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パートがなかなか決まらない話

パートが決まらない。
「時給3000円」とか「週一のみ」とか「賄いつき」とか「新しくて綺麗なオフィス」とか、そんなめちゃくちゃなことは望んでない。
9時~14時で、できれば家から近くて、家庭都合の急な休みOK。これだけ。これだけの条件なのに全然見つからないし、全然決まらない。
うん。決まらないのには理由がある。それもちゃんとわかっていて、その理由が条件を上回っていることもよくわかっている。だから途方に暮れているのだ。
40代、ブランク6年(前職は営業事務)、特筆すべき資格、特技、免許なし。子供あり。

新卒で入社した会社を辞めなければよかったのに…
6年も専業主婦していないでさっさと再就職すればよかったのに…
そうすれば、今、こんなにみじめに思うことも、無駄な自己嫌悪に陥って悶々とすることもなかったのに…

でも仕事を辞めたのにも理由があったし、6年間専業主婦をしていたのも理由があった。その時々でベストだと思う道を選択してきた。…してきたはずなのに、思っていた場所には辿り着けなかった。どこでどう道を間違えたのかと振り返ってばかりの毎日だ。

私は仕事が好きだった。会社が好きだった。会社の人が好きだったし、あの居場所はとても居心地が良かった。
一人目を妊娠した時、私は当たり前のように産休・育休を取って復職した。
噂には聞いていたけれど、子供が小さいうちは本当に風邪をひきまくり、ちゃんと働ける日の少なさに愕然とした。私の両親に頼りまくって、体調不良の息子を預け、なんとか仕事をこなしていた。
両親はたくさん協力してくれたけれど、しょっちゅう体調を崩す息子を不憫に思っていたし、必死に働く私のことも心配していた。そして孫はもちろんかわいいけれど、いつも体調不良でやってきて、その世話をすることにうんざりしていたと思う。
二人目を妊娠した時釘を刺すように母から「仕事、もう辞めるでしょ?」と言われた。心配から出た言葉だったと思う。でも「もう当てにしないでほしい」という願いでもあったと思う。これ以上は頼れない、頼ってはいけないと思った。
両親に頼っていたとは言え、仕事も長く休んだり早退したりと、職場にも沢山迷惑をかけていた。いつも誰かがフォローに回ってくれていたし、いつか私がまたみんなのフォローに回ろうと思っていた矢先に二人目の妊娠。
もうこれ以上は職場にも迷惑をかけられないと思った。今思えば、誰かに迷惑がられたことも、文句を言われたこともなかった。でもみんなが我慢してくれていると思うと「お互いさま」とは思えなかった。私ばっかり迷惑かけている、私が重荷になっていると思っていた。
本当のところはわからない。誰も何も思っていなかったかもしれない。辞めてくれてよかった!と思っているかもしれない。でも、私は仕事を辞めた。

もし今もあのまま働き続けていたらどうだったのだろう?とよく思う。
復帰して一、二年はまともに働けなかっただろう。両親に頼らないとなると本当にもう半分ぐらいしか出社できなかったのではないだろうか。そしてそうこうしているうちに息子が小学生になり、「小1の壁」とやらにぶつかり、時短で働きたいなどのすったもんだを起こして、コロナが登場する。考えただけでもゾッとするけれど、コロナぐらい超ド級の天災が来れば、職場も全体的に混乱していただろうし、案外その混乱に乗じてどうにかやれたかもしれない。
でも、息子はサッカーをしていなかっただろう。
こればっかりは、私が専業主婦で夕方からの時間をすべて空けることができたからこそできたことだから。この一点においてのみ、私は仕事を辞めてよかったと思っている。

ならばさっさとパートでも始めてブランクを少しでも短くするように努めればよかったのだ。そうすれば今こうして鬱々とした文章を打ち込むこともなかったのに。

本当にそうなのだ。
「せっかく会社を辞めたのだから、やりたい仕事をやろう!」などと夢見心地でおらずに、早くできる仕事に就けばよかったのだ。その頃ならまだ30代。今よりももっと求人もあったはず。でも私はもたついてしまった。
第二子の出産直前まで前職に就いていたため、出産と同時に息子は保育園から幼稚園に転入した。そのころ私はまだ「パートで働く」という感覚がなく、フルタイムの正社員で働くことばかりが頭の中を占めていた。そのため、半日保育や休みの多い幼稚園児を抱えて働くことは無理だと諦めていた。どうしても外で働きたくなり、乳飲み子の娘を保育園に入れ、アルバイトで事務をしたこともあったのだが、幼稚園の休みの多さと、保育園の洗礼を受けた娘の体調不良でまともに出社できず、ものの2か月ほどで辞めてしまった。アルバイトなら正社員ほどの責任もなく休めるだろうと思っていたのだが、任される仕事や待遇に差はあれど、急に欠勤することや早退することに対する申し訳なさに大差はなく、心ばかりが疲れてしまって、いったい何のために働いているんだ?というような状態になってしまった。
娘がもう少し大きくなって、幼稚園に入る頃には多少体も丈夫になっているだろう。その時もう一度仕切り直そうと思っていたら、入園直前の2月からコロナが猛威を振るい始めた。なすすべもなく、仕事のある人もない人も在宅することを余儀なくされた。少し落ち着いてからも、ここで私が無理に働きに出てコロナを持ち込んだら、私のせいで子供たちをより不自由な環境に置くことになるかもしれない…と委縮して、悪い考えばかりに囚われてどうにもこうにも身動きが取れなくなってしまった。
本当に馬鹿だなあと思う。同じ環境下でも働き始めた人もいるし、変わらず働き続けている人もいる。結局その時々の自分に不都合な何かを言い訳にして働かない道を選んできたのだ。さも誰かの、なにかのせいで「働きたいのに働けない」という風にして。

最近仕事を探しているのは、そういう被害者面をするのに飽きたからかもしれない。被害者ぶってても一円にもならないし、時間は刻々と過ぎていくし、年を取る。益々状況は不利になっていくだけだ。

「時、すでに遅し」かもしれないし「機は熟した」かもしれない。
とにかくやってみないとわからない。動き出すしかない。

もう二度とこんなぐちぐちとした文章を書かないためにも、やるしかないのだ。

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