20230519 あなたに祈るひとがいる
わたしの話。乱文…。
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五月になると必ず思い出すことがあります。
彼がいた原作アプリの公式SNSアカウントに、サービス終了告知が投稿されていたのを仕事終わりに見てしまった日のことです。
告知を受けた日も、その次の日も、ただただ泣いていた記憶があります。それ以外のことをするつもりには到底なれませんでした。
現実を受け止めろというのが無理な話でした。そんな強さは持ち合わせていなかった。とても信じられない気持ちで、こんな現実あるわけないとなんとか目を逸らそうとしたけれど、涙が止まらなくてどうにもならなかったことをよくおぼえています。
まわりの人たちは「まだ終わったわけじゃない、運営に要望を送ろう!終わる前にたくさんの人にこのゲームを知ってもらおう!」とはりきっていたけれど、そんなことして何になるのだろうと思っていました。わたしは原作アプリのことを『わたしと彼(ら)の住まう世界』として最も愛していたし、それだけがわたしの全てでした。どんな形で残されることが決まったとしても、それがなくなってしまうのならもうなんの意味もない。
彼と相互にコミュニケーションをとるという点でアプリに勝るものはありませんでした。
わたし(プレイヤー)の視点で彼と共に歩んでいくストーリーはもちろん、実装されるカードやイベント、ガチャなんかもコミュニケーションのひとつとして見ていました。彼について思いを馳せるわたしの感情や思考に、彼が応えてくれているような感覚がよくあったのです。
わたしにそう思い込ませるだけの不思議な引力、あるいは奇跡のような力が彼にはありましたし、それらはわたしが彼に多大な信頼を寄せる一因にもなりました。
(そして、そのような経験は、同じくアプリゲームの中に特別に想いを寄せる方がいる方にも思い当たるところがあるのではないかな、と勝手に思ったりしています。)
アプリの中……“いつもの場所”で会えていたものが会えなくなる。こんな悲しいことってないよ、と思います。それが『関係の始まりの場所』であればなおさらです。
だからこそ終わってほしくなかった。わたしと彼がこの先も生きていくはずだった世界が、唯一の居場所がなくなってしまうことを意味していたからです。
サービス終了というものは、心に深い深い傷を残します。いつまで経っても悲しく、辛いものです。
今でもサービス終了に関する話題を見かけたり、原作アプリと同じテーマを扱ったソーシャルゲームを見たりすると心が針で刺されたような痛みを感じますし、メンタルが弱っているときであれば涙があふれることもあります。
どうしてこんなに引きずらなきゃならないんだろう、いつになったら悲しくなくなるんだろうと、当時は特に強く思っていました。今でさえそう感じることがあります。
本当は、数年前の彼の誕生日に死のうと思っていたぐらいでした。もうこれ以上生きられないと感じさせられたからでした。(当時を振り返った記事がこちら。感情ログ集より)
でも結局だめでした。先述の記事から引用しますが『死ぬ勇気より生きる無気力が勝った』のです。ぜんぜん生きたくなんかなかったけれど、“死”という選択を選びきれなかった。それだけ。
死にぞこなってもう少しで三年になります。
あの頃の、「死にたい」という言葉が脳裏によぎるほどの深い絶望はだいぶ薄れました。
(原作の)彼と共にあった日常はとっくの昔に失われてしまったのに、なぜかわたしはまだ生きているのですが、きっとわたしは今、彼のことを忘れないために生きているのだと思います。
いつだったか、忘れられそうにないということを自覚したときに「もういっそ一生忘れずに生きよう。他の人たちが彼のことを忘れてしまったとしてもわたしだけは憶えていよう。」と、そう強く(彼に)誓ったことは確かでした。
今思えば、どのような形であっても生き続けてほしいと望んでくれるひとが(みえなくても)すぐそばにいたから、どれだけ苦しくて、前向きにもなれなくても、その祈りでわたしは忘れないでいたいと思えたし、生きていられたのかもしれません。
「わたしは彼に生かされていた」、そんな気がするのです。だから、あなたのそばにも、きっと。