lishogi情報と秒読み形式について

加筆訂正

前回の記事で、棋譜の表記方法が増えたと書きました。そしてその記事中に、「右左直引」は対応できていないと書いていました。

しかし昨日、ふと棋譜を見ていると表記方法がアップグレードされていて、しかも上記内容に対応していたということに気づきました。時間差などあったかもしれないですし、記事を見てすぐ対応したのかどうか真相はわからないですが、結果的に不正確な内容となっていました。ここに加筆訂正いたします。

嬉しいお話など

僕自身、lishogiにかなり深く関わるようになっているが、その過程で幾度となく日本人プレーヤーとして意見を聞かれることがある、と前に書いた。そのうちに、このnote記事もわざわざ探して読んでくださる熱心な方がおり、しかも「共有する価値がある」とそこに加えて英訳までされるようになった(英語版記事はこちら)。そこには感謝の感情しか湧いてこない。

将棋がそこそこの実力で、一個人としてフォロワーなど少ない中で、こうして意見を聞いてくれつつ、そこから議論してもらうありがたさを最近になってひしひしと感じるようになった。関わってくださる皆様に感謝しつつ、より一層、書く内容に対する責任が大きくなったと感じています。

とは言え、これからもよろしくお願いいたします。

秒読みの議論

秒読み機能が実装近いという話は、ここのところよく書いているわけだが、その中でDiscord内において新たな議論が巻き起こっている。

「秒読みは独立したレート戦とすべきか?」これは逆にいえば、「切れ負けやフィッシャーと両立できないのか?」という解釈を個人的にしている。(もし誤解があればなんらかの形で指摘していただきたい。)

この点に関して、僕自身もDiscordの議論に参加して意見を述べさせてもらっている。しかし、この記事を読んでいる日本人読者には意図が伝わっていないかもしれないし、そもそも何故日本では秒読みという独自の時間管理があるのか海外の方には理解しづらいところがある。逆に言うと、日本人からすればチェス文化のフィッシャー形式がここ数年の間に導入されるまで、存在すら知らなかった人は多いかもしれない。

僕は秒読み形式の歴史はこの記事で知ることとなった。もし興味を持たれたならば是非とも読んでいただきたいと思う。ただ日本語記事であるため、英訳向けに少しだけここにも記そうと思う。

(以下の「」は記事文中の引用を示す。)

上記の記事中にも書かれているが、かつて将棋は「時間無制限」で対局されていた(実は近代になるまで相撲も取り組みまでの時間概念はなく、テレビなど放送向けに時間制限が設けられたらしい)。だが近代化の過程で昭和10年(西暦1930年代)ごろには時間の概念が導入された、とのことである。その際には「チェスの制度が大いに参考された」そうである。

それなのに何故、秒読みという独自の制度が日本に定着したのか?その答えは歴史的に見ると「1分未満切り捨てのストップウォッチ方式は、実用に耐えうるチェスクロックが入手困難だった」という。当時の日本は西洋から様々な物を輸入し、それらを利用しつつ日本に馴染むよう取り入れていた。しかし輸入となれば当時は船便が主であることを考えると、その輸送過程で壊れたり不調になるチェスクロックが多かったのであろう。その様子は「将棋連盟が舶来のチェス時計をたくさん購入したものの、どれもすぐに壊れて使い物にならなかった」という記述に集約されている。

結局のところ、日本では独自の時間設定を(主に機械的制約から)導入せざるを得なかったのである。当然ながら、当時の海外プレーヤーには不評だったようである(かつて日本開催のチェス大会で、日本式秒読みにより負けたイギリス人プレーヤーが激怒した、という内容は、現代人の感覚からしても確かに納得できるであろう)。現代になり、チェスクロック機能は大きな飛躍を遂げ、壊れることも減っただけでなく、そもそも国内で製造することすら可能になった。ただその頃には秒読み形式がすっかり定着してしまったので、制度の方を変えることが困難になってしまったところはあるだろう:チェスクロック自体がフィッシャーであれ秒読みであれ対応する現代である。それでもプロの棋戦では秒読みを基本に、時間の扱いは少しずつ変わっているようである。それ以上の内容は細かい話なので、ここでは省略する。

(引用などはここまで)

ではlichessベースで、当初は「切れ負け」か「フィッシャー形式」のいずれかの時間管理しかない中、「秒読み」をどのように扱うべきか。しかもレート戦でどうすべきか?こうしてこのセクションの最初で書いた内容に戻るのである。

これには海外の方々の反応も、「秒読みは日本の将棋文化と密接だから、秒読みのない将棋はあり得ない」や「秒読み形式は自分に合わないからやらない」など多様である。僕はそのようなやりとりを見つつ、「そういった文化的・将棋に対する思想的背景が異なる人々であっても、一つ同じ場所で将棋を楽しむことができる」のがlishogiというサイトであるべきだと思っているし、今自分の知る限りで、そういう多様な声に応えることができるのはlishogi以外にないと思っている。贔屓も多く入ってはいるが、それでも期待を込めてこうして書かせてもらっている。

最後に僕の意見を(Discordでも表明しているが)書いておきたいと思う。僕は「時間設定関係なく、全てのレート戦は一対局にかかる時間を基準に定めるべきである」と考えている。この精神はlishogiの元であるlichessに由来している。そして一部で懸念(と僕が解釈して)いるのは、持ち時間の違いがレートの値に影響されないか?例えば「ある持ち時間帯の対局が、秒読みでなくフィッシャーのプレーヤーに支配されないか?」がある様子。ただこの問題は心配する必要がないと思っている。

というのも、フィッシャーで増加する時間は秒読みの場合よりもたいてい短いであろう。すると一対局にかかる時間は秒読みより短いに違いない。なので、lichessベースの時間分類で両者が重なることはそうそうないと思っている。切れ負けだと重なるだろうが、その点はlichessでも同じということを考えると、特段問題とするべき事案でもないと思う。フィッシャーは早指しの中でも特に短い分類になると思うし、秒読みなら10秒対局が対抗するくらいだろうか。

とは言え僕はこうして意見表明をしてはいるが、判断するのは開発運営陣である。その方々がどういう判断をされようとも、ユーザーとしてそれを尊重するだけである。ただし何の意見表明もしないのは違うと思ったのと、長文になる関係でnoteに書かせていただいた。

皆さんの忌憚なき意見も聞きたいと思うし、その内容も可能な限り伝えていきたいと思っている。

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