字を書く娘

四歳の娘は手紙を書くのが好きだ。手紙というか、文字が書けるようになって文章を書くのが楽しくてたまらないという感じか。

先日も夕ご飯の支度をしている私の周りをうろうろしていたかと思うと、急に机に向かいだし「はい!読んで!」と手紙を渡してきた。その渡された手紙がコレ。

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(…え~っと…。これ、まずどこから読むんだ???)とひとまず躊躇。

どんなに読めなくてもいきなり「これなんて書いてるの?」と本人に訊くのはタブーなのである。プライドがいたく傷つくらしい。それを知っているのでこちらも必死に読解を試みる。結局この手紙は娘に教えを乞うて読解したのだが

「あまたことならおしえてね おかあさんだいすき あずさより」

と書いてあった。らしい。(慌てて下に内容をメモってしまった)

何が難しいって、横書きとわかるのにスタートが二行目にあるというフェイント。そして一行飛ばして続きがあり、右下まで行きつくと、そこからは空きスペースに文字を放り込んでいくという自由形。最後には右から左に読ませるというトリッキーな構成と、ところどころ象形文字のようになっているフォントの切れ味がこれまたすごい。

なんとか文章が読めたところで次は「あまたことなら」って何?

…古文単語…なわけないよな…。あまたことなら?あまたことなら???たまらず娘に「あまたことならってナニ?」と訊くと、恥ずかしそうに私が切っていたキュウリを指さす。キュウリ?やっぱ古語やったんか?真意がわからずに考えていると、「あまったものがあったらちょうだいってこと!」と娘もしびれを切らして手紙の全容を明らかにしてくれた。そう、娘はキュウリが好きで、中でも調理中のものをつまみ食いするのが大好きなのだ!

私がキュウリを切っているのを見て、「ちょっとちょうだい」と1秒で済むおねだりをわざわざ手紙にしたためたのか…と思うと、その閃きも、自分の気持ちを文字に起こす労力も、手紙にしたいというパッションも…そのすべてがもうなんだか愛おしくてたまらなかった。

娘は手紙を書くと必ず「だいすき」と書く。「好き」の大安売りという気もするが、家族や友達、自分の周りにいる人は分け隔てなく皆「だいすき」というのは良いなと思う。自分が大切にされて嬉しい気持ち、一緒にいて楽しいと思う気持ちが「だいすき」という書きやすい言葉であることもまた良いなと思うのだ。「だいすき」が「ふぞれあ」とかだとなかなか書けないだろうから。

字を書きたい!手紙を書きたい!自分の思いを伝えたい!

こんなまっすぐな気持ちの結晶がさっきの手紙になるのだが、私は思わず文字や文章を書くルールを指摘してしまう。こんなに気持ちが先行した文章はめったに見られないのに、つまらない大人のルールを押し付けてしまう。ルールなんてまだ先でいいはずなのに。嫌だと言っても学校へ行けばルールや規則の毎日になるのに。私は自由の芽を早くも摘み取ってしまう。罪深いなと思う。誰も傷つけない、自分を危険にさらさない自由はもう少し大らかに見守っていきたい。

私がなんやかんや口出しするので娘は窮屈な思いをしているのではないだろうかと心配していると、「見て見て~」と一枚の絵を見せてくれた。

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娘が友達になりたい動物はライオンだそうだ。

えらい物騒な動物を選ぶな…と思ったが、鳴き声に愛嬌が感じられたので、これならうちに遊びに来ても私も仲良くできそうだと少し安心した。

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