野や竹本と飲みに行って、たまには風俗なんかにも行っちゃったりして……。そんな日々がいつまでも続くんじゃないかってさ。でも、永遠ってないんだよな。永遠に続くかのように見えることも、絶対にどこかで終わりが来るんだよな。俺の場合はそれが突然だったわけだけど……。もし本当に永遠に続いたものがあったとしたら、それは『永遠に続いた』わけではなくて、『たまたま終わらなかった』だけのことなんじゃないかってさ」

(つづく)

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