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グレーで境界知能の息子の生きづらさ

息子は、白でもなく黒でもないグレーな子どもだ。
実を言うと、もう黒にしてもらおうかと、夏休みある病院に行った。診断名をつけてもらう方が、息子も私も楽なんじゃないのか?そう思ったのだ。

でも、結局グレーと言われ、つけてもらえなかった。

息子は3歳から発達検査をうけている。一番初めはまだ幼く、ちゃんとした感じで出来なかったのか?軽度知的障害の数値だった。

早生まれにしてはゆっくりな成長だな〜?とは思っていたけど、まさか軽度知的障害とは!と、ショックすぎて受け入れられなかった。

急いで、療育を開始した。幼稚園の後は、ガッツリ療育に通わせるというめちゃくちゃ忙しい生活を息子には送らせていた。

ただ、その甲斐があってか?1年後の発達検査で、グーンと伸びて、境界知能になったのだ。
ただね…この奇跡の伸びは、この1回だけだったのよ。

毎年毎年、発達検査の数値が上がることだけを楽しみにしていた。診断名がつけられないことばかりを願っていた。

ふつうの子どもにいつか追いつくんじゃないか?と期待ばかりしていた。

ここら辺に関しては、Kindleで詳細を書いてはいるんだけどね。

とにかく、検査を受ける時の息子の状態は色々あって、調子悪い日に受けることもあったんだけどね。
そんなに、検査の数値ほど知的の低さ感じませんね〜と周りから言ってもらえたりもするんだけどね。

でもね…もう何度も検査を繰り返して、ようやく理解した。
息子が境界知能から抜けることはないんだ!と、何年もかけてゆっくり私は理解していき、今に至るのだ。

グレーで、境界知能の息子は、なんだか、周りの子達とは違うのかもしれない。不登校になり、少し自分をわかってきているのかもしれない。
ただ、私の口から、君はグレーで境界知能なんだよって、どれだけわかりやすく説明したとしても、息子に伝わることはなかった。
昨年、一度発達検査の後、それとなく伝えたけど、やっぱり難しかったのよ。息子は混乱して泣いていたのよね。

だからもう、診断名ある方が楽なのかな?と思ったのだ。

グレーで境界知能の息子には、通常級がしんどかったのだろう。でも、支援級に行くことも嫌がっていた。なんとか、その中でも本人が受け入れてくれた教室が、通級だった。

今後も、息子はみんなと同じを求めて生きていくんだろうか?

でも、息子が思うみんなとは、ふつうの子達がいる学校で、通常級なんだと思う。
もう、そこの世界はしんどいと言うことは、わかっているはずだ。戻りたくても戻ることがしんどいとは、本人も気づいている。

だけど、学校ではない居場所、フリースクールを息子は求めてはいない。いつだって、学校なんだ。
きっと、フリースクールの子ども達の方が、息子と似たような感覚を持っている子が多いように思うよと言っても、そこを拒否する。

きっと息子自身がまだ、自分を認められないのではないだろうか?
なんとなく、みんなと違うことがわかっていても、わかりたくないと思っているのかもしれない。

頑張りさえすれば、みんなと同じ所にまた行けるかもしれないって思っているのかもしれない。

でもね…私は息子には言う。

もう、ちゃぼすけは、みんなとは違う歩み方をしているんだよ。また前と同じ教室で、勉強して遊んで…は、しんどいのかもしれないよ。自分が過ごしやすいと思える学校や、通い方を見つけていくいいチャンスかもしれないよね。自分のペースで無理なく勉強したり、遊べるような、そんな居場所を一緒に見つけていきたいな。

こんな伝え方しかできないけど、いつか息子に伝わったらいいな〜とは思っている。

ゆっくりでいい。

私だって、息子がグレーで境界知能という現実をゆっくりゆっくり何年もかけて、わかっていったんだから…。

ゆっくりゆっくり、自分をわかっていけばいいんだと思っている。自分を認めていく過程がどうしようもなく辛くて、悔しくて、やりきれない時があったとしても、傍で必ずあなたに寄り添うから、一緒になって泣くし、怒るし、暴れてあげるよ。

そして、最後に絶対一緒に笑おうね。
笑ったもん勝ちやで(笑)


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