コロナとの14日間戦争 ~陽性者生活編①~
7月6日(水)
夜。布団に横になるも頭が痛い。病院で貰ったカロナールを飲むも全く効く様子なし。しかし「カロナール」っていつ見ても小林製薬の薬かと思うようなそのネーミングがひっかかる。「痛みが軽くなる→かるなる→かるな~る→カロナール」なんかな?と思ってる。勝手に。
少しウトウトして23時ごろ。ウトウト前と打って変わって頭が無茶苦茶痛い。しかし片頭痛のマックスほどではない。片頭痛とは少し痛み方が違う。でも痛い。もっと内側が痛いというかなんというか…。そして腰から背中にかけてが痛い。今日事故に遭いましたっけ?のレベルで痛い。寝ていられない。身の置き所が無い。座ってる方がまだマシと思える。思えるから体を起こして座ってみるも、やっぱり痛い。頭、肩、背中、腰と痛い。どちらかというとどこも右側の方が痛い。そして気持ち悪い。吐きそうだ。痛みと吐き気で座っていてもじっとしていられない。騒がしい部屋に置かれたロックンフラワーのようにゆらゆらぐにゃぐにゃと体を揺らしてしまう。痛いのよ、とにかく、アタマが。そして吐きそう。。。何度目かの「あたまいたい~はきそう~」の後、嘔吐。二度の嘔吐で吐き気は治まる。熱を測る。36.8度。まじかよ。これでまだ熱が本気出してないのかよ…。36.8度でこんだけ辛かったら高熱出たら体どうなんの!?
コロナ経験者の夫が頭痛と体の痛みに理解を示してくれるのが救いだ。「痛いよな。でも治るから。頑張れよ。」と声をかけてくれる。
7月7日(木)
体が痛くてあまり眠れないまま、朝を迎えた。吐き気は無いがまだムカムカと気持ちが悪い。そして絶賛頭が痛い。頭が痛いと言うのに飽きるほど頭が痛い。腰と背中も痛い。食欲がない。ムカムカしているのだから当たり前なのだが、高熱が出ても食欲の落ちない夫にはここらへんが理解してもらいにくい。薬飲むためには何かを食べろと言う。わかってはいるのだが、頭が痛くて気持ち悪くて何も食べられそうにない。なんとかゼリー飲料ならと思って持ってきてもらうも、その甘みが異常に強く感じられ、飲み込めない。海水をゴクゴク飲めないように、ゼリー飲料を飲み込むことができない。どうしたんだこれは。夫は「食べられないなら入院だ。保健所に電話しよう」と、まるで子供に「薬飲まないなら病院で注射だよ」とでも言うかのように脅してくる。…うるせぇ。入院の方が気楽でいいわと思い「じゃあ電話お願い」と言うと、「もう少し様子見よう」。ズコー!!!本当に私のこと子供と勘違いしてんのか?なんなんだよもう。この頭の痛い時に。。。
なんとか卵豆腐を二口ばかり食べてカロナールを飲む。水も上手く嚥下できず、薬2錠飲むのに時間がかかった。薬を飲んだら少し痛みが遠のいたのか、すぐに2時間ほど眠ってしまった。次に目を覚ますと頭痛は弱くなっていた。吐き気が消えて今なら何でも食べられそうだ。さっき残した卵豆腐をぺろりと食べる。さっきのとは別のゼリー飲料もすぐ飲んだ。嚥下のしにくさはもう無い。水も飲める。この時点でも熱はまだ37.6度ほどだったと思う。体はしんどいのに熱がそれほど高くないという変な感じ。体の感覚と症状が見合っていないというか、脳と体が連動していない感じがする。首の下に氷を敷いて横になる。とにかく脳が熱ダメージでやられてしまわないように冷やしておこうという作戦だ。横になりながらプライムビデオで『はたらく細胞』を見る。現在進行形で闘病している時に見るととても元気が出る。私の中の白血球やキラーT細胞がウイルスを探し回って殺しまくっているのかと思うと心強い。とにかく白血球が!白血球がカッコいい!コロナに罹ると、痛み止めや咳止めなどの薬しか出してもらえないが、この『はたらく細胞』のDVDも一緒に配ってほしい。本当に勇気付けられる。自分の体の免疫機能を信じて戦うぞ!という強い気持ちになれる。私はこれで頑張れた。本当にありがとう。
『はたらく細胞』に大興奮の私だが、頭痛は依然続いており、うつらうつらと眠る。私が眠りの底に落ちている間に実家の母が食料を届けてくれ、大阪市の配食サービスも来てくれた。何かリビングの方が盛り上がっているなあと子供達の声を聞くともなしに聞く。そういえば吐き気が消えてお腹が空いている。冷たいお茶が美味しい。麦茶の味、わかる。美味しい。ぼーっとしていると夫がやって来て、「ご飯食べられそう?」と訊く。食べたいと答えると、しばらくするとミニうな丼がやって来た。息子の大好物の鰻。鰻屋さんの美味しいやつを母が買ってきてくれたようだ。息子はおかわりまでしてお腹いっぱい食べているらしい。「おいしい~!!!」の雄叫びがリビングから聞こえる。良かった、元気そうだ。
私もミニうな丼を食べ、まだお腹が空いていたのでパンを持ってきてもらう。母がパンも沢山買ってきてくれたとのことだったので、楽しみに待っていると、配食サービスの中にあったアンパンを持ってくる夫。…これじゃない。とは思ったものの、夫も万全の体調でない中色々と頑張ってくれているのだ。突っ返すのは申し訳ない。とりあえずどんなものか食べてみる。
美味しくない。
いやいや、サービスでやってもらってるものにケチつけてんじゃねーよ!と私自身強く思う。これは間違っている感想だとも思う。こんなわがままなこと思えるなんて、私は正真正銘の軽症だという証拠でもある。色々考えながら4分の3まで食べて、あとは残してしまった。ごめんなさい。
時間の経過とともに、頭痛が軽くなっていく。頭痛から解放されたからか体も軽く感じる。が、熱を測ると38.6度もある。やっぱり脳(感覚)と体の症状とにばらつきを感じる。昨夜あんなにしんどくて36度台で、今こんなに元気で39度近い。このちぐはぐさが怖い。カロナールの効きがイマイチ感じられないので、夫が処方してもらったロキソニンを飲んでみる。30分ほどウトウトしたのか、気が付いたら動きたくないぐらいの汗をかいている。髪の毛から汗が滴る。えいやっ!と起きてお風呂でサッと汗を流すも、後から後から汗が噴き出して、お風呂から出たところなのに早速一回着替えることになった。汗が落ち着くと、私はいつもの私になっていた。頭痛も腰の痛みも熱も消え、風邪っぽさやだるさも全くなかった。全てがゼロにリセットされてこの場所に戻された。そんな感じがした。体が痛くないというのは大事だな~天国だな~と思いながら久方ぶりの安眠を得た。
7月8日(金)
気持ちのいい睡眠は朝まで続いた。ふわふわのとろとろの気持ちいいまどろみを満喫していると夫が部屋にやって来て「娘が39度ある」と告げる。(あぁ、やはりきてしまったか…)と、やはりショックよりは納得といった感じ。そうこうしていると、娘が嘔吐したといって夫がてんやわんやの大騒ぎとなっている。楽園追放。私の休日はあっけなく終了した。一昨日の夜、これから私は惰眠を貪るぞ~神様のくれた休暇だ~‼と喜んだのに、丸1日で現場復帰となった。とりあえず検温。36.6度。頭痛、関節痛、喉の痛み、咳、全部なし。倦怠感もなし。さぁ生活の最前線へ急行だ!
1日ぶりに部屋のドアを開け、踏み出す。たった1日引きこもっていただけなのに、すでにリビングが懐かしい。早速娘の吐瀉物の後片付けをし、床の拭き掃除をする。夫が検査を受けた病院の先生に電話で現状を話すと、検査に連れてきなさいとのこと。息子はピンピンしているが一緒に検査に連れていく。みんなが出かけた隙に掃除と洗濯をする。もし今、娘が元気だったら、私は隔離部屋でだらーんと横になって、(まだちょっとしんどいなぁ)なんて思いながら『はたらく細胞』を見ていたことだろう。やるべきこと、守るべきものがあるというのはありがたい。私は一気にシャキッとし、ハウスキーパーとして働きだした。昨日あれほどしんどかったのがウソのようだ。
検査の結果、娘は予想通り陽性。息子は陰性だった。
子犬のように二人でじゃれ合ってずっとくっついているのに息子は陰性。体力オバケだとは常々思っていたが、本当にバケモノ級に体が強い。そしてこういう人達が意図せずして拡散してしまうんだろうなあとも思う。自宅待機という制度があって良かった。
ただし、病院の先生によると、今は陰性でも、この状況ではもう一両日中に陽性になる(=感染する)ので、みなし陽性として保健所に連絡するとのこと。「今日家に帰ったら、マスクを外して家でたくさん遊んで早く罹ってしまいなさい」と言われたという。もうこれで我が家において「うつすかも・うつるかも」の不安は一切なくなった。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」状態で、みんなで罹ってしまえば、気を遣うというストレスは無くなった。後は重症化しないように、のんびり休んでしっかり栄養補給をするしかない。
娘の熱は夜にかけてぐんぐん上がり、39.9度という凄まじい数値を見せたりもしたが、けいれんを起こすこともぐったりすることもなく、淡々と熱と戦っていた。一方私の体は夕方にかけてだるくなりはじめ、動きが鈍くなる。そりゃ昨日1日熱出して寝込んでたんだから1日で体力が戻るわけがない。そしてついでに、不正出血も起こった。次の生理までまだ1週間以上あるはずだ。少し不安になる。が、コロナにどこかしら攻撃されてしまったのだろう。大きな痛みもなく、出血も「?」と思う程度なので様子見だ。コロナにいちいち感情を揺さぶられてたのではキリがない。温かく見守ろう。
寝る時、急に右の耳下腺リンパ節がビキビキと痛みだす。これが続いたら眠れないぞ…と身構えた瞬間、痛みは消えた。いちいち揺さぶりをかけてくる野郎だ。温かく見守る。寝る。
7月9日(土)
今朝は少し体が重い。倦怠感再び。そりゃまあね、高熱後2日ですからね、しんどいよね。熱は37度ほど。少し高いか。娘の熱もまだ高い。夫も37.2度だったり36.8度だったりと安定しないラインをふらふらしている。息子は36.8度と今日も通常運転だ。
この頃の体の感覚を何と表現すればいいのか難しい。とても不謹慎な表現になってしまうのだが、空襲の後の焼け野原のような感じがすごくした。私自身戦争経験世代ではないし、戦争も空襲も資料映像やアニメーションやドラマのワンシーンでしか見たことないのだが、あの昨日まであったものが全部焼き払われて、全て形なく破壊されてしまった感じ、防空壕から出てきて、全部なくなった街を見ている感じ。ふわふわとした虚無感みたいなものが常に体を覆っていた。ちょっと何が起きたのかすぐに理解ができない。理解することを脳が拒んでいるという感じがした。体感と実際の症状がちぐはぐになるのも、そのせいではないかと勝手に思っている。「よし頑張って立て直そう!」と思うのだが、少しするとその途方もない瓦礫の量に気力が萎えてしまい、栄養失調のせいで力も出ず、結局成す術もなくその場に座り込んでしまう…その繰り返しであった。焦りは禁物だ。とにかくゆっくりゆっくり。じっくり修復していくしかない。無理は少しだけ。体が眠りたいと言えばすぐに横になる。10日間休んでいいって言われているのだから、この10日はとにかく療養最優先だ。
この日、久しぶりに便通があった。よくよく考えてみると、最後の便通は火曜日だったか。色々あってちゃんとカウントしていなかったが、結構途絶えていた。不正出血は止まった。昨夜の耳下腺リンパ節の痛みは、日中何度かあったが、夜になる頃にはすっかり止まっていた。腫れることもなく、さよならも言わずそっと去っていった。
7月10日(日)
今日は昨日と打って変わって体の調子が良い。軽い軽い。よせばいいのにちょっと調子がいいとすぐに張り切って動き回ってしまう。鼻が軽く詰まっている。風邪をひいた後のような、頭がゆるーいゼリーで包まれてしまっているようなぼわーんとした感じがある。味覚を感じないということはないのだが、匂いは少し感じにくくなってるように思う。鼻詰まりのせいか。そして味覚も、味を強く感じるような気がする。濃く感じるというか。
息子が昨夜、頭が痛い…と言っていたので、今朝高熱を覚悟したが、37.2度ほどで元気にゲームをしている。娘の熱がなかなか下がらず、まだ38度と37.4度を行ったり来たりしている。私は36.6度と熱に関しては優良児だ。ここまで一度も咳について言及していないが、私は今回咳が全く出なかった。痰を出すための、咳払いのようなものはあっても、連続して呼吸を苦しくするようなタイプの咳は出なかった。
お昼頃、実家の両親が支援物資を差し入れしてくれる。お寿司だ。全員すごい勢いでお寿司にかぶりつき、エビ狂の娘は、みんなからエビを奪い取り食べに食べた。病人の仮面をつけた食いしん坊だ。
お腹いっぱい栄養補給をして、昼寝をして、ゴロゴロして、全力で回復に努める。
夜ご飯は残っていた野菜と食パンを救済すべく、ホットサンドを作って食べた。久しぶりに食べるハイカラな娑婆の味といった味わいで非常に美味しかった。お腹いっぱい食べた~と思っていたら直後にお腹を下した。
え?なんで今?なになに?お腹がびっくりしたの??いやでもびっくりするならお昼のお寿司食べた時でしょうが!なんで今!?と目を白黒させながら腹痛と戦う。腸がギュルギュルと痛む。一度出したら深追いはしないという感じで、ギュルギュルと痛むことも、下痢が続くこともなかった。なんとなく不安な気持ちになりながらも、揺さぶりに屈しない姿勢を見せるためにプライムビデオで『ちょこっと京都に住んでみた。』を娘と鑑賞。本当はこういう不安な気持ちの時こそ『はたらく細胞』を見て勇気付けられたいのだが、なかなかグロテスクな描写も多いので、のほほんと京都の街並みを眺める。京都のオシャレな町家が良い。土間っていいよなぁ。
7月11日(月)
今日は昨日と打って変わって体調が良い、体が軽い。体温もすっかり平熱だ。
風邪の病み上がり感が長く続く。嗅覚が弱い。常に「風邪臭さ」みたいなのが鼻の奥にある感じ。これはもしかすると噂の嗅覚異常かもしれないし、一生付き合っていくものなのかもしれない。味覚を感じないわけではないのだが、嗅覚が感じ取っていた繊細な味覚の部分がぶよぶよになってしまっていて、細かい部分が掴み取れないのが悔しい。買い物にも行けないし、体もしんどいので仕方ないのだが、「料理をしたい!」という気が全く起こらない。元気な時だって「晩御飯のメニューが思い浮かばない!」「あー今日はもう何も作りたくない!」などとしょっちゅう言っていたのだが、匂いで刺激される食欲みたいなものが無くなってしまって、食べたい、作りたいの意欲が消えてしまった。ダイエットに好都合と思えばまあそうなのだが、人生の楽しみの3分の1ぐらいを失ったのでは…というショックもある。でもこれはまだどうなるかわからない。今の時点では耳鼻科にかかることもできないし、温かく見守るしかない。
昼食はパスタを食べる。ボロネーゼパスタを食べたら、昔母と出かけた時によく食べたスパゲッティの味がして、懐かしくて泣いてしまった。今、私は毎日、毎時、本当にいつもぐるぐると色んなことを考えている。思い悩んでいる。でもあのスパゲッティを食べていた頃の私は、不安も悩みも何もなかった。それなりに何かは思っていたとは思うのだが、それでも毎日安心して楽しく過ごしていた。過去に戻りたいとは思わない派なのに、この時は今すぐ小学生の自分に戻りたかった。なんの心配もなくスパゲッティを食べたいと心底思った。軽症と思われる状態だが、心も体も結構傷ついているようだ。
思い出に浸りながらパスタをお腹いっぱい食べたら、また腸がギュルギュルしてきて、排出する運びとなった。うーむ。どうも「お腹いっぱい」が許されないらしい。朝食も食べたのにその時はなんともなかった。「お腹いっぱい」ではなかったからか???とりあえずビオフェルミンに応援を頼み、しばらく小食を心がける。私のメンタルが思いのほか傷んでいるように、腸も思いのほか傷んでいるのだ。そうだそうだ。
現実逃避するように昼寝をする。なぜだかいくらでも眠れる。3時間ぐらい寝た。寝ようと思えばまだ眠れる。子供達も赤ちゃんのようにぐーぐー寝ている。夕方、息子の担任の先生から電話がかかってくる。成績のこと、補習のこと、色々聞く。2週間休むというのは、周りの子と一体どれぐらいの差がつくのだろう…などと神妙な顔をしてみるが、恐らく過ぎてしまえば無いも同然の時間だろう。今は、焦りと不安と共にあるが、戻ればなんてことはないはずだ。
夜は息子と『ヒロシのぼっちキャンプ』を見る。ぎゃーぎゃー騒がず、淡々と自分の好きを追求していく様が、こういう時は心地いい。何も考えずにぼーっと見る。
自宅療養はようやく前半が終了した。