
僕とクルマの事 #1
クルマが好きだ。
小学生の頃に空前のスーパーカーブームを経験している事もあるが、それより我が家にクルマがやって来たのが比較的遅かったと言うのも大きな理由になっていると思う。僕の父親は郵便局員で原付の免許しか持っておらず、外出はバスか近所のおじさんの車に相乗りだった。小学生にとって「ウチのクルマ」というのは欲しくて欲しくてたまらない存在だったのである。すでに所有しているのならそれを受け入れるしか無いが、我が家の車がこれからやって来る、という状況ではウチにはどんなクルマがいつ来るのか、僕は夢と希望で相当頭デッカチになっていてクルマの車種などの知識は当時の小学生以上のものを持っていたに違いなかった。それでも親父が運転免許を取る気配は無く、ようやく30代後半になっていた母親が父の代わりに運転免許を取得したのは僕が小学校に上がってしばらくした頃だった。
ちょうどその頃、スカイライン(いわゆる箱スカである)に乗り換えた叔父から譲ってもらったKE10型カローラが我が家の初マイカーとなった。中古とはいえ車好きな叔父が大事に乗っていて綺麗なクルマだった。時は1970年代、自動車保有台数が2000万台を超え一家に一台という時代を迎えようとしていた頃だった。
このカローラで我が家はよくドライブに出掛けた。思い出は高速道路から見る富士山、朝霧高原の景色、伊豆の山道、タッパーいっぱいに持って行ったおにぎり、ドライブインやレストランの食事…。僕にとってクルマはメカとしての対象でもあったがそれよりも家族との思い出や、初めて見る景色といったクルマを通して経験する様々な出来事の方がより印象深く記憶に残っているのだった。
数年後、我が家のクルマは同じカローラの30型になった。我が家初の新車である。ボディタイプは母の好みで2ドアハードトップ、アイボリーというよりクリーム色に近い車体色だ。このカローラはスタイリッシュで、スーパーカーブーム真っ只中にいた僕も子供ながらにカッコいいなぁと思ったものである。しかし、このクルマは僕が小学生高学年から中学生にかけて我が家にあったものだから、反抗期やらなんやらで学校で悪さをして親子で呼び出され、帰り道の車中でお袋にこっぴどく叱られたりと苦い思い出とも重なるので、僕の記憶の中では微妙な立場でもあるのだった。
そして五つ上の兄が免許を取りカローラがほぼ兄貴専用となった頃、母が新たに手に入れたのがスズキのセルボSS20型だった。当時は初代ソアラが発表され、ハイソカーブームがすぐそこまで迫っていた時代である。僕は高校生で、この小さなクルマの助手席に乗るのがとても嫌だった。街でクラスメイトを見かけようものならシートを倒して隠れる有様だった。
それでも大学生になり運転免許を取得すると、この小さな「スポーツカー」は運転を覚えるのに最適なクルマでもあった。すでにバイクにも乗っていたのでスピード感はそれなりに養われおり、2スト550ccエンジンとゴーカートのような乗車感は僕をすっかり虜にしたのだった。
その後我が家のクルマはEP71型、いわゆる「かっとびスターレット」となり、このクルマでも散々走りまくって遊びまわり、彼女(今のカミさんだ)も出来て僕はようやく自分のクルマを手に入れる事になった。
KP61型スターレットから始まる僕のクルマ遍歴のスタートである。