センチメンタル・ジャーニー
僕はもう44歳になっていた。
そうかぁあ、44ねぇ。へぇ。
今日が誕生日というわけではないのだけど、ふと自分の年齢が文字で書かれた印刷物を目にしたときに、なんとなく、「へぇ」と心のなかでつぶやきが漏れた。
血気盛んだった20代の頃からすると、近そうに見えても、だいぶ遠い未来だったはずの40代。それも中盤、あと一歩でいわゆるアラフィフへ突入だ。
まあ、当たり前のように迎えるんだよね。当たり前。
当たり前って何かな? 定義は人それぞれで、自分の感じ方次第だったりもするし、他人がどう見ているかにもよるのかな。
事故や病気などで若くして亡くなる方も少なからずいらっしゃることを考えると、当たり前のように44歳という年齢を迎えたことには喜びを感じるべきなのかもしれないけれど、大きな判断ミスは過去の人生においてなんどもありはすれ、生死に関わることでいうと、幸いにもそのようなオオゴトに見舞われることなく安穏と生きてきたもので、その価値を感じられないままでいた気もする。
今は想像していた40代? それともかけ離れている?
ありきたりだけど、そんな質問を自分に投げかけてみる。
思えば、とっくの昔に、自分の未来を描くことなんてやめていたような気もしていて、今この瞬間が過去思い描いていた未来の姿と比べてどうかという問いには、あまり正確には答えられなさそうだ。
まあ、もっと無邪気に、「ギターヒーローになる!」とか、「大物政治家になる!」みたいなことをいけしゃあしゃあと公言していた頃のそれと比べると、ニヤリと口もとが緩んでしまいそうなほど、かけ離れてはいるけれど、いまだに少年のような無邪気な願望を抱えたままの大人にはなっておらず、現実的に前を見てここまで来ているもので、特に「想像と違う! どうしよう」なんて今さら焦ったり後悔したりするようなことはなく、また「いまからでも遅くない」と、一念発起して云々カンヌン……みたいなサクセスストーリーも起こることはない。
現実的。
じゃあ、現実的には未来についてなにか考えていたの?
もっと一般的な表現をすると、人生の将来設計ってやつだ。
正直なところ、そういった計画をしたことがない。いついつまでに結婚して、子供を何人作って、家を買って、貯金をいつからどのぐらいの金額で始めて、いつまでにいくらぐらいになっていて、保険は? 職は今のまま? それとも転職? 投資は? 住まいは何を重視する? 親の老後はどうする? なんてね。
もっとも、考えたってどうにもならない身の回りの状況で、その日その日をやりくりするのに精一杯だった時期がえらい若い頃から結構長く続いてしまったという理由もあるのだけど、そういったコトも含めて、どれもこれも長期的なことなんてな〜んにも考えてこなかったもんだから、そりゃあ比較対象なんてあるわけがなく、ないアタマを無理矢理にひねって何か声を発するのだとしたら、嫌で嫌でしょうがないことが今この瞬間にあるのかないのか、その日にやりたいと思ったことを阻むようななにかに行動を制限されていないか、いいえぬ不安に怯えたり、自分では解決できないストレスを抱え込んでいないか、そんな程度のことから推し量るぐらいに落ち着くわけで。
未来のことなんて何も考えない=その日その日を気ままに生きる。
そんなところだけ、「どう? ロックだろう」と妙にカッコ悪いセリフを免罪符にしているのだけど、それはそれで、自分的には満足していたりもするもんだから、襟を正してどうのこうのということもない。
そんなロックな生き方をしていると、今さら自分の身に何かが起こったとしても「へぇ、そういう方向へ行っちゃったか。で、次の展開はどうなるんだろう?」と、どことなく他人目線で、まるで小説を読んでいるかのような感想にいたることになる。
焼酎はロックよりウーロン割が好きです。