人生で初めて辛いものを食べた
きのうは人生で初めて辛いものを食べた日だった。
それは今まで辛いものと遭遇をしても
舌から下には入れずに生きていたからだ
そもそもじぶんは食べることに
興味や快楽や習慣を必要としていないし
信じてもいなかった、それよりか負の方が多かった。
なぜかというと母が基本食べハラで、
彼女が彼女の価値を発表し評価賞賛の発生しない中や
自分のペースで食べたり冷蔵庫にあるものを食べると
「コソ泥棒!」とか「卑しい」とか「金食い虫」とか
「なにもわからないくせに」とか「デブのくせに」
とかなんかいろいろ言われていた。
食べることはなんらか消費の罪であると感じさせられ
食べることは誰かの劣等感を埋める為に
それらの価値を言語で表情で社会の価値で
井戸端会議のようなもので埋めなきゃいけなくて
食べることになんて興味が湧くわけなかった。
小さい頃から物質に対して疑っていたから
ピザの具もひとつひとつ剥がして食べたり
手作りのお弁当は冷凍食品以外は捨てたり
疑うこと考えること捨てること、それらを今自分が
こっそりと選択していることだけに自由を感じていた
科学的に計算的に趣向や目的に合わせ料理すること
人に振る舞うことはとても好きだけれど
自分が食べることはとことん苦手だった。
じぶんのためには
なんもかかってないうどんとたまにファミチキと
あとポテチを何袋も何袋も食べていた。
エネルギーの計測がしやすかったから
胃もたれと吹出物の予感で体調を測りやすかったから
でも極限に何かが擦り減ると
人の手料理しか食べられなくなったりもして
(西成に住んでた時代)
おおきくまとめて、
わたしは食べることが苦手って事だ。
常にホームレスなじぶんは今を生きているだけで
今日どんな1日を過ごすのかは見当が付かない
なにをする体力が必要かどこで眠りに落ちるのか
なにからそろそろ逃げなきゃ危なくなってるのか
なんにも検討もつかないので
ごはんを食べて眠くなってしまったり
新しい種類のごはんを食べてお腹を壊したり
美味しいご飯を食べて幸せでなにかが鈍ったり
そんなことが怖くて仕方がなかったんだ。
だからこんなにも日本なんていち早く飛び出した方が
いい性質を持っているわたしなのに食べ慣れたもの
のない場所ましてや海外に行くのがまだ怖いのです。
そしてあまりにも食に対して挑戦出来る信頼の環境
の余裕がなかったから鍛えられてなかったのだ
ここ数年で全国の色々な所で新しいものを食べてみて
少しずつ少しずつ、身体を他物質を入れることの
理解が深くなってきたのですが
苦手な事への新しい挑戦とは本当に億劫で
なかなか進まないですね。
 ̄ ̄
そんな昨日、特に難関で面倒そうな
「辛いものを初めて口から下に入れてみよう」
と思えたのは
その日初めて出会った女の子が中国人で
とてもまっすぐで無邪気で正直で勝気で
なんの疑いもなく最初から大好きだなあと感じたから
そしてその子を紹介してくれた人のことも
なんとなく何かの底から信頼していたからだ。
「優しい」を個人的にそれぞれが持つ2人だから
わたしは安心して挑戦してみたいと思えたし
彼女が母国の中華料理の素晴らしさについて
とてもエネルギー的に美しく哲学していたのが
もう可愛くて可愛くてわたしも共に味わいたいと
思えたからだった。
 ̄ ̄ ̄
頂点石焼麻婆豆腐
四川というところのものは
赤いのと茶色いのともうどこをどう選べば
逃げ場があるのかもわからないから適当に少し食べた
まず「ピリッと」がやってきて
「旨い」がやってきて
「痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!」だった
だしヲタクだったのでうま味に対して
こんな辛いだけのつまらなそうなものから
うま味のような感動や深みを感じるなんて
 ̄ ̄
アップデートしたがるんだなあと思った
わたしはどうしても勝たなきゃいけないことがあるとき
とんでもない金持ち(一世)と遊んでから向かう
波になりたい人とかちにしたい人がいて
怒ってる子もいたなあ
とんでもなく黒い
あーゆー美人な顔面固まって
同じビートしか刻まないおばさんに遭遇して
邪気みたいなもんかすった日には
もう2度とクラブに行きたくなくなる