うれしいひなまつり
4歳から小学1年まで住んでいた家のお隣は、三姉妹のいるお宅でした。
ひな祭りが近づくと
「おひな様を飾ったから見にいらっしゃい」
と三姉妹のお母さんから声がかかり、母と見に行きました。
6畳間の和室の半分を人形たちが占拠していました。赤い布がかけられたひな壇に内裏びなと三人官女、五人囃子、右大臣、左大臣、そしてお道具が並べられていました。
私の家には内裏びながあるだけでしたから、歌や絵本に登場する三人官女、五人囃子、右大臣、左大臣はそこで初めて見たのでした。
人形を見ながら、
「七段飾りはすごいね」
と母がさかんに言っていたので、「ナナダンカザリ」という言葉も覚えました。
大人になってこの思い出を振り返ると、あのたくさんの人形や道具などを三姉妹のお母さんが一人で飾り一人で片づけていたのかな、たいへんな手間がかかっただろうなと必ず思います。
三姉妹もお手伝いしたのでしょうが、どこまでお手伝いしたのでしょうか。
どんなものでも箱から出すときよりも箱にしまうときのほうが面倒ですね。同じように箱に納めているつもりでも、入らないものが出てきたりします。ひな人形であれば顔にキズがつかないようにとか、虫に喰われないようにとか、いろいろ気を遣います。
でも、毎年おひな様を飾る三姉妹のお母さんは、きっと三姉妹の幸福を心から願ってひな人形を飾り、そして片づけていたのでしょう。
流しびな
3月3日の行事はもともと「厄祓い」の行事でした。3月のはじめの巳の日(3月3日とは決まっていない)、陰陽師をよんで天地の神に無病息災を祈り季節の食物を供え、人形(ひとがた)に自分の災厄を托して海や川に流す行事で、上巳(じょうみ、じょうし)の節句と呼ばれていました。
室町時代に上巳の節句は3月3日となったようですが、祓いの行事の意味が強かったそうです。
江戸時代になると貴族や上流の少女たちの「ひいな遊び」と結びつき、女の子の幸福を願う華やかな行事となり、江戸時代中期には広くさかんに行われるようになりました。
鳥取県用瀬(もちがせ)町では、男女一対の小さな紙びなをサンダワラにのせて花やお菓子を供えて川に流す「流しびな」が行われています。
サンダワラは俵の両端に使われる丸い藁のお皿で、他の地方でもこれにお供え物をのせたりと行事で使用されています。たとえばサンダワラにあずき飯のおにぎりをのせて道祖神にお供えするとか、流しびなのように川に流すとか、そのように使われるものです。
用瀬町の話に戻りますが、流しびなの日に子どもたちを自宅に呼んでご馳走を振る舞ったり、ひな人形を座敷や玄関に飾り一般に披露したりするそうです。
大々的なひな祭りですね。
参考資料
一般社団法人日本人形協会ホームページ
とっとり文化財ナビ
画像
信夫工芸店(鳥取県)の流しびな (民藝かりんのブログより)