顔見知り
友達ではないし、名前も互いに知っていたり知らなかったりはするが、顔は認知していて挨拶や簡単な雑談程度をする間柄。
顔見知り。知人という定義よりもさらに薄い関係。
たとえば、行きつけのカフェの店員と客。
馴染みのBarの客同士。
毎朝同じ時間のバスを待つ乗客たちみたいな関係。
なにがしかの行動の過程において、目的とは別のところで定期的に接触があるような人との間柄は、そういう関係になりやすい。
その関係は、なければないで特別に困ることはないが、いざなくなってしまうと、薄っすらとではあるが寂しさも感じるようだ。
しかし連絡先を知っているわけでもなく、会えなくなることを事前に伝え合う間柄であることも稀な希薄なもの。
生きる過程において、不必要なコミュニケーションを徹底的に排除するべく、用件のない相手との接点をもたないように生きる人も多いようだが、自分の場合はそうでもないようだ。
元々、人見知りを自認しており、特別に興味のわく人物を除けば、こちらから積極的に声をかけるようなこともなかったのだけれど、いつからか、多少の接点やきっかけが見つかると割とフレンドリーにぺちゃくちゃと話しかけているのに気づく。
趣味の世界や仕事上で何かしらに得意な分野を持つ相手であれば、特に必要にかられるわけでもなく、ふとした他愛もない疑問をぶつけてみることもあれば、最近あった身近な小ネタを披露して、刹那的な楽しい雰囲気を楽しむこともある。自分のトークスキル向上に熱心な人であれば、そういった小ネタを本番で話すための練習相手として、顔見知りに初おろし披露するようなこともあるかもしれない。
重要なのは、そもそも会話が求められている空間ではなく、目的や目標が明確にあるわけではないという前提であるのだから、会話を行うことで不快感を持つようであれば、無理に自分から言葉をつむぐこともないし、相手のそれに耳を傾けつづける努力をする必要もないということだ。
ようするにお互いにとって少しだけ都合の良い存在であり続けるのが暗黙の了解であり、礼儀でもあるのだよということだ。