なぜ自分はスポーツで強くなれなかったのか。怪我を怪我とも思わなかった自分。怪我で離脱する選手を減らしたいと思ったきっかけ。
自分が子供の頃は、
「オリンピックに出たい」
と本気で思っていた。
とにかく運動が大好きで、スポーツが大好きな少年時代だった。
大抵のスポーツは卒なくこなし、
運動センスは学校の中で一番あると思っていた
(思っていただけ)。
小学生の頃、
「サッカーを習いたい」
「バスケを習いたい」
「ドッチボールを習いたい」
「テニスを習いたい」
と両親に懇願していたが、
全部NG。
両親は勉強して成績良くして給料のいい仕事に就職しなさい!
というタイプだった。
(そういうふうに感じていた)
小学校2年生から英語塾に通っていた。
というよりも、勉強嫌いだったから
”通わされたいた”という感覚。
受験勉強もほとんどしなかったため、
小学2年から高校3年までの11年間も
英語に触れた期間があったが、
いまだにハローしか言えない。
スポーツに取り組みたい自分と、
勉強させたい親とのギャップの大きさは、
今思えばかなり大きかったと思う。
スポーツを本格的に出来たのは、中学生の部活動。
ただ、入学した中学校はヤンキー校。
テニス部を見学すると、ロン毛茶髪の腰パンが部長。
男子バスケ部は無い。
野球部は廃部寸前で入部しても人数不足。
サッカー部は柄の悪い先輩がたくさんいた。
というかなぜか入学早々、自転車通学中にサッカー部の一人の先輩に
意味もなく殴られた。
小学校の頃、部活に入りたくてワクワクしていたのに、
大好きなスポーツが全部、柄が悪い。
大好きなスポーツを真剣に取り組みたい、
勝つための練習をしたいと
思っていた自分には、
「どの部活も入りたくない。」
結局入った部活は友達に誘われたバドミントン部。
その時の先輩は、めちゃくちゃ真剣に取り組んでいるという印象だった。
体験入部で、新1年生の中で誰よりも上手く出来たし、楽しかったから入部した。
入部すると、
体験入部では姿がなかった
スポ少でバドミントンをしていた人達が3人いて、
当然、自分よりも圧倒的に上手い。
その人達に勝ちたくて練習した。
そしたらめちゃくちゃのめり込んだ。
半年後にはで同学年で1番強くなった。
2012年のロンドンオリンピック。
当時バドミントンは世界で勝ち残れておらず、ほぼ予選敗退。
その中で、佐々木翔選手が男子決勝リーグに勝ち残った。
それを夜中一人で観戦。
対戦相手は、圧倒的世界ランク1位のリンダン選手。
ロンドンオリンピックで男子シングルス優勝は
リンダン選手だったが、佐々木翔選手だけが
フルセットまで持ち込んでいた(確か)。
これを涙ながら、鳥肌を立てながら応援していた。
自分もこの舞台に立ちたいなぁとか漠然に思っていた。
しかし、高校2年生の春休みに、
猛烈な右肩の痛みに襲われていた。
動かすことも出来ない。
もちろん練習もできない。
整形外科を受診したのだが、
何故か診察の瞬間になると肩の痛みが消失した。
整形の先生は、
「痛みがないならなんともないでしょう」と一言。
レントゲンも問題無しだったらしい。
湿布だけ処方され帰宅する途中、右肩激痛再燃。
1週間休養して、何事もなかったかのように部活に取り組んだんだけど、
これがダメだった。
そこからずっと、微妙に肩が痛い。
ずっと違和感があるという状態。
だけど当時の自分はスポーツ傷害に対する関心はまるで無し。
結果、半年経たずに、フォームがかなり乱れた状態になった。
スイートスポットに全く当たらなくなり、
スマッシュが一向にネットを超えなくなった時期もあった。
夢に対して実力は全然伴っていないが、
何故か自信があった(かなり楽観的だったから)。
だけど、夢と現実のギャップがかなり大きい。
今思い返すと、
練習が苦痛の時期が長かったなと
感じる。
高校時代の部活は楽しかった思い出があまりない。
当時は、中学時代の自分が一番うまかったと思っていた。
高校最後の大会近くになると、
肩だけでなく肘にも痛みがあった。
普通に試合に負ける。
全力で出来なかった感満載で。
悔しさも何もなかった。
強いていうなら、全力を出せなかったという情けなさがあった。
このようにして自分の現役は終了した。
『痛みを治す』ということに、全く関心がなく、
考えることもしなかった。
当然、痛みに対してちゃんと向き合ってくれる指導者もいない。
自分が無知だったこと。
痛みと無縁だった環境。
結果、フォームを崩し、肩だけではなく、肘も痛める。
これが高校時代の自分の成長に急ブレーキを掛け、
中学時代の自分の方が良かったと考えてしまうほど
自分を下手にさせ、マイナス成長させた理由。
今の自分だったら、
痛みを治すことが、パフォーマンスアップに繋がり、
身体操作性を高めることにも繋がることが分かっている。
もっと試合で勝てる現役生活を送れたのだろうなと思える。
そんな選手を増やしたくない。
理学療法士として活動して、強く思っていることの一つだ。