
ミレイ《オフィーリア》の花々③ 描かれた花々2

『オフィーリア』 英語: Ophelia
1851年 - 1852年 油彩、キャンバス
76.2 cm × 111.8 cm
テート・ブリテン、ロンドン
①は、ハムレットの原文を中心に、その花々をnoteしました
③ではミレイが描いた②以外の草花を見てゆきます
しかしながら、イギリスのしかも19世紀のイギリスにあっただろう草花の知識がなく、また、写真からみるものには限界があり、以下は、私の想像をもとに調べたことになります。
また、ミレイは花の意味などを考えて描いたのか、ましてや色までこだわって描き分けたのか不明です
まったくの見当違いが多々あるかと思いますが、ご容赦ください
オフィーリアの周りに浮かぶ花々

この部分は、オフィーリアが手に握っていることからミレイの思い入れが強いものと考えます
イングリッシュブルーベル(白)
イングリッシュブルーベルは一般的には青色ですが、白もあります。
ヒアシンスと区別するため、この名で呼ばれていますが、ヒアシンス属の野生種であると考えられています。
ブルーベルに限らず、鈴蘭などのベル型の花は、悪魔を払う効果があると考えられていました。一方、節操、孤独、悔恨も表します
花言葉は「不変の愛」「謙遜」「誠実」「感謝」など
ヤグルマギク
花言葉は「繊細」「優雅」「優美」「幸運」「幸福」「教育」「信頼」「独身生活」などなど
海外では「繊細さ」「希望」「思い出」「独身生活」など
花言葉でとても気になる「独身生活」ですが、欧米では、独身男性が襟元にヤグルマギクを飾る習慣があり、パートナーを探していますという意味が込められてるそうです。
ナデシコ
花言葉は「純愛」「貞節」「無邪気」
赤色の花言葉は「燃えるような愛」「大胆」
学名のDianthus(ダイアンサス)はギリシア語の「DIOS(神)」「ANTHOS(花)」が語源で、神より与えられた花、神聖な花を意味します
アメリカナデシコ Dianthus barbatus ?
赤い花はアメリカナデシコ にも見えます
花言葉は「勇敢」「義侠」「正義」
アメリカナデシコは感謝の気持ちを伝える花として、恩人や教師、両親、などに贈られる時に使われます。また、結婚式での装飾にもよく使われます。
「ミレイ《オフィーリア》の花②」で述べたcrow-flowersを検索すると
Dianthus barbatus にもたどり着きます
ミレイはcrow-flowersをDianthus barbatus として描いた可能性もあります

カーネーション
花言葉は「無垢で深い愛」「女性の愛」「感覚」「感動」「純粋な愛情」
カーネーションはナデシコの進化系です
15世紀ごろ、フランスに自生していたナデシコを栽培したものが元で、19世紀ごろには、カーネーションの品種改良がブームとなり、チューリップとともに時代の先端を行く園芸植物でした
元になるナデシコは可憐な花姿を長く保つことから、古代ギリシャでは神にささげる花冠に用いられました。
キリストの受難や母性を象徴とし、聖母マリアとともに描かれることがあります
16世紀ごろのフランドル辺りで、新婦が赤いカーネーションを付け新郎が探すという習慣があり、赤いカーネーションは婚約や結婚を表すようになったということです
また、ちょうどシェイクスピアの時代に花冠(coronation flower) にカーネーションが使われ、そこからcoronationと呼ばれるようになったという説もあります
タンポポ
モコモコとしたタンポポのような黄色い花が3輪握られています。タンポポと考えても良いでしょうが、3本を握るより、一本の茎から枝分かれした形状の花と考える方が自然かと思います

タンポポ
花言葉は「愛の神託」「真実の愛」
キク科の植物で名前のdandelionはフランス語の dent de lion(ライオンの歯)に由来します
食用可能ですが、苦味があるため、キリストの受難を表します
キバナムギナデシコ Meadow Salsify
花言葉は「秘めた愛」
ナデシコとつきますが、タンポポと同じキク科の植物です
古代からヨーロッパで愛され、純粋さや自然の美しさを象徴しています。祭りや祝い事の際に使われ、詩や絵画のモチーフとしてもよく使われました。
根の部分は薬用、食用根菜として利用されスコルツォネラやキバナバラモンジン という名でよく知られています
meadow は牧草地のことで、牧草地はヨーロッパでは悲しみ、謙譲と忍耐、夢心地または喜びを表すことがあります
オフィーリアが握る花がキバナムギナデシコだとしたら、そうのような意味も込められているのかもしれません

手に握られていることから(と思うがよく見ると握られてはいないようだが)、大切なものという強い思いが込められていると考えます。
ざっくりとですが、「恋愛素晴らしい」というようなことが詰まっている印象です

ヒアシンス
花言葉は「嫉妬」「勝負」「悲哀」「スポーツ」「ゲーム」「悲しみを超えた愛」
紫の花言葉は「悲しみ」「悲哀」「初恋のひたむきさ」「ごめんなさい」
美少年ヒュアキントスが太陽神アポロンと円盤投げで遊んでいると、嫉妬した西風の神ゼピュロスが風を起こして邪魔をします(ヒュアキントスはアポロンとゼピュロスに愛されており、いはば三角関係)。そして風にのった円盤はヒュアキントスに直撃し、彼は死んでしまいます。彼の血からは紫のヒヤシンスが咲き、嫉妬やスポーツなどの花言葉がついたとされています。
スイセン(黄色)
ギリシア神話で、自分の姿を見つめるナルキッソスの話が有名です。ナルキッソスが死んだ場所に白いラッパスイセンが咲いたとされていて、スイセンは死と再生の象徴とされています。
花言葉は「自己愛」「うぬぼれ」
黄色の花言葉は「もう一度愛してほしい」「私のもとへ帰って」
ラッパスイセンの花言葉は「報われぬ恋」「尊敬」

ヒアシンスもスイセンも、ギリシア神話では死んでしまった者から生まれた花です。
オフィーリアが握りきれずに取りこぼしてしまった花には、手に入れることができなかった、悲しくせつない恋が意図されているとみられます

デイジー
「不幸な恋のオフィーリア」あらわすデイジー
(詳しくはミレイ《オフィーリア》②①)
流れてゆくオフィーリアと同じように沈みながら流れています。オフィーリア自身の表象と考えますが、周りを囲む花々は不穏なものばかりで、おどろおどろしくさえみえます
ケシ
眠りと死の気配がする芥子
(詳しくはミレイ《オフィーリア》②)
ムシトリナデシコ
『ハムレット』で語られるcrow-flowerはナデシコ系の花と考えられます
(詳しくはミレイ《オフィーリア》の花②)
そして、ケシの後ろに描かれた花が、ナデシコのような小さな花が集まったものに見えます
ムシトリナデシコはヨーロッパ原産ですが、今は日本でもすっかり野生化しています。茎の部分にベタベタする部分があって、そこに小さな虫がつくので「虫とり」と名前についています
花言葉は「罠」「未練」「欺瞞」
同じような姿のカワラナデシコやノハラナデシコも考えられますが、ちょっと怖い花言葉のムシトリナデシコがここには合うのではないでしょうか

アネモネ 青
アネモネの花言葉は「はかない恋」「恋の苦しみ」「見放された」「見捨てられた」など悲哀的なものが多くあります
ギリシア神話の風の神ゼフィロスが、妖精アネモネに恋をして、アネモネをそばに置いておくために、一輪の花に変えた という話が関係しているようです
色によっても違い、青は「固い誓い」
紫や黒は「あなたを信じて待つ」です
赤いアネモネについては、別に記します。
アネモネを含むキンポウゲ科の植物は毒性が強く、アネモネの有毒成分は不整脈、心臓障害や汁が肌にふれると炎症をおこします
キンポウゲ (金鳳花)
「バター色をしたカップ状の花」で、イギリスなどではバターカップ(buttercup)と呼ばれます
正確には、キンポウゲはバターカップのような黄色の花々を咲かせるキンポウゲ科の植物の総称です
キンポウゲは、イギリスで郷愁を誘う花です
花言葉は「無邪気」「子供っぽさ」
『ハムレット』に記された花冠の「Crow-flower 」はキンポウゲであるという説もあります。
キンポウゲ科の植物は、ほぼほぼ有毒(オダマキ、アネモネ、トリカブトなど)でキンポウゲもアネモニンと呼ばれる毒があり、吐き気、腹痛、下痢、けいれんなどの症状があります。口にしてしまうと気がふれることから「狂花」という俗名もあるらしい
黄色のそれらしい花は、キンセンカやオトギリソウなど沢山ありますが、描かれた絵のこのグループの花々が「死」を連想させたり、不穏なものが集まっているとするなら、毒のあるキンポウゲが適当と思います

水に流されるオフィーリア(デイジー)を囲むように、不穏な花々が取り囲みます
まるで、物語りのオフィーリアの最後をあらわすようです

パンジー
花言葉は「私を思って」「もの思い」
(詳しくはミレイ《オフィーリア》の花①)
パンジーは3色であることから三位一体のシンボルとなりました。またキリスト復活後第8日曜日の標章として、強い愛の力を表わします
アネモネ 赤
赤いアネモネの花言葉「君を愛する」
切なく悲しい花言葉が多いアネモネですが、赤色には
愛の女神アフロディーテ(ヴィーナス)に恋をした少年アドニスが流した血から咲いた花とも、彼の遺体を見てアフロディーテが流した涙から咲いた花というギリシア神話があります。
そこから「燃え上がる情熱」の意味があります。
ヒナゲシ ?
赤いヒナゲシの花言葉は「感謝」「慰め」「喜び」
スカビサオ
和名 マツムシソウ
花言葉は、「私はすべてを失った」「未亡人」「不幸な恋」「叶わぬ恋」
など、ネガティブです。これらは、花の色(薄紫)からで、西洋では紫は「悲しみ」「負の色」のイメージが強くあるため(ギリシア神話のヒアシンスのイメージが強いらしい)で、パートナーを亡くした未亡人には紫の花を贈る習慣があります
チコリの花 ?
チコリはサラダによく入っている、苦味のあるキク科の多年生野菜です。ヨーロッパ原産で、野生種も自生しており、青い花をつけます。花も食用でき肝機能の向上や老廃物排出の解毒作用などの効能があります。
花は半日しか開花しないはかない花です
伝説では、戻らない恋人を待ち続けて死んでしまった乙女がこぼした涙から芽が出た、ということで「乙女の涙」ともいわれます
花言葉は「待ちぼうけ」「節約」

これらの花から、この部分には乙女のせつない恋心が集まっているように感じます

スイトピー
花言葉は「門出」「別離」「優しい思い出」など
西洋では「Good-bye永遠の別れ」もある
フリチラリア・メレアグリス
ヨーロッパに広く分布するユリ科の球根植物です。
花弁の模様がサイコロやチェス盤を連想させることから、ラテン語の「Fritillus(で「サイコロを振る器」を意味する」)に由来した
Fritillaria meleagrisという名前になっています。
また、ユニークな模様と形から「蛇の頭百合(Snake’s Head Fritillary)」とも呼ばれます。
花言葉は「恨み」「優雅さ」
恨みは失恋や悲しみを象徴しています

クロッカス ?
花言葉は「青春の喜び」「切望」「私を信じて」
紫のクロッカスは「愛の後悔」
ギリシア神話にはクロッカス少年と、スミラックス少女の悲哀があります。2人は無理心中をし、それを不憫に思った春の女神フローラが、2人をクロッカスの花に変えた そうです
ハナニラ
ハナニラは、ヒガンバナ系の繁殖力がとても強い球根植物です。1〜2cmほどの星型の花を咲かせることから「Spring starflower(スプリングスターフラワー)」とも呼ばれます。
ニラのような匂いがしますが、毒性があり、口にすると激しい下痢を起こします
花言葉は「悲しい別れ」「耐える愛」「愛しい人」「星に願いを」「恨み」「卑劣」
ハナニラは冬を耐えて、春に花を咲かせることから「耐える愛」そして、やっと咲いた花ですが、すぐにしぼんでしまうのと、儚げな色から「悲しい別れ」の花言葉があります

集まっているようです

アマリリス
花言葉は「おしゃべり」「輝くばかりの美しさ」「内気」「臆病な心」「誇り」「虚栄心」
「おしゃべり」はアマリリスの特徴が由来とされています。
キツネノカミソリ ?
Lycoris sanguinea
彼岸花と同じく、葉より花が先に咲き、強い毒性があります
19世紀のイギリスにあったか不明
カンゾウ ?
ニッコーキスゲなどの仲間で、食用できます。日本では「ワスレグサ(忘れ草)」と呼ばれますが、花が一日限りで終わるためで、英語でもDaylily と呼ばれます
オレンジ系の萱草色は日本では古来から「別離の悲しみを忘れる色」として、喪に服す色でもあります
カンゾウの仲間のヘメロカリス
東アジア原産のヘメロカリスは、16世紀ごろヨーロッパに渡り人気の園芸種になりました
花言葉は、「宣言」「とりとめのない空想」「苦しみからの解放」「微笑」「一夜の恋」「愛の忘却」「憂鬱が去る」「憂いを忘れる」など

他に見える白や黄色の花は、よく分からないのでこのエリアはここまでにします


アイリス
アイリスの語源であるイリスは、ギリシア神話で虹を表し、神々のいるオリンポスから人間界、そして冥界まで、あらゆる所に行き来することができました。そこから、アイリスの花は死に関係するともいわれます
(詳しくはミレイ《オフィーリア》の花②)
ネモフィラ
野の花として、また春の庭の花として欧米ではとてもポピュラーな花です
花言葉は「あなたを許す」「初恋」「可憐」「清々しい心」「どこでも成功」など
ネモフィラには悲しい伝説があります
昔、ネモフィラという美しい女性に恋をした若者が「彼女と結婚できるならこの命を神に捧げます」と祈り続け、やがて2人は結婚します。
しかし、結婚式の夜、約束どおりに若者は死んでしまいました。
悲しんだネモフィラは、冥界へ行き夫を訪ねましたが、冥界の門が開くことはなく、彼女は門の前で泣き続けました。
それを哀れに思った神プルトンがネモフィラを一輪の青い花に変えました。
それがネモフィラの花というギリシア神話があります。
リナム ?
リネンの花です。茎の繊維からリネンが、種子からはアマニ油がとれます。
花言葉は「あなたの親切に感謝します」

スイセン
ギリシア神話のナルキッソスのイメージが強いスイセンですが、キリスト教では聖なる花です。
聖母マリアを象徴するユリの花に似ていることから「Lent lily」とも呼ばれ親しまれています
また、スイセンの花は枯野から早春に芽を出し咲くことから新しい命の復活や生命の再生を象徴します。そこからキリストの復活に重ねられ、イースター(キリストの復活祭)のシンボル的な花になっています
黄色く花房が小さめのスイセンをいくつかあげます
黄房水仙 グランドソレドール
茎に3~20個の花を咲かせ芳香があります
花言葉「私のもとへ帰って」 「騎士道精神」 「愛に応えて」
ナルキッスス・バルボコディウム
小型原種スイセンの代表的な種類です
早春に黄色いペチコートのような花を咲かせます
テタテート
ミニスイセンとして人気の種です
特に早咲きの種類です
ジェットファイヤー
中心部の色が濃く、《オフィーリア》に描かれたものも中心部が濃いオレンジに見えるので、絵に近いかと思います

セイヨウオダマキ ?
黄色いオダマキのようにも見えますが、葉の形状が違うように見えます
バラ
「五月のバラ」オフィーリアをあらわす
(詳しくはミレイ《オフィーリア》の花②)
上の3種の花は接点がありますが、バラは独立して描かれることから、まとめずに考えた方が良さそうです

冥界(死)に関係するアイリス。そして、冥界には入れずに死んで花となったネモフィラ、同じく花となったけれど全く状況は違う、ナルシストのスイセン
という、死から再生までのストーリーがある花が重なっています
そして、一輪だけ、孤独に漂うオフィーリア(バラ)が悲しげにうつります
花冠

足元に浮かぶ草花は、オフィーリアが摘んで作った花輪とみることが出来ます
しかし『ハムレット』の花輪をそのまま描くなら、図にあるような花々が入ると思うのですが、それらしいものは見られません
ミレイは、オリジナルの解釈で《オフィーリア》を描いており、花々についてもシェイクスピアの解釈とは違うということでしょう
この花輪にはカーネーションとみられるものが描かれます
カーネーションをナデシコとし、つまりはcrow-flowersと見立てているとも考えられますが、
古代ギリシャではカーネーションは神にささげる花冠に用いられたことや、冠飾り (coronation flower) に使われたことなどを踏まえて加えられているのかもしれません
また、それらのことから、この草花が、オフィーリアが作った花冠である と解釈できます。
アザミ

旧約聖書では楽園追放の時にアダムに向けられた神の言葉により、アザミは罪や、地上の厳しさ、辛さ、困難を象徴します。
また、アザミは棘があることからキリストの受難(棘の冠と重ねられる)のシンボルとなります。そして、磔刑に処されたキリストの釘を埋めたところからアザミが咲いたとされ、キリスト教の聖花ともされます
花言葉は「独立」「報復」「厳格」「触れないで」
川の向こう、ミソハギの近くにある個性的な植物は、アザミの仲間かと想像します
黄色っぽいので、紅花にも見えますが
サントリソウ というアザミの仲間の花ではないでしょうか
サントリソウ
和名 キバナアザミ
blessed thistle(ブレスドシスル:祝福されたアザミ)ともいわれます
古代ギリシアでは食用とされ胃腸の強壮、解熱、母乳の出を良くするなどに用いられ、中世ヨーロッパでは万能薬とされ、修道院で栽培されました。
セイヨウナツユキソウ

《オフィーリア》のいくつかの解説などに「ナツユキソウ」が出てきます
どれがナツユキソウか、分からないのですが、、、背景の葉っぱのどれかでしょうか?
ナツユキソウは
花や葉、根から甘い香りを発し、花からはアスピリンが採取されます。鎮痛、解熱などの効能があります。
花言葉は「親交」「清楚」「負けないで」「あなたを癒します」「仲直り」
ショウブ

ショウブは ショウブ科(もしくはサトイモ科)の水辺に育つ植物で、菖蒲湯に入れることでよく知られています
一般にショウブというとアヤメ科の花菖蒲がよく知られていますが、それとは別の種で、その香りと薬効から邪気を払うとされてきました
その花はアヤメのようなものではなく、ガマの穂のような形です
日本的な構図
全景に大きなモチーフを描き、その隙間や奥に目的のものを描く構図は、とても日本的とみることができる
絵を切りとると、そんなにショウブの存在感を出さなくても良いのでは?というぐらい、前景のショウブが主役であるかのような緻密さで描かれています。
が、主役は、その奥のオフィーリアであり、見せたいものは前景越しのものです



このように前景に描いた対象のすき間などから、別の目的とするものをみせる構図は浮世絵によくみられます
ヨーロッパでの「ジャポニスム」と呼ばれる日本趣味の風潮は、日本の物品だけでなく、絵画などの表現や美意識なども影響を与えたといわれています。《オフィーリア》が描かれた頃は、まだジャポニズムブームではないと思うので、ミレイが影響されたとは考え難いのですが、《オフィーリア》には他にも、日本的と感じる点があります
日本的美意識
《オフィーリア》は水の流れに沿って進行方向が右から左へ進む描き方がされます。これは、日本の絵巻や屏風では当たり前なのですが、西洋のローマ字文化では、左はじまりであるため、ちょっと珍しい導線となります
表情から感情背景を思案する。
描かれものから心情などを想像する。
鑑賞者が画面に見えていないものを想像するというのは、とても日本的な美意識と考えます。日本では、想像したり余韻に浸る空間として「余白」をあらわしますが、他国の美術において、そのような表現は見られません。
しかしながら《オフィーリア》には、表情やポーズ、草花などから「目には見えないもの」を思案させる仕掛けがされているようです。
このように、鑑賞者に思案させる余地を与え、余韻に浸るような表現は、日本美術の得意とするところと考えます
また、花言葉やシンボル的な意味などから、更に鑑賞者が想像を広げるということは、アトリビュートとは全く違う日本的美意識ににたものであると考えます
注! オフィーリアがが日本的ということではなく、日本的感性と似た部分がみられるということです
象徴主義
ミレイらが立ち上げたラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood)は、ラファエロに代表されるルネサンス盛期以降の絵画表現への反発を掲げた若者の集まりです。
彼らはその頃イギリスでブームとなっていた、ゴシックリバイバルの気質に同調し、特に中世やルネサンス初期のフラアンジェリコなどに傾倒しました。その中で核となったものが「自然をありのままに再現する」ことでした。
ミレイの表現は自然の再現とともに「内なるもの」も描き表そうとします。
そのような「自己の内面に対する関心の表現」が《オフィーリア》にも往々にみられます。
ミレイのように「目には見えない内なるもの」を表そうとする流れを「象徴主義」と呼びます。
19世紀後半にフランスやベルギーでおこったとされ、「人間の苦悩や不安、運命、精神性や夢想などの形のないものを、神話や文学のモチーフを用いて象徴的に描く」というもので、まさにミレイが描き出そうとしていたものです。
(象徴主義とラファエル前派については長くなるので、詳細はここでは省きます)
《ヴィーナスの誕生》との比較
左下に描かれている葉はショウブではなく、ガマの可能性もあります
水辺にある植物で似たようなものとして、葦もありますが、画中のものは水面から立ち上がる葉の様子から、葦の可能性は低いと考えます

ガマの穂はボッチチェリの《ヴィーナスの誕生》で、同じように画面左下に描かれます
そのガマは「その形状と無数の種をもつところから、男性器を暗示していると考えられます(岡田温司『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待」)
ここで、《ヴィーナスの誕生》と《オフィーリア》っていくつか共通点がある!と思うのですが、、、

ミレイは《ヴィーナスの誕生》をオマージュした?とは、ルネサンス拒否界隈のミレイには無いだろうと思いますが
2枚の絵を比較してみると、色々な発見があります
・左下のショウブとガマ
・水という共通点
水(川)の中へ死んでゆくオフィーリアと、水(海)から生まれたてのヴィーナス
・中央の主人公が全身像
オフィーリアは寝ているがヴィーナスは立っている
・静と動
《オフィーリア》が静かに淡々と時間が進むような表現と対照的に《ヴィーナスの誕生》は中心人物も背景も、とても動きがある表現
・覆い被さる柳(追悼のシンボル) と誕生を祝福して覆われる布(左手のゼフィロスと合わせて弧を描くようにヴィーナスの上を覆う)
・ピンクのバラ 沈んでゆく5月のバラ(聖母マリアのアトリビュート)と、祝福されるように舞うピンクのバラ(ヴィーナスのアトリビュート)
などなど、これらから、2枚の絵はオフィーリア(聖母マリア的乙女)とヴィーナス(旧約聖書のエバをあらわすという見方がある)という対比として観るのも面白いと思います
そして、《オフィーリア》にはモデルを務めたエリザベス・シダルが投影されているとするなら、シダルは聖母マリア的な面と、美の女神ヴィーナス的な面を持つ女性であったことを表している。
とは、妄想が過ぎるでしょうか
もし、オフィーリアにシダルを重ねて表現したとしたら、色々と違うものが見えてきそうです

が、その結末を知っていると、どうしても悲劇的なシダルの姿を重ねて見てしまいます
その視点からみると、オフィーリアの表情は、
薬の中毒者がトリップしてしまった時の顔に見えてしまいます
まとめ
伊藤若冲の動植綵絵は仏への荘厳でもあり、身内の永代供養を願うものでもあったといわれます。30幅にはそれぞれにテーマ別の動植物が描かれ、この世の森羅万象をあらわすようです
オフィーリアに描かれた花々にも鎮魂や死者に捧げるというような意味があるのかもしれません
ミレイは「オフィーリア」というお題に、独自の解釈で別のものを表したと考えられます。
それは、物語を彩る説明的な絵ではなく、ミレイ自身の思惑や、見えない内なる感情などが映し出されているのでしょう
《オフィーリア》を描くにあたり、ミレイは、その悲劇的な運命を知っていたからこそ、画面には結末へ導くための要素が描き込まれています。
それを鑑賞するにあたり、私自身は、ハムレットのロマンス要素やオフィーリアの気持ち(私目線)、死ぬ運命、ということを念頭に花言葉やシンボリズム、はては花の種類の選別も、私の解釈に寄せるように選びました。が、それが正解だとは思っていません。ましてやミレイが同じような意図で描いたとは到底考えられません
どのような意図で描いたのかなということは、ミレイに直接尋ねる事が出来ない以上、鑑賞者が思案するしかなく、そこには、作者が思いもよらなかった解釈があるかもしれませんが、それで良いのだと思います。
美術は自由
絵でも彫刻でも、または音楽や詩、物語など、「作品」といわれるものは、作家の手を離れた時から鑑賞者の自由なのだと考えます。
作者が、こう感じて欲しいという意図を無視することは出来ませんが、それが100%伝わるというのは難しく、100%受け止めるというのも不可能でしょう。人は全て違うのですから
祭壇画のように、「物語の説明」を主とするものは、そこにあらわされた内容を理解する事が目的となりますが、それより込み入った内容(目には見えない、内に込められている感情など)を読み解く場合は、絶対正解は無いと思います。そして鑑賞者からすれば、そのように思案する事が楽しみのひとつなのだろうと思います
特に象徴主義の絵画は、ギュスターブモロー(1826- 1898年 フランスの象徴主義の画家)曰く「私は目に見えないものと自分が感じたものだけを信じます」といわれるように、「見えないものから得られるもの」が表現されるため、難解でもあるでしょう。
正直、現代美術とか、作者の思いが入りすぎていて、逆に難解になっていたりもしますが、それだけ作品に自由に個人の思いが入っているという事で、それをみて何を思うかも自由であると思います。そして分からなすぎて苦痛なら、みるのをやめるのも、鑑賞者の自由であると思います。
以上で「ミレイ《オフィーリア》の花々」は終了とします
本当にここまで長々とお付き合いいただきありがとうございます
当初は、スミレとヤナギについてnoteしようと考えていてネットにある情報をチョイチョイとまとめるという、簡単なものの予定でした。が、情報をみればみるほど、そうなのか?ということが溜まってしまい、結局こんなに長々としてしまいました。
何度も記しますが
私は英文科出身でもなければ、人生でシェイクスピアに、ほぼ触れてきていません。そして、美術史を学んだといっても、日本の限られた分野のみで、西洋美術に関しては、概論でザザーとみた程度しかやってきていません
今回、改めてラファエル前派とか、その頃のヨーロッパ美術史とかを見ましたが、、、勉強が足りな過ぎることを痛感しました
今後は、この苦手分野の勉強も進めてゆこう!と思ったところです
ありがとうございました
文中に参考などにしたものの詳細は省きます