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永遠の恋人|ミュージカル「ヴェラキッカ」感想

脚本・演出 末満健一
音楽 和田俊輔
1月15日(土)18時/初日 東京建物 Brillia HALL
1月19日(水)18時/東京建物 Brillia HALL
1月22日(土)18時/配信(末満スイッチング)

上演中の作品ですのでネタバレにご注意ください。

ヴェラキッカメインビジュアル

はじめに

年が明け22年の観劇初めは大好きなTRUMPシリーズ最新作ミュージカル「ヴェラキッカ」です。
少しずつ情勢が厳しくなって行く中、幕が上がったことにまずは感謝を。そして自身も気をつけて対策を万全にしたいですね。
年明けに韓国で上演されたミュージカル版のequalも配信で見ました。そちらも面白かったです。末満さんの作品がたくさん見れるのは嬉しいですね。

そして初日開演前に発表されたLILIUM再演。鳥肌が立ちましたね。ヴェラキッカはTRUMP/星ひとつの後の軸かなって勝手に思ってたのでLILIUMにさぞつながるだろうと思って見てましたが、パンフの年表では現在上演された作品の中では一番古い軸になるんですね。びっくりでした。

そんなヴェラキッカ。多くのミュージカルで活躍されている人が見れる非常に贅沢な作品で聞き応えも見所もたくさん。そして和製ミュージカルで作り上げることの凄さにただただ圧倒されました。

奇妙な共同幻想「ヴェラキッカ」

物語はヴェラキッカという貴族が統治する街に家族を亡くしたキャンディスという繭期を開けたばかりの女の子が、ヴェラキッカ家へ養子になることから始まる。
養子になるヴェラキッカ家の家訓はひとつ「当主を愛すること」

熱狂的に屋敷の人間は当主であるノラ・ヴェラキッカを「愛している」と声高に叫びます。
そこで繰り広げられるのは、ノラという当主を愛する家族の物語。

今回、いい意味でお話わかりやすかったですね。そしてとってもロマンチック恋愛劇。恋愛喜劇(にしてはちょっと毒が強い)としてとっても楽しかったです。

1幕の最初の説明の部分でノラを愛することが誰かのイニシアチブだなってシリーズ見てる人は勘付いたんじゃないでしょうか。1幕ラストあたりだとシオンのイニシアチブだろうなってのがわかる気がしました。

いつも TRUMPシリーズ見終えると「顔色悪いな」「カロリー足りないな」って感じになるのでご飯を食べて無理やり体温をあげるんですが、ヴェラキッカは胸いっぱいのあたたかくて甘酸っぱい小説の読了感のような気持ちで、帰りにカフェで甘い飲み物を飲んで帰ろうくらいの気持ちになりました。
まぁ、そうは言ってもTRUMPシリーズなんでね、絶望が散りばめられているんですけど。

ノラという人物はもうこの世に存在せず、シオンが生み、カイや家族が作り上げた共同幻想の中にのみ生きる幻です。
そこまでしてもノラに生きて居てほしかったという純愛物語ですね。

面白いなと思ったのが、ノラの性別が言及されないことですね。彼でもなく彼女でもなくノラという一個人として最後まで貫かれるんですよ。
そしてみなさん話題にしているノラの衣装替えが多いこと多いこと。この衣装ってノラの姿がこういう姿だろうと各々が思っていることの具現化なんでしょうね。わかりやすくいえばカイと対峙する時は女性的なロングスカート、キャンディと会う時はカッコいいパンツスタイル、ロビン(学校のシーン)と会う時は先生のようなロングワンピース。

これすごくメタ的ではあるんですか、日本に宝塚歌劇団があってよかったなってしみじみ思いました。女性でありながら男性よりも男性らしく、それでいて女性らしい柔らかさもある。性別がぼかされる曖昧な存在であるノラ演じることができるのって、宝塚の方以外だとかなり難しいのではと思いました。美弥るりかさんがぴったりすぎるくらい素敵なノラでしたね。

最後のシーンでシオンがノラに会いに共同幻想へ行った時にノラの衣装が白一色なのが本当に良かったですね。
白い衣装といえばTRUMPシリーズでは繭期の象徴であるイメージなんですが、ノラが白一色の衣装を着てるのは共同幻想=永遠に醒めない夢に取り残された存在であること、繭期の幻想に近いからかなと思いました。
そして、白は純潔の色です。シオンの初恋の淡い純粋な思いの具現なんだなと思うと込み上げるものがありましたね。ノラのためにノラが自由になるために、ノラへの純粋な思いが白い純潔の衣装に現れるとしたら、あまりにも美しくて切ない幻想だなと思いました。

ノラを取り巻く8人の家族。
弟のカイ、飄々としたシオン、シオンの妹のジョー、繭期のマギーとクレイ、使用人のロビンとウインター。そこに入ってきたキャンディ。
すごく魅力的でそれぞれが狂信的にノラを愛しているキャラクターたち。

キャンディの知性が垣間見れるのが好きです。
どうして「何も知らない人を愛することができるんだろう」この問いができる彼女が「イニシアチブがなくても愛しているわ」へ繋がって行くのが好きです。
彼女はちゃんとノラのことを知りたいと思ったんでしょうね。だからこそノラはキャンディを愛そうと思った。ただイニシアチブによって命じられた「愛すること」に惑わされずに、ノラのことを思うキャンディだからこそ。
きっとシオンに通じるものがあったんだろうなと思います。シオンは最初から最後までノラのことを知りたくて会いたくて愛したいと思っていたから。

ヴェラキッカの一族では私はジョーがかなり好きなんですけど(愛加あゆさんが好きなだけかもだけど)、ジョーだけがノラの存在に近くて遠いんですよね。
だから彼女が真っ先に自分の心を思い出すのが良かったなと思います。
ある意味で共同幻想の終わりを告げるキャンディとジョーの2人。ノラを知り愛したいと思うキャンディと、自分の心を知りカイを愛していると思い出すジョー。末満さんの作品で垣間見れること多いんですけど、「愛する」ために相手を、自分を、「知る」ということがみれるのが好きです。

幻想幻愛メランコリック

曲中で出てきたこのフレーズがめちゃくちゃ好きです。メランコリックの意味が「憂鬱」「憂愁」の状態であることなんですけど、幻の存在、幻の愛に対して憂鬱なのか、この感情が幻想であることに憂いているのかいろんな捉え方できますよね。
この曲「幻想愛憎メランコリック」というんですけど、すごく美しくて悲しい曲なんですよ。ここにシオンの想いがいっぱい詰まっているなって思いました。

人は2度死ぬのだと どこかで聞いたことがある
1度目は肉体が滅んだ時に 2度目は誰からも忘れられた時に
だから例えばの話をしよう
永遠に誰かの記憶に残ることができたなら
永遠に生き続けることができるだろうか
ヴェラキッカパンフレットより

TRUMPシリーズが語る永遠は「孤独」で「醒めない悪夢」ではあるのですが今作では永遠は悪夢ではなく「純粋な愛」の象徴として描かれているのが素敵でした。
キーワードとしては「この愛は毒だ」で全然いい感じじゃないじゃんってなのですけど「毒だろうとも飲み干してしまいたい程に甘美なものだった」と捉えることができるのでこの愛は「毒」でいいんだなと思います。
物語の最後にヴェラキッカのお屋敷では「気の触れた老人が幻想と暮らしている」とキャンディが教えてくれました。
物語はハッピーエンではないかもしれない。でも、シオンにとってはハッピーエンドかもしれない。いわゆるメリーバッドエンドではあるのですが、それで良いと頷けるほおどの強烈で純粋な愛でした。綺麗すぎるものは時に毒になる。だから今作の「愛は毒」なんでしょうね。

シオンとノラ

キャンディの「ノラはいつも寂しそうだった。」
ジョーの「ノラを愛してあげなくちゃ。ノラがひとりぼっちになっちゃうから」このセリフ、きっとシオンがノラに思ってることなのかもしれないなと思って見てました。
彼が、彼だけが共同幻想に入れない。ただ純粋にノラを思いながらノラという存在に触れることができない。

ノラはどんな姿だったんだろう。ノラはどう笑うんだろう。ノラはどう愛するのだろう。
ヴェラキッカの屋敷の中で1番ノラと話をして、ノラと時間を重ねてきたのに自分はどうして何一つ知らないのだろう。

キャンディのいうノラはいつも寂しそうだったのは、シオンにも言える言葉なんだろうなと思います。だからキャンディに秘密を打ち明ける「初恋だった」と。

個人的になのですが、「孤独」は1人でいる時に感じるのではなく、誰かといる時に感じるものだと思います。
「一緒にいるのに一人ぼっち」の感覚。この感覚が心を壊すものだと知っている。黑世界で「孤独は永遠を支配する」という言葉が出ます。ヴェラキッカの永遠は愛のイメージですが、黑世界の永遠は「置いて行かれた1人の旅路」を意味します。だから孤独が突き刺さる。

なんとなくシオンもそうだったんじゃないかな。
シオンが聞いた「ここから出たら何がしたい?」の問いにノラは「誰からも愛されたことないから、愛されてみたい」と答えます。
ノラの願いが寂しい。そしてシオンは孤独だなと思いました。
どちらも悪くなくただただ、お互いが自分の感情を知らなかった。ただそれだけでシオンが孤独になっていくのだと感じました。このシーン、真実が明かされていくシーンで象徴的で美しくて悲しいシーンでしたね。

だからこそ、シオンが最後に共同幻想に行けたことが嬉しいけど、彼はきっとまた孤独を味わいながら生き続けるのだと思うの切ないです。
それでも、それ以上にノラを「愛する」気持ちが上回る。毒だと知っていても飲み干したいと思う「愛」をシオンは選んだのだと思います。

名前の話をします。
シオンという言葉の意味は「心の清い者」という意味があります。
あと、聖書の話なのですが、エルサレムの近くにある丘をダビデが占領し「ダビデの街」と名付けます。この町の北にある山に神殿をおくと山は「シオン」と呼ばれるようになり、その後エルサレムの街全体を「シオンの娘」と呼んだとあります。またシオンは神の住む丘で(神殿があるから)「神の都」の意味も含みます。
そう考えると共同幻想の作り手がシオンであることがすごく納得いきますね。
ある意味で神のように祀りあげられる「ノラのための共同幻想=ノラのための世界」をシオンが作る。
そこにあるのはシオンがノラを思う純粋な気持ちです。

そして「ノラ」
ノラは女性名として使われる言葉ですが「マグノリア(木蓮)」→「ノラ」の意味もあるようですね。
マグノリアより木蓮の方が仏教徒が比較的多い日本人には想像しやすいでしょうか。衣装とかの印象から思い浮かぶのは「白木蓮」ですね。
木蓮といえばお盆の由来となった「木蓮尊者」のお話が有名かな。お釈迦様の弟子の木蓮尊者は神通力で亡くなった母の様子を見ると地獄の餓鬼道で苦しんでいたので、どうにか救いたいと地獄へ行ってみたもののうまくいかない。お釈迦様に相談したら僧侶がこもって修行する期間の終わり(夏くらい)に修行僧を供養すれば救えるよと聞き実行したところ、母が地獄から救われたみたいな話です。
これに儒教とかの話が混ざって今のお盆に死者が帰って来る話になったといいます。

死者を迎えるお盆が奇しくも死者を中心に繰り広げられた共同幻想に似てる気もしますね。
そして白木蓮の花言葉は「気高さ」「高潔な心」「荘厳」「崇敬」「崇高」「慈悲」「自然への愛」などですね。
ノラが木蓮を意味するとは明確ではないですが、気高く崇高で皆に愛されたノラらしくて素敵だなと思いました。

愛は8つに定義できる

だいぶ、感想としては言いたいことを言ったのですが、最後に印象的だったこの話をしようかなと思います。

愛は8つに定義できる。これは古代ギリシア人が定めた愛の定義ですね。
この後にこの8つに定義なんてされないとシオンはいうのですが、まさにそうだなって思いました。

感情ってひとくくりにできないんですよ。
先に書いたように「一緒にいるのに一人ぼっち」みたいな矛盾が往々にして起こりうるんです。嬉しいのに寂しい。楽しいのに切ない。愛してるけど憎らしい。
愛憎なんて紙一重で、純粋にただただ楽しいだけ、嬉しいだけと感じるのってなかなかないなと思うのです。
だからこそ定義に当てはめることが難しい。
でもそれでいいんだなって思います。その感情の揺らぎが美しいからこそ人を惹きつけるものだ思うので。

感情の矛盾も揺らぎも全て受け入れて、声高にこれが自分の「愛」だと叫ぶ。それは誰からも貶されてもいけないし、誰も非難する権利を持ってないんですよ。
グレイが殺すことが愛と叫んだ時、ノラが「それが君の愛なんだね」と肯定します。
私はこの作品というかこのシリーズのこういうところが好きです。自分の中の溢れ出る感情を否定しない。悲劇でも喜劇でもそれが自分の「愛」と定義したならそうなんだろうというところが好きです。観ていてすごく救われる感覚になります。

今作はメリーバッドエンドとも取れる終わりですけど、間違いなくこれはロマンティック恋愛劇です。
純粋な「愛」、純粋すぎて「毒」になってしまうような強く崇高で美しい愛の物語でした。とても楽しかったです。

気になって調べたので愛の8つの定義のメモも残しておきますね。

エロス(肉欲的な愛)
理性をコントロールできなくなるような、肉欲的、情熱、性的欲求

フィリア(深い友情)
善意を持つ人との間の愛。誠実な友情や信頼
(プラトンはこれに精神的なつながりを意味する「プラトニックな愛」も提唱した。愛に肉体的な魅力は不要)

マニア(偏執的な愛)
嫉妬や執着、偏執的なこと。共依存の関係から生まれる愛。自分を満たしてくれる他者への愛

ルダス(素敵な愛)
好意に近い感じ、片思いや初対面の人に感じる愛情(一目惚れ?)とかの興奮

アガペー(無償の愛)
人のために自己を犠牲にし、人のためになるのなら苦しみすら喜ぶ

フィラウティア(自己愛)
自己執着や虚栄心などの利己的な自己愛のとは異なる(むしろ逆)
自分を愛することで人へ愛を与えられること

ストルゲー(家族愛)
親密な愛。信頼感や安心感や思い出を分かち合うなど、家族のような関係に多く見られる。

プラグマ(永久の愛)
エロスの逆。成熟した愛。
互いの行動の結果として築かれる関係のこと。互いを尊重し作り上げる愛。

最後に

大阪公演の初日の幕が中々上がらない。改めてこの情勢の厳しさを実感しました。そして同時にそんな中作品を届けようとすることの意志の強さに私自身は救われています。
配信が充実したここ2年間ですが、それでも劇場で見る空気感、高揚感、そして酩酊感。ここに私が舞台が好きなんだなということが詰まっていると思います。

そして最新年表でTRUMP最終作のタイトルを見るたびに僕達のクランに思いを馳せる日々です。

次回作も楽しみですね。