かつて林業地はどんな姿だったのか?河内林業を識る。
河内林業は足場丸太の地、早期収入が鍵だった。
日本で最も森林面積が少ない都道府県はご存知だろうか。”東京都”と答える方が多いだろう。ただその答えは誤りである。東京都西部には青梅市やあきる野市、東京都唯一の村の檜原村といった森林が豊富な市町村がある。ただそうは言っても下から2番目の約79,000㏊になる。森林面積が一番少ない都道府県は、森林面積が約59,000㏊の大阪府になる。
こんにちは、読んでくださりありがとうございます。林業のイベント企画や研修などを行っているCommunityForestの運営している「林家になる旅人」の成田だ。今回は大阪府の河内林業を「都道府県別林業総覧」を通して覗いていく。
河内林業は和歌山県と奈良県の県境に位置し、当時から250年前から人工林造成が始まる。植栽樹種はスギ・ヒノキの混合で、密植が特徴になる。
大都市近郊の地理的有利性と農家林業の特殊性を併せ持ち、間伐材生産を中心とした森林経営を行う。
都市近郊の有利性は2種類の材を生産することにつながる。ひとつは樽丸用材、もうひとつは足場丸太材になる。そして当時の主商品は足場丸太材になり、品質は通直幹満な材で、粘りがあり曲がりがない高品質な材になる。北海道、山口まで直送され、好評を博したいう。年間約3万㎥を生産していた。
植栽本数は㏊あたり、9,000~15,000本と非常に密植する。植栽の全体比率はスギ:ヒノキが5:5~3:7になる。苗木代、人件費の高騰、丸太価格の下落により、植栽本数を減少させている。
植栽後5年目までは下刈りを年2回行い、6年目は1回行い、下刈りは終わる。密植のため、刈り払い機は使用せず、人力で行っていた。
河内林業は非常に密植多間伐な林業地になる。一般的な伐期は50年生で、その期間に間伐を10~20回行う。下刈り後つまり7年生から間伐を開始し、若齢級では毎年もしくは隔年で行う。壮齢級になれば5~8年の間隔で間伐を実施する。伐期を迎え皆伐した材は4mほどまでは用材として出荷し、それより上部は足場丸太として出荷する。皆伐跡地は枝葉を燃やすことを行っていた記述がある。
なぜ河内林業の足場丸太が重宝されていたかは、密植が大いに関係ある。遠距離輸送の場合、疎植で年輪の間隔が広い場合は、材同士でぶつかると先端部が破損することがある。一方で密な年輪は破損が少ない利点があった。
河内林業は都市近郊という土地優位性を利用して、土地の回転効率が高い足場丸太を生産していた。なぜ足場丸太だったのだろうか。おそらくだが、育林投資を早期に回収するためだったのだろう。7年目から収入が得られるというのは林業界においてはかなり特殊な部類になる。さすが商人の町というべきなのか、どうかわからないが。それでもこのビジネスモデルは現代でも再現できないのだろうか。早期に収入が得られれば、もう少し林業界に活気が出る気がする。
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