22年11月19日 コレチェキ
わたしはビールを一杯やりたいためにお屋敷に行くのではない。むしろ二杯やりたいね。
——「コレチェキについての詩集」より
11月19日。わたしは体調がよかった、だからといって新しく何かを始めるような気にはならない。コレチェキをやるために秋葉原へ向かった。そして末広町駅の改札を出た瞬間に思った。ああ、しまった! 日曜日だった。車の出入りが規制された中央通りは観光客でごった返し。どこの店も混み合っていて、長時間並ばないとコレチェキどころかチェキを撮ることすらできない。イーパークを見ると本店7階は2時間半待ちだった。意気消沈。わたしと違って、店内に座っているやつらのほとんどが何も考えずにコレチェキを注文するようなくだらない連中だ。しかも中には、他人を蹴落としてまでコレチェキをもらうやつがいれば、誰であれ構わずにコレチェキを頼むやつもいるときた。彼らにも生活があるということに驚く。髭を剃ったり、爪を切ったりしている。言葉は作り出すものではなく、組み合わせるものだと考えている。Mちゃんは昼間を過ぎると帰ってしまうため、わたしは彼らのせいでMちゃんのコレチェキをもらうことができなかった。
わたしの対応は大人の男性そのものだった。わたしはこう考える。7階のイーパークが取れなかったのは何かの啓示かもしれない。イーパークに成功して7階に並んでいたとしたら、きっとよくない出来事がわたしに降りかかっていた。エンジン故障を起こした航空機がミツワビルに突っこむ。あるいは大地震。テロリストたちにビルを丸ごと占拠されるのもいい。わたしはイーパークを取り損ねたために命を救われた男。いいぞ、いいぞ。最近になってようやく、わたしは大人の男性のような立ち振る舞いができるようになってきた。しかしそれでも、ときどき大人の男性であることを忘れてしまう。それはメイドがユーモアを忘れてしまうのと同じ。まだまだ若くて未熟で酒の量が足りていない。わたしはほかのご主人様とお嬢様のことを軽蔑しているが、少しの時間であれば一緒に紅茶を飲んでやってもいいとさえ思えるようになってきた。
秋葉原はまだ昼下がりだった。低層ビルの窓がまばゆく照らされていて、素っ裸で外に出ても問題ないほどあたたかかった。わたしは煙草を手に入れ、バーに入ってビールを飲んだ。3杯飲むと調子がよくなり、8杯目を飲んだあたりで便器に吐いていた。トイレから席に戻ると、店のBGMが『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』に変わっていた。かなり古い曲だ。ドーリー・ウィルソン(黒人のピアニスト)が「時代が変わっても、キスはキス、ため息はため息、その本質は変わらない」と歌っている。その時、わたしはひらめきを得た。詩のアイデアを思いついたのだ。書き出しはこう。「わたしが便器で戻したものは、戻したものではない」……しかし酔いすぎていて続きが浮かばず、わたしは気付いた頃にはメイドカフェへと向かっていた。
本店6階に配属されたばかりの新人メイドがわたしをカウンターの席まで案内した。彼女もまたほかのメイドと同じように、自分の趣味を誇張するためのアクセサリーを全身に着けていた。個性を語るには安易な方法すぎて、わたしにはどれもこれもみんな同じに見える。彼女たちの中にはそのことをきちんとわかっていて、仕事だから着けている者もいる。残念なことに、われわれはその区別をすることができない。ツイッターやインスタ以外でしたためた文字を読ませてくれないか? 文体はある? わたしはこれ以上余計なチェキを撮りたくないのだ……。
わたしはビールとIちゃんのチェキとTちゃんのチェキを注文した。新人メイドがわたしに話しかけた。「今日はお休みなんですか?」
わたしは答えた。「しばらく休みなんだ」
「へえ、それはいいですね」
「大きな仕事を終えたばかりだからね。二週間前に銀行を襲ったのさ」
「え?」
「ねえ、はやくお水を持ってきてくれない?」
Iちゃんとのチェキ撮影が始まった。わたしは10日ほど前に彼女を殴ったのだが、彼女はすっかりそのことを忘れてしまっているようだった。わたしたちは、『ナイトミュージアム』という映画で、主演のベン・スティラーが命を吹き込まれた剥製の猿とビンタをやり合うシーンを模したチェキを撮った。
「やあ、Iちゃん」
「ガル、ガルガルッ!」
「今日はなんだか元気そうだね」
「ガル、ガルガルッ! ガルルゥ!」
「新しい友だちでもできた? それとも恋人かな?」
「ガルガル! ガルッ!」
突然の出来事だった。彼女は開いていた窓から勢いよく飛び出し、下の階のバルコニーに落ちた。窓際から階下を見ると、彼女はまだ生きていて、むしろ嬉しそうな表情を浮かべながらその辺を彷徨いていた。しばらくして他のビルのへと飛び移ったかと思うと、また他のビルへ移り、最後にはどこかへ去ってしまった。
わたしはステージでTちゃんとチェキを撮った。Tちゃんはよくできた素晴らしいメイドで、つまりわたしがもっとも苦手なタイプだった。アルコール中毒におちいって道端で夜を過ごしたこともなければ、酔った勢いで犬を蹴飛ばしたこともない。将来のことをしっかりと考えていて、自分自身をいじめるような行動はとらないのだ。当然前科はないし、娘もいない。毎晩テレビを見ていて、月に一度は新しい服を買い、家賃をきちんと払っている。わたしと会話を合わせるのが上手い。……ああ、やられた!わたしはすっかり癒され、気分よく帰されてしまった。わたしの奥底にまみれていた虚栄心さえも消えてしまっている。くそったれ! 反抗だ、反抗。わたしをわたしたらしめるのは反抗なのだ。わたしから反抗の機会を奪わないでくれ。わたしに幸福を与えないでくれ……。
わたしは会計を済ませて店を出た。ミツワビルの階段を駆け下りる瞬間、わたしは時間の浪費を感じる。あらゆるものがわたしの手から溢れ落ちていくような感覚。60歳になるまでコレチェキをもらい続けている老いぼれたわたしの姿が目に浮かぶ。毎日が同じことの繰り返しで、毎日が退屈。それでもやめることができないのは、破滅的な生活に憧れているせいだ。キルケゴールによると、それは絶望であり、人間が克服すべき病気である。わたしは克服する気なんてさらさらない。ずっとあたたかいところを漂い、カモメのようにだらだらと旋回している。しかしそうは言っても、このくだらない繰り返しの中で、何かひとつでも変化を感じる時、わたしはたちまち生き返ることができる。詩を書こうという気持ちにさえなれる。だから、たったひとつでいい。わたしに何か違うものをくれ。同じだけど、何かこう、違うものを。
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