吉川英治『新・平家物語』感想 巴御前
巴御前は昔から私の憧れでした。
馬を乗りこなし、男性と互角は戦う…なんてかっこいいのでしょう。運動が苦手な私にとって輝く存在です。
この時代のドラマを観るとき、巴御前がどのように描かれるのか楽しみにしています。
『新・平家物語』の巴御前
妻としての巴
巴御前は一般に木曽義仲の妾とされていますが、『新・平家物語』では妻、正室のように描かれています。
義仲は2歳のときに父を殺され(頼朝の兄、義平に殺された)、木曽の中原兼遠がかくまって育てました。『新・平家物語』ではその中原兼遠の娘が巴御前とされています。ちなみに兄たちも義仲の家臣です。
巴は幼いころから義仲と一緒に育ち、そのまま妻になったという設定です。
武者としての巴
武者として強さを発揮するのは、『新・平家物語』では義仲の最後の戦いです。頼朝の弟たち(範頼、義経)に追いつめられ、死を覚悟して戦う巴が大の男たちをなぎたおす強いシーンが描かれています。
『新・平家物語』を読んでおや?と思ったのは、木曽軍のなかに300人ぐらいの女性だけの部隊があったことです。農家から招集された娘たちなどから構成されているのです。
もし女性兵士が当たり前に存在するのであれば、巴のような強い女性が現れてもおかしくない、と思いました。
義仲にはもう二人妾が居ますが、二人とも女性の戦士です。
母としての巴
『新・平家物語』では巴は木曽義仲の息子、義高の母という設定です(史実とは違うらしいのですが)。
義高を慈しみ育てているにもかかわらず、人質として頼朝のもとへ送り出さなければならない母親の苦悩が描かれています。
さらに義仲と頼朝の関係がこじれて義高の身を案じ続ける巴の気持ちは、切ないばかりです。
頼朝の弟たちの軍に敗れ敗走するときに彼女は和田義盛にわざと捕まり、義高を見守る道を選びます。母親らしい選択だと思います。
後に義高が頼朝によっていれば殺されてしまいますが、最期を見届けて巴はそっと鎌倉を抜け出します。
『新・平家物語』の巴の話はここで終わります。
夫 義仲
『新・平家物語』の木曽義仲は、武者としては強いけれど自制心のない人として登場しています。こんなひどい描かれ方をしている木曽義仲を知りません。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、男気のあるかっこいい人だったのに、『新・平家物語』では好色で酒に溺れる直情型の殿なのです。
自分のことを一応反省するのだけれど、改善できない…だめだこりゃ、と思わせる人です。大人になりきれていないのでしょうが、こんな殿様は嫌だ!これでは負けるのは当然と思います。
身の回りに巴や二人の妾がいるのに関白の娘をさらってしまう、後白河法皇に翻弄されるのは気の毒だけど頭に血がのぼったまま命令する、京で乱暴狼藉を働く兵を取り締まらない。
あまりにもひどい描かれ方なので、義仲には同情が湧きません。巴が義仲を投げ飛ばすシーンでは気持ちがすっとしました。
伝説の巴御前
和田義盛の妻
義仲軍が敗けた後、巴が和田義盛の妻になった伝説があります。『鎌倉殿の13人』ではこの説が取り上げられていました。『鎌倉殿の13人』を観ていた時は、夫がふたりとも戦死してしまう巴が気の毒でたまりませんでした。
さらに和田義盛との間に息子がいて、その息子が朝比奈三郎義秀だという伝説もあります。ちなみに朝比奈三郎義秀はものすごく強い人だったそうで、この人自身数々の伝説があるみたいです。
伝説は人気の証。巴御前は人気のある人なんです。
巴御前はほんとうはいなかった説
巴御前の記述は古典『平家物語』『源平盛衰記』にあるけれど鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』には無いので、実在しない人物だという説があります。
初めてその説を知った時寂しいと思いましたけれど、女性の武者は存在していたらしいので、巴御前はその象徴だろうと思います。
『新・平家物語』の巴御前について感想をまとめると…
武家の妻の理想
吉川英治氏は武家の理想の妻として巴御前を描いたのでしょう。
大人になりきれない義仲を母親のように見守る。人質の息子の最期を見届ける。そしてそっと身を隠す。表には出ず、でもしっかりと家族を支える。
そんな妻が吉川氏の理想の武家の妻なのだろうと思います。
私のなかの巴御前
私は巴御前が時代に翻弄されたひとりで、戦はひどくて悲しいものだと彼女自身が体現したと思っています。
憧れる気持ちは変わりませんが、あのような生き方はしたくないと強く思います。
巴御前を演じた俳優さんはたくさんいますが、川本喜八郎『人形劇 平家物語』の巴御前が最も好きです。
母性を感じさせる優しさときりっとした雰囲気があるからです。
私も巴御前に甘えたい気持ちがあるのかもしれません。
画像は川本喜八郎の巴御前(白馬のほう)と葵御前 NHK『人形劇 平家物語』より
補足1
『随筆 新平家』(吉川英治の新・平家物語執筆中のエピソードなどをまとめたもの)には、女性の従軍は鎌倉以前にはあったと記されていました。義仲以外の武将も妻や娘を伴って戦に出たのではないかとも書いてあります。
補足2
『随筆 新平家』には『吾妻鏡』に巴御前の名があったとあります。捕虜になった巴御前が和田義盛の妻になったと書いてありました。『吾妻鏡』の私の記憶とは相反するもので、いささか頭が混乱しています。『吾妻鏡』を読まないと真実がわかりません。