バイク短編小説〜越川橋梁にて〜
ひとりになって
この春僕は数年ぶりに独身に戻った。
お互いにフリーランスという立場の僕たちふたりは「夫婦」というより互いの仕事を尊重しつつ、干渉し過ぎず、依存もしない良きパートナーであった。しかし僅かな接点である「暮らし」の中で相容れない部分が少しづつ、本当に少しずつ見えて来てしまったのだった。どちらかの不義理であったり、経済的な問題など明確なひとつの大きな理由がない代わりに、どこをどうすれば2人の関係が改善できるのか出口の見えない中で出た結論はこの関係を解消する事だった。これを円満離婚というのかどうか、ともあれ僕たち2人は互いを責めたり感情的に取り乱したりすることなく、静かにそれこそ周りの誰も気が付かないくらい自然に別々の道を歩む事になった。
2人で工房兼住宅として使っていた賃貸の古い一戸建ては僕がそのまま使う事にして、クルマは彼女が持って行く事になった。彼女はこのクルマに乗ると遅いとか暑いとかブツブツ文句を言っていたけれど、僕がしっかりメンテナンスしていたから売ればきっといい値段が付くよ、そう言って彼女にキーと書類を渡したのだった。家が残るのではっきりとした期日の無い別れに少しだけ違和感を感じつつ、それでも彼女の新居が整ったある日、古いミニのカントリーマンに身の回りのものを詰め込んで彼女は出て行った。
「何か忘れ物があったら取りにおいでよ、勝手に入っていいから。」
そう言って僕は彼女から家の鍵を預かりはしなかった。こういう時、狭いと思っていたこの家も案外広んだと気がついた、という話をよく聞くが、改めて家の中を見回すと以前とあまり変わらなかった。そうか、僕は仕事もプライベートも持ち物が多く片付けが苦手でこの家のスペースのほとんどは僕が使っていたんだ。そう思ったら急に彼女に申し訳ない気持ちが今になって湧いて来た。
僕の仕事は古い家電の修理だ。
工業系の大学を卒業し家電メーカーのアフター部門で働いていた頃から古い家電は趣味で集めていたのだが、会社の方針で僕のいた部署が縮小される事になり、8年勤めた会社を辞め思い切って独立したのが5年前の事だった。退職前からフリーマーケットに出店して修理の済んだ家電を販売し、ジャンクヤードを回って部品のストックを集めていた事、レトロ家電の掲示板に投稿していた事などもあって、仕事は広い範囲から少しずつ依頼が入るようになって行った。そんな時同じマルシェでたびたび近くに出店していた彼女と知り合ったのだった。
彼女はシルバーやレジンを使ったオリジナルのアクセサリーなどを作っていた。マルシェではオリジナルのアクセサリーを並べていたが、普段の仕事は別注品の製作が多く、ブライダルや美容関係の仕事はもちろん、パン屋さんからのオーダーで作ったオリジナルの菓子パンをモチーフにしたイヤリングなどのシリーズが評判で隠れた人気作家のようだった。
こういった仕事を生業とする場合、パートナーのどちらかが安定した職業に就いていた方が良いと思うのだが、どちらかが犠牲になったり負担を強いられたりせず、お互いを尊重しつつ共同で生活する事を僕たちは選んだ。とは言っても今のままこの仕事を続けて行けるのだろうか、好きなことだけやって家族を養い家庭を作り上げて行けるものなのだろうか、漠然とした不安が無いわけではない。それでも作業に入ればそういったしがらみも忘れて没頭し、メール、FAXによるオーダーに喜び、日々は過ぎて行った。
ふたりの仕事は親和性があまり無く、互いの干渉を最小限に抑える事ができる反面、協力関係や切磋琢磨といった相乗効果も少ない事にある時気づいた。ふたりで同じ道を歩み、作風がそれぞれ違うとか、または機織りと染色とか、陶芸とフラワーアレンジとか、ふたりで協力できる仕事だったらどうだろう。それはそれで意見の食い違いや衝突もあるのだろう、結局はふたりで生活するという事は同じ事柄をふたりそれぞれの価値観の中でどうにかして消化して行く事なのだろうと、諦めでは無いけれど今の状態になるべくしてなったと僕は思う事にした。
再びバイクに
ミニが居なくなってしばらく経った頃、うちの車庫(といっても納屋と言ったほうが良い古い木造の建屋だが)に新たにやって来たのは古いバイクだった。近場の足に自転車でも、と思って覗いた自転車屋ともバイク屋ともつかない店の奥にそのバイクは置いてあった。
「これは売り物ですか?」
と聞くと、高齢の店主が乗りたいなら譲ってもいいと言う。
「でもこれ初期型ですよね、今は価値が上がってますよね?」
とさらに聞くと、自分の持ち物だったし、しばらく乗っていないからと言い、今の相場の半分以下の値段を言うのだった。うちはバイク専門じゃ無いから、修理も車検も自分でやればいい、書類もあるからすぐに持って行ってもいいよ、と。
年寄りを騙すつもりもないが、これを好意と受け取って僕はすぐにお金を用意してバイクを取りに行った。家まではお店の軽トラックを借りて自分で運んだ。
こうして我が家に1978年式初期型のSR400がやって来た。マコマルーンのタンクは若干艶が引けているが傷へこみも無く状態は良い。ガソリンを入れ替えてキックを数回踏むとエンジンは呆気なく始動し、元気な排気音を響かせた。念の為キャブレターをオーバーホールし、得意の電気系統は配線を全て自分で引き直した。ひび割れたタイヤを交換して仮ナンバーを手配し、陸運局へ持ち込み無事車検を取得。ナンバーも同じ管轄なので古いプレートがそのまま使えたのも嬉しい点だった。
ミニの代わりに仕事にも使える古い軽トラックでも買おうと思って用意していた資金でバイクを買ってしまったものだから、それからの僕は多少難儀しながらも普段の足としてSRを走らせた。部品の買い出し、宅配便の持ち込み、スーパーへの買い物などなど。それでもなんだか学生時代に戻ったようで楽しく新鮮ではあった。
マニアではないけれどそれなりに好きだったバイクを就職直後に手放したのは何故だったんだろう?ある日久しぶりに実家に向けてバイクを走らせながら考えていた。たしか会社の寮に入って駐輪場が狭かった事、希望の部署に配属されて仕事が忙しくも楽しく、同期の仲間と入った会社のロボットサークルが楽しかった事も思い出した。それにしても、なんであの時手放しちゃったのかなぁ。
学生時代はゼミも忙しくて、お金も時間も無くてバイクでロングツーリングにも行けなかった。文系の友人はお金は無くても時間はあったから、夏休みには北海道ツーリングに行っていた。三鷹のアパートでウジウジしていた僕は彼らの土産話をただただ羨ましく聞いたのだった。
この日実家に帰ったのは、当時のバイクグッズを探すためだった。すると使っていた部屋の押し入れからジャケットやバッグなどが出て来た。皮の手袋はカビでカピカピになり、ヘルメットは中からスポンジがバラバラと落ちて来た。まぁ、そんな事だろうとヘルメットと手袋は今回新調したのだけれど。買い出しの時に使えるんじゃないかと目論んでいたツーリングバッグは比較的綺麗な状態だった。ナイロンのレインカバーは内側が加水分解でボロボロだったけれど、これはまぁいい。思ったより大きいバッグを持っていたんだなぁ、そう思ってバッグを広げていると、中から一冊の小冊子が出て来た。
「疾駆北駆’す倶楽部」という北海道ローカルのライダー向けの小冊子だった。どこかの古本屋で見つけたのだろう、A5版の小さな誌面にはキャンプ場やライダーハウスの情報、旅のノウハウなどが詰め込まれていた。リアルタイムの情報源としてはまったく役に立たなかったのだが、スマホ(というか携帯自体)が無い時代のライダーはこうやって北海道ツーリングをしていたのかと、アーカイブ的な読み物として隅々まで読み耽った事を思い出した。そうだ、別の大学に行った幼馴染とふたりで学生最後の夏休みに北海道ツーリングに行こうって話をしていたんだった。あいつは教育学部でまだ時間に余裕があったはずなんだけど、単位がとか教員採用試験がとかで、僕は僕でなかなか内定が出なくて結局行けずじまいだったんだ。
買い出し用にと思って探したツーリングバッグが変なところで僕を刺激し始めていた。季節は夏、理由はともかく、バイクと自由な時間はある。
「そうだ、北海道に行ってみよう。」
バイク用品を漁る僕を見てお袋は
「あんないいお嫁さんを捨てて自分勝手なことやって、典型的なダメ男だよ!」
と本気で怒っていた。
一週間ほど不眠不休(いや、大袈裟では無く)で預かっている修理依頼品を前倒しで修理、発送してホームページには少しの間お休みをしますと断りを出し、工房の留守電にメッセージを吹き込むと僕は北海道に向けて旅立った。初日は仙台まで。そこからフェリーに乗り、北海道に渡る予定だ。
北海道上陸
翌日の昼前、フェリーは苫小牧西港に到着した。今回のツーリングでは定番の最北端では無く、最東端の納沙布岬を目指す事にした。理由は特にない。学生時代に友人から聞いた釧路のワイルドな野営場や野付半島とやらの最果て感が何となく印象に残っていたからだ。
フェリーを降りてしばらくは港湾地域独特の荒涼とした中の一本道を走る。そこから内陸部に向けて進路を変えるとようやく北海道らしい風景が広がってくる。Rの大きなコーナーが続き信号はほとんど無い。川沿いの道は勾配も緩やかで非力なSRでも快調に飛ばす事ができる。初日は初めての北海道という高揚感もあり、午後だけで200km以上も走り、帯広の少し先のキャンプ場に辿り着いた。心地良い疲れと共にコンビニの惣菜と少しのお酒で自分に乾杯をした。
2日目、釧路湿原を通り次の目的地霧多布湿原に向かっている道中だった。僕のもう一つの趣味、ホーロー看板と古民家写真の被写体にドンピシャの家屋が目に入った。牧場というにはこぢんまりとした規模の畑と草地、道路沿いの納屋は赤く錆びたトタン屋根に白茶けた羽目板。聞いた事もない保険会社のホーロー看板が2つ並んで張り付いている。
SRを置いて撮影したらいい写真が撮れそうだ。
僕はバイクを停め、敷地の中を伺った。ひと気も無いのでチャチャっと写真を撮る事もできそうだが、空き家と違って人が住んでいる物件は断りを入れるべきだろう。
「すみませーん。」
中に向かって声をかける。すると母屋から作業着姿の若い女性が出て来た。若いと言っても僕と同じ30代半ばくらいだろうか。
「何か?」
「すみません、ツーリング中なんですが、可愛いお家なのでここで写真を撮らせてもらえませんか?」
僕がそう言うと
「可愛い?この家が!」
と彼女は笑った。
「SNSとかには上げずに自分で見るだけなんで。」
「どうぞご自由に。」
彼女はそう言って母屋に帰って行った。
バイクの位置を調整したり、三脚を立てたり、なんだかんだ時間をかけて数枚の写真を撮った僕はもう一度母屋に声をかけた。こう言った時の謝礼用に狭山の親戚が作っているお茶をいくつか持参しているのだが、そのうちのひとつを手渡した。
「そんな事しなくていいのに。」
彼女はそう言うと、時間があるならお茶でもどうぞと招いてくれた。7月初旬の道東にしては暑い日だったので僕は図々しくもお茶に呼ばれる事にした。彼女は冷たい麦茶の入ったピッチャーとグラスを縁側に用意してくれた。
「東京から?」
SRのナンバープレートを見て彼女が聞いた。
「一応ね、五日市って田舎の方なんだけど。」
僕が言うと彼女は川崎出身で短大を卒業してすぐこっちにお嫁に来たの、と言った。
「若かったから、て言うか幼かったから、イメージ先行で憧れだけでね。」
友達と旅行に来た北海道にすっかり魅せられて、在学中に釧路で行われたお見合いイベントに参加して今の旦那さんと知り合ったこと、旦那さんは牡蠣漁師で、自分は海の仕事は手伝わずに家の畑と鶏の面倒を見ているとも。
「牧場にお嫁に行って、馬の世話とかね、カッコいいなーなんて思っちゃたんだよねぇ。」
田舎とは言えトーキョーに住んで、勝手気ままな生活をしている僕には彼女にかける気の利いた一言が浮かんで来なかった。
「で、今日はどこまで行くの?」
彼女に聞かれ僕はここから少し先のキャンプ場の名前を言った。
「あー、あそこね。止めた方がいいよ。」
と彼女が悪戯っぽく笑う。牧場に併設のキャンプ場で評判もまずまずなのだが、それが癪に障るらしい。もうじき日も暮れるし、だいたい明日は雨よ、ウチに泊まっていけばいいじゃないと言う。
「それはさすがに、だってご主人も帰ってくるでしょ?」
「息子の柔道の大会で今日から明後日まで札幌に行ってんの。全道大会なんだから、たいしたもんよ。」
と笑う。いや、そう言う事じゃ無いんだけど。でも彼女のおおらかな雰囲気に好感を持った僕は
「本当にいいんですか?」と聞いた。
「いいよう、同じ屋根の下じゃ無いし、アタシの趣味の離れがあるからそこを使ってくれればいいよ。夕飯はご馳走してあげるから。」
僕の下心が少しだけ見えたのか彼女はもう一度悪戯っぽく笑い、それでも近所の目があるからバイクを納屋の中にしまうよう僕に促した。
厚岸の夜
旅先でこんな展開があるものなのか、ロングツーリングはいいぜ、人との出会いがあるからと言っていた文系の同級生たちもこんな思いをしていたのだろうか?僕はそんなことを考えつつバイクから荷物を下ろし、彼女の離れに向かった。
離れは2×4材を使ったキットガレージを改造したもので、アーリーアメリカンな雰囲気に装飾された可愛らしい建物だった。中はフローリングでソファーベッドと机、ミシンが置かれていた。ミシンとその横にある棚、そしてソファーベッドにかけられたカバー類を見て彼女の趣味がキルトだとすぐに分かった。
母屋で風呂を借り、さっぱりしたところで夕飯に招かれた。
「牡蠣は大丈夫?」と聞かれて
「もちろん、むしろ好物で。」
と答えると彼女は良かったわー、これしか無いんだもんと笑った。ビールで乾杯をし、目の前で捌いてもらった牡蠣を食べ、旦那の知り合いが作ってんの、と出されたウイスキーも頂いた。
ふたりの食卓は杯も会話も進んだ。古民家やホーロー看板、建築遺構などの写真撮影が趣味で国内のあちこちにドライブの経験がある僕の話、まぁ大抵は失敗談なのだが、そんな話に彼女は興味津々で耳を傾けていた。学生時代はあちこちに旅はしたものの、北海道に嫁いで以降は自然相手の仕事や動物との生活で思うがままにならず、気がついたらこの歳よと彼女は自虐的に呟いた。
「今からでも遅くないよ。あの可愛いキルトを持って、みんなに見てもらえる場所に行けばいいじゃん。」
そんな僕の軽口に彼女は氷だけになったグラスをカラン、と回し横を向いたまま何も言わなかった。
楽しい話、失敗談、愚痴、美味しい海の幸、お酒、そしてほんの少しの艶のある会話で僕も彼女も強かに酔った。何時頃だったろうか、気がついたら僕は今夜の宿である彼女のアトリエのベッドに横たわっていた。木の家とキルトのほのかな暖かさに包まれ僕は深い眠りに落ちていった。
バイクに乗っていた。
どこを走っているんだろう、排気音は聞こえない。何も操作していないのにバイクは緩やかなカーブの下り坂をスーッと走り抜ける。まるで自転車に乗っているみたいだ。
カーブを抜けたところで路肩に蛇が見えた。白くて結構な大きさの蛇だ。このままだと轢いてしまう、そう思って進路を変更しようとするのにバイクはそのまま進もうとする。くわえて蛇もこちらに向かってスルスルと近寄ってくるではないか。
轢いてしまう!そう思った瞬間、蛇が僕の左足に絡みついてきた。先程見たのよりずいぶん大きくなっている、大蛇と言っていいサイズだ。
「うわわ」
僕は蛇を払おうと手を伸ばすが蛇は離れようとしない。生温かい感触が僕の下半身を包む。ふと足元を見ると何故か牡蠣がひとつ落ちていた。こんな状況なのに僕は何故だかその牡蠣を拾おうとさらに下に手を伸ばした。バイクに跨ったままなのでバランスを崩しそうになったところをさらに後ろから誰かが押す。
「押すなよ、押すなよ。」
必死で叫ぶが何かに口を塞がれていて言葉が出ない。
「んんん…」
瞬間、ふわっと無重力になったかと思ったら僕はそのまま前のめりにバイクから転がり落ちた。
ドンっという音と膝の痛みで目が覚めた。
何の事はない、僕は夢にうなされてソファーベッドから転がり落ちたのだった。いつ明かりを灯したのだろう、キャンドルにぼんやり照らされた時計を見るとまだ時刻は午前2時過ぎだった。傍らのペットボトルの水を一口飲んでぼくはまた眠りについた。
それからしばらくして、カーテンから差し込む朝日で目が覚めた。時計を見ると6時少し前だったが、ひと晩の居候が寝坊しては格好悪いだろうと、僕はさっと着替えをすませ洗面道具を持ってドアを開けた。アトリエの入り口には僕のものでは無いサンダルが置いてあり違和感を感じたが、そのままそのサンダルを突っかけて僕は母屋に向かった。
「おはよー!」
彼女は昨晩のしんみりした横顔ではなく、最初に会った時のような明るい顔で僕を迎えてくれた。
「ちゃんと寝れた?」
「あ、おかげさまで。なんか変な夢を見てベッドから落っこちたけど。」
そう言うと彼女は
「うなされてたの、母屋まで聞こえてたよ。」
と笑った。
「えーっ!」
驚く僕に彼女は
「嘘々、この距離で聞こえるわけないじゃん!」
と大きく笑った。
手作りのピザトーストとコーヒーの朝食を頂き、僕は出発の支度を始めた。納屋で荷物をバイクに乗せていると彼女がやって来た。
「今日はどこまで?」
僕は荷物を固定するストラップを締めながら
「越川橋梁って未成線の橋梁を撮影したいんだけど、ナビに詳しい場所が出てないんだよね。」
と答えた。
「あー、国道沿いだからすぐ分かるわよ。」
彼女はそう言うと
「分かりにくい場所だったら後ろに乗って一緒に行ってあげるんだけど、そうしたらマディソン郡の橋になっちゃうね。」
と笑った。
「クリント・イーストウッドの?」
「そう、したらアタシがメリル・ストリープ。」
「あんなに格好良く歳がとれたらね。」
僕たちはふたりで笑い合った。
屈託なく笑う彼女を見て正直、可愛いなと思った。笑いながら、でもこの時間がもうすぐ終わってしまうのが切なく感じた。僕は自由だけれど、だからと言って自分勝手に無責任な振る舞いをするわけにはいかない。
今僕は旅人だ。一宿一飯の恩義に感謝しつつ、綺麗に旅立つのがせめてもの礼儀だろう。
「納屋を出たら、振り向いたり手を振ったりしないでそのまま出てってね。近所の人に見られたら何て言われるか…。隣同士は離れてるけど、狭い町だから、そういうところあるの。」
うん、分かった。ありがとう。迷惑じゃなければ、君との思い出一生忘れないよ。そんな事を伝えようと思っていたら、ふと納屋の外の明るい日差しに昨日の彼女の言葉を思い出した。
『どうせ明日は雨よ』
「あっ!」
「何か忘れ物?」
「天気。雨降るって言ったのに。」
「バレた?」
彼女はまたしても悪戯っぽく笑った。
「旅人の足を止めるのに、雨って効くでしょ?」
「やられたなぁ、でも本当にありがとう、楽しかった。」
僕はそう言ってキックペダルを踏み込んだ。名残惜しいシチュエーションなのに、SRときたらここでも一発でエンジンが目覚めた。
クラッチレバーを握りシフトペダルを踏み込む。。コツンと小気味良い抵抗と共にギアが1速に入る。クラッチを繋ごうとした時だった。彼女がヘルメットに顔を寄せひとこと言った。
「押すなよ、押すなよって、可愛かったよ。」
「えぇっ?!」
驚いて左手を離した拍子にSRのエンジンがストン、と止まった。
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