かつて林業地はどんな姿だったのか?智頭林業を識る。
こんにちは、お久しぶりの方も、初めましての方も、読もうと開いてくれてありがとうございます。林業のイベント企画や研修などを行っているCommunityForestの運営している「林家になる旅人」の成田です。
かつての林業地を識るシリーズ第5弾は、私にとっても馴染み深い林業地だ。鳥取県東部に位置し、岡山県との県境にある智頭林業になる。
今でも多く良質材を産出し、自伐型林業が有名な林業地だ。2回ほど訪ねたことがあるが、とても面白い町民の方が多くいる印象だ。
特に智頭スギで木製ブラインドを製造している㈱サカモトの社長は、2トントラックで各地に出没している台風のようなお方だ。
ただ、このシリーズは”今”の林業の姿を描くものではない、”過去”を識り未来に活かそうというものになる。始めた理由はつぎの記事を読んでほしい。
かつて智頭林業はどんな姿だったのか?本日も「都道府県別林業総覧」を通して覗いてみようと思う。
気象は年平均気温が13.5℃、平均湿度が78%で、土壌も肥沃でスギ・ヒノキ造林の好適地になる。
石谷家が所有する慶長杉が400年生ということから、少なくとも400以上前に造林がはじまっている。奈良県の吉野林業と並び、日本の育林型林業の魁といえる。
歴史的な背景を書きたかったのだが、資料と知識不足なため今回は書かない、続編に期待してほしい。
地域の森林面積は約2万㏊で、その4/5は民有林になる。その森林の大半は大規模所有者が所有してたことから、豪族の力が大きかった様子がうかがえる。
智頭林業は吉野林業と同じく樽丸材の供給を目的として始まった。ただ当時、木材需要の変化に伴い、小丸太材生産の比重が大きくなってきているという記述があることから、長伐期林業が崩れ始めていると考えられる。
これは戦時中に過伐、乱伐が多発したところ森林が荒廃していったことも影響している。
智頭林業の養苗技術は赤挿養苗法と言われ、藩政時代から民間で培われた技術になる。3月下旬に奥地天然林に自生するスギの高齢樹の不定芽を採取し、苗畑に挿しつけるものになる。高齢樹から採取されたものとは思えないほど活着率の成績が良く、その活着率は95%にもなる。植栽方法は他地域と同様の方法で行われ、㏊あたり3000本植栽する。
育林は伝統と気象条件により、集約的な林業をおこなっている。植栽後2~5年は積雪が深い地域のため、雪起こしが必須となる。また枝打ちも丹念に行い、間伐も実施していた。
当時の伐期は以前紹介した青梅林業などと同様に、40~50年生であった。ただ半世紀以上前の伐期は60~70年であったようだ。
当時の課題としては、①木材需給構造の変化により、長伐期から短伐期林業の転換が必要。②天然林から採取する赤挿養苗から、人工的に育種する青挿養苗への転換が図る必要がある。主にはこの2点になる。
智頭林業は、かつて由緒ある長伐期林業地であったが、時代の変化とともに短伐期林業への転換が迫られていた林業地であった。次回以降は歴史的な背景を追うとともに、智頭林業の転換は成功したのか、失敗したのか。結果的に今はどのような状況になっているか迫っていきたい。
本日も読んでくださりありがとうございました。
また智頭には行きたいな~次回は慶長杉も見学できれば満足だ。