自分の喜びのグラスをいっぱいに・・・
少し前に
ペンキ画家ショーゲンさんのアフリカのブンジュ村での
素敵なお話について記事を書いた。
詳しくはそちらをご参照ください。
https://note.com/cgc/n/ndb450dd1194a
私にとってとても大切なお話ばかりで
「自分の喜びのグラスをいっぱいにする」という話は
ついつい自己犠牲感が強目にでてしまう私には
すごくイメージがしやすい言葉となった。
もっともっと自分の喜びのグラスを
いっぱいに満たしていくことに集中してもいいのかなぁと
いう気持ちが強くなってくれた。
ずっと自分のことは二の次にしてきたのかもしれないと。
昨日、98歳の女性のお客様の訪問をしていた時
そのお客様が、
「私は、ずーっと誰かのお世話をしてきたの。
でもね、散々お世話をしてきて
今度は自分がお世話になるっていう時に
誰も私をお世話してくれる人がいなかったのよ」と
笑って言われた。
後見人さんがいい人で良かったと言われていた。
足の爪を切っていると
「でもこんな風に助けてくれる人がいてよかった。まさか足の爪を切ってくれるなんて嬉しい」と。
(ついでに“爪エピソード”をもう一つ。
がん末期のお客様の爪を切らせて頂いた時、
奥様が、にゃむさんに優しく爪を切ってもらったのが
すごく良くて
「あの爪を切ってくれたのは誰?」って言ってその時にゃむさんの名前を主人は覚えたのよと言われた。
爪切りってあなどれない。爪切りだけでこんなにも。)
話は戻る
もしこのままの生き方でいけば
私もこんなふうに思うのかもしれないと思った。
決してそのお客様の生き方を非難するわけではない。
一生懸命生きてこられたのもよくわかる。
自分の喜びのグラスがいっぱいじゃないのに誰かのためにやってあげようとするとトラブルが起こる・・・
とてもよくわかる。
何か具体的にトラブルや事象が起こるということではなくても
自分自身の心の中の不具合が起こってくるのだと思う。
モヤっとした感覚とか。
きっと私は習慣的に何十年もそれをやり続けていた。
気がつかないふりをして。
私は、多分5年くらい前にようやくそれに気が付き始めた。
家族のために尽くしてきたような気がする。
甥っ子達に私の青春を捧げた(笑)
今でこそ笑えるけど・・・
頼まれてもいないのに青春を捧げたわけで
感謝はされることもなくいつの間にか
年齢を重ねている自分に驚いたりした。
お金も相当注ぎ込んできた。
振り返れば、完全に「エゴ」だったなぁと思う。
多分、子供のいない私は
甥っ子達に頼りにされることが嬉しかったのだと思う。
それが生き甲斐と勘違いして。
でも甥っ子達が結婚したり同棲したりして離れていき
寂しいのは殆どなくホッとした。
それでも両親のことなどは現在も続いているので
まだ尽くしてしまう部分は残ってしまうけど
その傾向が強いことを意識するだけで随分違う。
やりすぎないことを学んだ。
できることをやればいいと思うようになった。
もっともっと自分を大切に。
喜びのグラスはまだいっぱいになっていないのだと思う。
「足るを知る」という言葉。
そこにあるものや事柄を幸せと思える気持ち。
できるだけ自然のものに触れるようにしていたい。
心地よいから。
でもそれを味わうためには
心のゆとりが必要。
ショーゲンさんの話の中で
日本人はゆとりがなくなってしまったのかと村人達が心配していた。
なぜなら日本人にゆとりがなくなると地球が滅亡してしまうと
教えられているから。
ショーゲンさんは、度々、ブンジュ村の村会議にかけられたのだと言う。
ブンジュ村の人たちからみたら
その話を見たり聞いたりしながら
自分自身も同じように村会議にかけられている気分に何度もなった。
食事をしている時に
「ショーゲンは、今そこにいなかったよね」と言われたことや
「ショーゲンは毎日をただこなしているだけに見える」と言われたこと。
心が痛い。
私も好きな仕事で最高の人間関係の中、仕事をしているのに
日々仕事に追われ「こなしている感」がある。
エピソードの中に「諦めること」は大切という話がある。
諦めることはネガティブに聞こえるかもしれないけど
自分と向き合う時間ができるとあった。
そして、
ブンジュ村の人は「残業」という考えがないと。
『今日、誰のために生きる?』の本の中にもあるように
「休む時間を削ってまで、仕事をしているところを見られたら恥ずかしいよ」
というカンビリ師匠の言葉がある。
衝撃だー。その発想。
今の職場に移ってから残業はびっくりするくらい減った。
でも2年くらい前まではすごい残業量だった。
ほんと休む時間削ってたなぁ。
今、殆ど残業していないから残業代はなくなり
お給料は更に激減したけど(笑)
体を壊してからは、お金より健康が大切という意識はあるので
そこは健康重視。
ショーゲンさんは、
「ショーゲンはいつも効率ばかり考えている」と
言われていたと書かれていた。
まさに私。
私は、時々の贅沢はいいと思っていたけど
無駄は嫌だと思っていた。
だから効率は大切って思っていた。
業務の効率化を考えるのは大好きな作業でもあった。
それで自分もみんなも楽になるのならいいことだと。
時間を大切にしたいという意味を込めて。
でも・・・
ブンジュ村でショーゲンさんが言われたのは
「効率よく生きたいなら生まれてすぐ死ねばいい」
しょ・衝撃すぎるっ。
ま、残業をしないためにも業務の効率化は
続けるのだとは思うんだけど。
無駄だと思う時間も大切にっていう意味ね。
自分の喜びのグラスがいっぱいになった時に
誰かに何かを与えてあげられる自分になる。
自分の喜びのグラスをいっぱいにするには
何をしたらいいのか
それだけ考えとこっかな。
これ嬉しい?って問いかけながら。
でもほんとに私以外にも
自分の喜びのグラスがいっぱいじゃないのに
周り人に尽くしている人たちはあちこちで見かける。
喜びとか幸せとかはその人の物差しなので
どう感じるかということ。
先日、また別のがん末期のお客様の入浴介助をしていた時のこと。
そのお客様は、人工肛門があり、痛み止めも麻薬を飲んでいて
お風呂に入るのもやっとで浴槽から立ち上がれない時も出てきたので
看護師が介助することになった。
浴槽に座り込むと立ち上がれないから
シャワーチェアを浴槽に入れて下半身浴をすることにした。
そして始終、掛け湯をして温まる作戦。
日中は、ずっとベッドでうとうと。
そんなお客様に掛け湯をしながら聞いてみた。
「⚪︎⚪︎さん、今、幸せですかぁ?」と。
一見、大変な状態ではあるけどなぜか幸せそうに見えたので
聞いてみた。
「うん、幸せだよー」と即答。
やはりそうか。
それを奥様に伝えると
「そっかそっか。よかった」と満足そう。
人の数だけ幸せの形も色々。
その幸せを感じられる自分でありたい。
今、私の喜びのグラスはどのくらいかなぁ。
ひすいさんとショーゲンさんのコラボ本。
全ての日本人、日本語を話す全ての人に読んで欲しい大好きな本。
私の宝物に!
この本を世の中に送り出してくれた全ての人に感謝♡
おー、いつの間にか、
Kindle版も出てる!