稲は私たち日本人の生活を支えてきました
お米を作るために稲が栽培されてきましたが、稲はお米以外の部分も利用されてきました。(以下は『ものと人間の文化史55-1・藁(わら)Ⅰ』宮崎清著 法政大学出版局 参照)
稲を刈り取ったあとの根…田起こし、荒起こしで土に混ぜられ肥料になる
脱穀後に生じる籾殻…保温材、緩衝材、燃料、飼料、肥料
精米時に除かれる糠…漬物の糠床、食用油、工業用油、飼料、肥料
稲の茎や葉(藁)…燃料、飼料、肥料、そしてさまざまなものの材料
4.の「さまざまなもの」というのはいわゆる藁細工です。今は身近な藁細工品となると注連飾りぐらいですね。
かつては草鞋を履いて歩き、雨が降れば蓑を着ました。熱い鍋の下には藁製の鍋敷きが敷かれ、炊きたてのはご飯を入れたお櫃は藁製のお櫃入れに入れられました。
そんな藁に囲まれた日本人の生活を実感するのが、国立民族学博物館の地域展示です。写真は民博のホームページにある日本の展示。民博の地域展示はオセアニアから東周りに世界を一周し、最後に東アジアの日本が展示されています。壁一面の藁製品を見ると日本は藁の国だと圧倒されます。