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リー モーガン ラストアルバム


リー モーガン ラストアルバム
ブルーノート4381
1971/9/17、18

1963年9月15日朝、アメリカに震撼が走り、歴史が変わる。しかもその震撼はそれまで差別を当然としていた白人にとって自爆を誘うものであった。
国内で最も人種差別が激しく、それ故に黒人人権団体の活動も盛んだったアラバマ州バーミンハムで黒人が通う教会が、白人によりダイナマイトで爆破されたのだ。
このバーミンハムはとにかく人種差別しか無い街として悪名が高かったらしく、白人の暴力事件が多発していた上、黒人への爆破事件も頻繁に起こっていたので、爆弾のBOMBからボンビンハムとも呼ばれていた街であった。しかしそこまで頻繁に起こっていた爆破事件のうち、なぜこの教会爆破事件だけが特別に大きな衝撃となったのか?

それはこの爆破により日曜学校に来ていた幼い女の子4人が犠牲になったからだ。差別から生じる憎しみがとうとう幼い少女らまで巻き添いにした。これによりどれだけアメリカ南部の白人は愚かなのか?アメリカはそれでも正義と民主主義の国家なのか?という半分疑問、半分恥さらしを世界に広めてしまった。犠牲になった少女達の写真は今ではインターネットで検索すると見ることが出来るが、何故こんないたいけの無い可愛い子供達が殺されなくてはいけないのか?そして殺した南部白人への逆層悪が込み上げて来る。犯人はいまだに特定されていない。阿呆か!アメリカ合衆国。

こうして特別にブラックミュージックが好きで、その時代についての文献を調べていて知ったのは、この事件で大きく人生が変わったのが、非暴力で差別撤廃を目指していたマーティン ルーサー キング牧師で、この事件から黒人人権運動の分岐点とも言われたアラバマ州セルマでの抗議行進への道筋を開く。決行されたのは2年後の1965年3月。しかし非暴力を前提にしたキング牧師の願いは届かず、行進は白人警官によってメッタ打ちの惨劇になるは、協力を申し出てボランティアで動いたリベラルな白人までもが惨殺されるという結果を招いた。とにかく愛と感動で終わったワシントンの行進とは正反対に終わってしまったのは明確で、この後キング牧師は苦難のシカゴ進出を決めることになる。この行進は60年近く経った今でもキング牧師の決断について是非の答えは出ていない。
この事件を描いた映画「SELMA」はこの4人の少女が爆破に巻き込まれる悲壮なシーンから始まる。そして行進の当日にわざわざマヘリア ジャクソンに電話をかけて、直接勇気を乞うキング牧師など、なかなかこの時代から音楽までもを知るきっかけとなる野心作であった。ただし例の如く日本の配給会社が安易でお涙頂戴丸出しの上、宣伝部の責任者の勉強不足と自己満足が浮き彫りとなる病気タイトルをつけて公開てしまい心底腹立だしい結果となる。そんな理由で死んでも邦題は記したくないので、すんませんけど興味を持たれた方はネットで調べてから探してください。

セルマの行進を題材にしたジャズはブルーミッチェルのMarch on Selma(ブルーノート4214)、グラント グリーンThe Selma March(ヴァーヴV6ー8627)などがある。

そもそもの爆破事件に心を痛めて曲を作ったのはジョン コルトレーンで、ラジオでこのニュースを聞いてすぐに作曲し、2ヶ月後に吹き込んだのが「ALABAMA」だ。これはスタジオ録音だが、当時リリースするために待機させていた『LIVE AT BIRDLAND(インパルスYP-8523)』に収録された。トレーンとしては事件が風化される前に発表したいという思いで急いだのだろう。曲はジャズであるやないを超越した心の叫びを表した悲痛な鎮魂歌で、この事件を知らなくとも何かせっぱ詰まったものが込み上がって来る様だ。これを聴けばコルトレーンがただ単にやれジャズの新しい道を切り開いた開拓者や、やれ聖人や、ましてや理論やテクニック論で話が完結されるアーティストでは無いというのがよくわかる。そして、アラバマという地が美しい星が降るなんてロマンティックなものではないしアティカスやスカウトが暮らしている地とはほど遠い、憎しみと暴力と愚かさしか無い地だとはっきりと世に知らしめた。

もう一人、この爆破事件で人生が変わった人物がいる。事件が起こったアラバマ州バーミンハムで生まれ育った女性で、犠牲になった女の子のうちの一人と隣人で、とても可愛いがっていたという。
女性の名はアンジェラ デイヴィス。
言わずと知れた過激な反差別運動の中心となり70年代を駆け抜けた女闘志である。

彼女は爆破事件以降の新しい人権運動家の象徴となり、ストークリー カーマイケルらと黒人らによる非「非暴力」団体であるブラックパンサー党に大きな影響を与えたものの、カリフォルニアで起こったある殺人事件で使用された銃がアンジェラの名義だったことから逮捕、収監された。スウェーデンのテレビ局がアメリカで黒人人権運動を取材した記録をまとめたドキュメント「ブラックパワー ミックステープ」は刑務所での彼女にインタビューを行っている。
(爆破事件と自分たちは暴力的だと捉えられている件について)「二度と同じことが起こらない様に街の黒人男たちは自警団を組織し、常に目を離さなかった。そんな環境で私たちは育ったの。それなのに私たちが暴力的だと言うの?」
隣人であり可愛がっていた少女の話になった時、彼女の大きな鋭い目にうっすらと涙が浮かぶ。

このように爆破事件以降はキング牧師の非暴力を甘すぎると主張する若い活動家が多く現れ、彼らは世界にアメリカの恥を訴えた。もうキング牧師は過去の人となったのだ。
ストークリー カーマイケルはスウェーデンでの演説で「(非暴力に徹して白人の心が動くのを待つ)キング牧師は確かに素晴らしい。でも一つ間違いがある。それには相手に良心がないといけない」(「ブラックパワー ミックステープ」より。)
彼らは問題をアメリカ国内に留めず 世界に発信して行き、やがて1972年にはアメリカとスウェーデンは国交を解消するまでの事態へと発展する。

バーミンハムの爆破事件はアメリカにそこまでダメージを与えたのだ。この事件が白人の自爆を誘うものであったというのはそういう点だ。新しい活動家は白人らから見れば大きすぎる目の上のタンコブであっただろう。しかしそれをこしらえたのは自分達なのだ。

そんなアンジェラに曲を作りレコードに吹き込んだのがリー モーガンだ。レコードは「リー モーガン ラストアルバム」タイトル通り1972年2月19日にイーストマンハッタンのクラブ スラッグスで愛人ヘレンに銃殺される半年前に録音されていて死後にリリースされたものだ。ここに「アンジェラ」というナンバーが収められている。このアルバムは最後期のリーがいかにアフロアメリカンとしても音楽家としても尖りに尖っていたか、またリーがいかに当時のジャズの最先端を突っ走っていたかががわかる本物の傑作だ。とんでもない音圧と過激なまでのブラックネスに頭がクラクラしてしまう。ハードコアとはこういうものを指すのではなかろうか。凄すぎる!リーの最後。そんな中「アンジェラ」もやはり斬新を絵に描いたような楽曲で、ドキュメントで観るアンジェラの姿が正に彷彿させられる名曲名演だ。とにかくカッコいい。カバー写真は関西人からすればどう見ても横山のやっさんではないかとツッコミを入れてしまいたくなるが、それも含めてワルのカッコ良さが充満している。
何かで知ったのだが、リーとアンジェラは当時恋仲であったという噂がある。しかしこれはリーの銃殺を追った名ドキュメンタリー映画「I CALLED HIM MORGAN」(相変わらず病気タイトルがついて日本で公開された)では取り挙げられていなかった。いい映画だったけれどそこまで踏み込めばいっぱいいっぱいすぎたのだろう。そもそもリーのヘロインによるリタイアはキャリア上では二度だったし、最初に与えたのはアートブレイキーかも知れないと伝えられているのだから。まあ映画は面白かったらいいのだ。
なのでこの「アンジェラ」はリーの作曲だとばかり思っていたのだけれど、この章を書くにあたり確認するとベースのジミー メリットだった。これは意外ではあったのだけど、同じフィラデルフィア出身でメッセンジャーズではヤンチャなリーの後見人的な役目も担当していたというメリットだからリーやアンジェラと同じで白人による差別と闘う運動に深い関心を持っていたのだろう。リーとジミーがそのような社会性を強く打ち出したのはやはりメッセンジャーズとしてブレイキーと長く深く関わってきたからだろう。
凄い腕前のトランペッターでありジャズアイドルであったリーだが、彼はローランド カークと一緒にテレビのショー番組にもっと黒人ミュージシャンを出演させろとテレビ局の前でピケをはったことがある。そういう活動を通してアンジェラと知り合ったのかも知れない。
ついでに記すとこのレコードで「アンジェラ」を作曲したジミーメリットはあのジャズ喫茶でジャズを覚えたジャズ原理主義者がジャズに持ち込むのをことごとく否定するエレクトリックベースを弾いている。メリットのエレベはこれだけでは無いのだが、僕は彼のエレベがとても好きだ。もちろんファンクや尖ったロックに親しんでいるリスナーが聴けば物足りないだろうし、上手いのか下手なのかは検討もつかないのだけれど、何かこのホワーンとした浮遊感がありながらブラックフィーリングに満ちたエレベは今では聴こうとしてもそうは聴けないものだと思う。

この時代、様々なジャズミュージシャンが人権運動爆発の時代に呼応して新しい音楽を世に問い続けた。Black Lives Matterという言葉も無い時代に発表されたものは全て斬新極まりなく挑発的だ。従って白人が好むバップや4ビートやスタンダードなどの絵に描いた様なジャズとは全く違う。これらは世界の音楽史に堂々と残る遺産である。
しかし、我が日本では白人と闘ったジャズミュージシャンはミンガスでありマックスローチでありドナルドバードでありアーチーシェップと反アメリカというカテゴリーで括られており、それ以外は別に闘わず正しいジャズを演奏したから安心して聴けるミュージシャンであるとされている。僕はこれが大いに不満だ。なぜならバーミンハムの爆破事件だけでもリーやジミーメリットやブルーミッチェルに繋がるのだから。ジャズ喫茶の教えにこの3人が反逆精神を表したミュージシャンだというのはありますか?それにそもそもジャズという音楽が安心して聴ける音楽でいいのか。
だから何や?と聞かれても困るけれども、昔のジャズ評論を鵜呑みにするのはもうそろそろやめにして、もう少し深く突っ込んでジャズを聴けばブラックミュージックとしてのジャズの全貌は見えてくると僕は思う。いかんせん今まではそれをしなさすぎたのでは無いだろうか。

最後にもう一つだけ記したいことがある。バーミンハムの爆破事件は子供を殺したのでアメリカという巨大国家を揺るがした。子供の死はそれほど国の威厳に脅威をもたらしめるというのがこの時代だったのか。しかし今現在のわが国では日夜子供が殺害されたニュースが飛び交い、我々は慣れっこになってしまっている。しかも人種差別とは関係ない大人の身勝手による事件が多い。今の日本はこのままだとあの60年代の南部白人より人間性が劣ってしまう、いやもう遅いかも知れない。これでいいのか!もし同じ考えを持たれた方はバーミンハムの教会爆破事件で犠牲になった少女の写真をネットで検索してください。ジャズファンから訴えて行くべきではないでしょうか?

小倉慎吾(chachai)
1966年神戸市生まれ。1986年甲南堂印刷株式会社入社。1993年から1998年にかけて関西限定のジャズフリーペーパー「月刊Preacher」編集長をへて2011年退社。2012年神戸元町でハードバップとソウルジャズに特化した Bar Doodlin'を開業。2022年コロナ禍に負けて閉店。関西で最もDeepで厳しいと言われた波止場ジャズフェスティバルを10年間に渡り主催。他にジャズミュージシャンのライブフライヤー専門のデザイナーとしても活動。著作の電子書籍「炎のファンキージャズ(万象堂)」は各電子書籍サイトから購入可能880円。
現在はアルバイト生活をしながらDoodlin’再建と「炎のファンキージャズ」の紙媒体での書籍化をもくろむ日々。

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