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障害は「かわいそう」ですか?

会社で感じた違和感

苦手なことに取り組むのはかわいそうなことなのか?

 以前書いた通り、私は発達障害で障害者雇用で働いています。
主な仕事内容は営業アシスタント業務です。
 最近、とある同僚に「営業アシスタントは電話応対等も必要で、人とのコミュニケーションが欠かせない部署なのに、なんで茶々子さんはこの部署に配属になったんだろうね?かわいそうって心配する意見もあるんだよ」と教えてもらいました。
 もちろん、この同僚も、かわいそうと心配する人にも悪気がないのはわかっています。ですが、私はこの「かわいそう」という言葉に違和感を持ってしまいました。

苦手なことにもやりがいを感じてしまう矛盾

 私はたしかに電話応対も苦手ですし、不特定多数の人と誰とでも円滑にコミュニケーションをとれるような人間ではありません。
 ですが、営業アシスタント業務を「部分的に少しつらいな~」と思ったことはあれど、「この業務から外れたい」と思ったことは一度もないんです。
 むしろこの業務が好きか嫌いかで言ったら好きです。
 電話応対を含むコミュニケーションも、もともと苦手だと自覚しているからこそ自分なりの手を打とうという気になれますし、苦手だと分かっているからこそ、上手くいったときは少し難しめのゲームにクリアしたような、達成感すら感じることができています。

コミュニケーションが苦手なのに、人とつながりたい葛藤

出勤日のランチでイヤホンをしていない理由

 私は社内でお昼ご飯を食べるときにはイヤホンをしません。
少し本当に「かわいそう」(笑)なことを言いますが、私には社内で気軽に雑談できるような同僚が一人もいなくて、誰かが声をかけてくれるかもしれない1%の可能性に期待しているからです。

頭の片隅に置いてもらえたら嬉しいこと

 障害の有無に関係なく、皆さんの周りにも、「自分から積極的に話しかけるのは苦手だけど、関わるなオーラは出さないように心がけている」私のようなめんどくさい人がいるかもしれません。
 気づくのは難しいと思いますし、気づいたとしても何かしてあげてほしいと言うつもりはありません。皆さんにそんな義務はありませんし(笑)
 しかし、彼ら・彼女たちには悪意があるわけではない(可能性が高い)ことを知っておいてもらえたら嬉しいです。
 それに追加で、苦手なことに取り組んでいる人は必ずしも自分自身をかわいそうと思っていなかったりする(場合も意外とある)ことを知ってもらいたいです。

今回も読んでくださりありがとうございました!



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