見出し画像

『家族』というストーリーからの脱出

看護の仕事を通してどれだけたくさんのご家族に出会ってきただろうか。
数え切れないほどのご家族と出会わせていただいている。
そして、その数ほど家族のストーリーがある。
この記事を書いている私にも家族のストーリーがあるように…。

・・・・・*・・・・・

少し前に90歳代の女性のお客様のお宅を看護のお仕事として訪問した。その時のことをお話してみようと思う。

60歳代の息子様と二人暮らしで息子様は、お母様のことをなっちゃんと呼んでいる。

なっちゃんは、もう何年も寝たきり。

最近は、もうデイサービスにも行かなくなり本当に寝たきり。軽い認知症もあるなっちゃんは、大きな体をベッドの上に横たえて手しか動かせないけど、悲壮感はゼロで、息子さんをまーまー偉そうに顎で使って…いや、息子さんにお世話をしてもらってる。息子さんは、息子さんでまんざらでもない感じ。

息子様は週3で仕事をされている。
息子様が仕事に行っている間は時々ヘルパーさんが入ってくれている。
一生懸命愛情たっぷりに介護をされている。
この息子様なりの愛情で、昼は、菓子パンとゼリーが食事。
新発売の菓子パンをなっちゃんに説明しながら食べさせているけどなっちゃんは認知症なので長い時間は記憶が持たないから食べたことも忘れてしまう。
夜は、息子様が料理をされているそうだ。
これだけ色々してくれている息子さんに「息子は何にもしてくれないよー」という。
それを聞いて息子さんは、「なにいってんだよ。今もなっちゃんが汚したパジャマを洗ってやったんだぜぇ」と言いながら笑っている。
「そんなの知らないよー」とツンとしてなっちゃんも返す。
なっちゃん、そこは、ありがとうって言っとくのよー(笑)

私たちは、週1回訪問して、体調管理と排便処置を行なっている。
余った時間で、大きな体のなっちゃんの清拭や簡単なリハビリを行なっている。

私は、あまりなっちゃんの訪問に伺うことは少なかったのでゆっくりお話しできる機会もあまりなかった。
今回は、ゆっくりお話しできる時間があったので、マッサージをしながら今までのご家族のヒストリーについて伺った。

なっちゃんは「そんな昔のこと、覚えてないよー」と。
代わりに息子様が答えてくれた。
東北で生まれ育ったなっちゃんは、集団就職で東京に出てきた。
そしてある工場でご主人と出会った。
…出会ってしまった。

そのご主人は、そのうち工場を辞めて事業を開始した。
劇団を作ったり、観光業、カフェなどなど次々と事業を展開していかれたそうだ。
なっちゃんは、スナックをやっていた時には一緒に手伝っていたらしい。「料理をつくったりしていたんですねー」というとちょっと笑って「忘れたわー」となっちゃん。
なっちゃんが昔のことを覚えていないことに対しても息子様はもう慣れっこなのか、がっかりする様子もない。

そして、息子様が30歳前にご主人(お父様)は亡くなったのだという。

しかも多額の借金を息子様に残して。
結構な額だった。

きっとなっちゃんも苦労してきたのだろうと思う。
なんでこんなに慎ましい生活をしているのかよくわからなかったけどそういう事情があったのねと初めて理解できた。

それでも息子様は、お父様のことを「親父は本当に破天荒な人だった」と表現されるにとどまり、怒りや恨み言は一切言われなかった。そこは凄いなぁと感心した。

息子様に「もしこの借金返済がなければなりたいものはあったんですか?」と伺ってみた。
「2つあったよ。俳優と獣医。高校は、成績はずっと上位で優秀だったんだよ。」と昔を思い出してちょっと鼻が高くなってた。
いや、今は、彼の鼻をどんどん高くしてあげられる貴重な時だ!と思い、すごーい‼️を連発した。

今、俳優でもなく獣医でもない人生を歩んでいる息子様。
毎日の生活のために働いて、家に帰ってきたらなっちゃんのお世話をする生活。なっちゃんの大きな体の半分くらいのサイズの息子様は、洗濯機がないので手洗いで洗濯をせっせとされている。
外食だって何年もしていないんだと思う。

なっちゃんも90歳代だからあと何十年も生きれるわけではないだろう。
息子様は、お父様が作った多額の借金を背負い、後半は、寝たきりのお母様の介護をずっとしている人生。
ガールフレンドもいたこともあったんだよーと白髪混じりの息子様が自慢げに教えてくださった。

この人生を聞いて、簡単な言葉で、かわいそうな人生と表現するのは違うとは思う。

寝たきりであっても口は達者ななっちゃんが、長生きしてくれていることは、今の息子様には大きな支えのようだった。
息子様自身が、すごく辛そうにしているわけではなく、当たり前なこととして受け入れていらっしゃるから。
中々できることではないと思う。

ただ・・・客観的にみると
どこかのタイミングでこの家族のストーリーから脱出とまではいかなくてももうちょっと解放されなかったものだろうかと思ってしまう。
息子様は、逃げ出したらいけなかったのだろうか?と。もし〝逃げた人〟というとなんかネガティヴに聴こえるなら〝ちゃんと逃げる選択ができた人〟でもいい。
ご両親の問題を全て引き受けている姿を見ると何か違うんじゃないかと思ってしまう。
貴重な人生の体験をさせて頂いたことに感謝してその問題から離れてみるのも悪くない。

そんなこと言ったって、どうすれば離れられるのよ!と言いたくなる人もいるかもしれない。

でも、今の自分の現実を作り出したのは、実は周りのせいでもなんでもなく自分が作り出した世界の投影だとしたら誰のせいでもない。
自分がどう感じてどう動くかで目の前の現実は、変わっていく。とてもシンプルな仕組み。

・・・・・
こういうご家族は、実に沢山出会ってきた。
家族の呪縛のチカラってすごいと思う。

かくいう私自身も経験してきている。
私も長年、親から離れることは、子供として酷いことだと思っていた一人だから。罪悪感も捨て切れないまま40歳を前に私は家を漸く出た(それまでも何回か家は出ているのだけどね)。
まさか、独身の娘が親を置いて、こんな遠いところに行ってしまうとは思っていなかっただろう。
親が高齢になればなるほど今度は親からも親戚からも期待値が高まってくるのもひしひしと感じている。

そういうのを感じながらも離れている割には、まぁまぁ親孝行な娘だと自分では思っている(笑)
自称『意外に親孝行娘』。

・・・・
私は、今世は、結婚もせず子供を産むこともなかったけど、きっと親なら子供が幸せなのが一番幸せなんじゃないかなぁと想像はできる。
私は、何人か甥っ子がいるけど甥っ子たちに自分の老後についての期待はゼロで、彼らが幸せでいてくれたらと思うから。
家族って一番難しい形で距離感も微妙で・・・でもわかっているのは血が繋がっていても所有物ではない。
魂は自由。
本来、みんなが自由であるべきなんだから。

罪悪感が最小限になる考え方の一つとして一つご紹介したいと思う。

あるセッションを受けた時に
(自分だけ幸せになったら申し訳ない、自由になるのは申し訳ないという考え方ではなくて)、にゃむさんが、やりたいことに向かって幸せになったらそこからにゃむさんを中心とした大きな大きな渦ができるんです。そして、その渦の中にご家族もちゃんと入ってきてみんなでいっしょに幸せになれるんですよと言われたその言葉が今も響いている

これは、私だけに言えることではなのでこの言葉をシェアします♡

そして、もう1つ心理学の先生の講義だったと思うけど

1つのことや誰か1人に身も心も捧げてるとそこに何かあった時に立ち直りにくくなるという話をされた。
だから自分の土台を支えてくれものは1つではなく幾つか持ってた方がいいですねという話も心に残っている。
そして、この言葉を介護が一生懸命で壊れちゃいそうなご家族にこのことをシェアすることがある。

今、モーニング中で、コメダ珈琲のナプキンに図を書く私。
どなたかのお役に立てたら嬉しいです♡


コメダよりプレゼント(笑)


私たちは、はじめはみんな自由な存在だった。
〝自由じゃない〟ことにしてるのは私自身なのかもしれないってことを思い出しているところ。


ありがとうございます😭あなたがサポートしてくれた喜びを私もまたどなたかにお裾分けをさせて頂きます💕