【祭りってやっぱりいいよねっていう話】
久しぶりにマルシェに行った。
今日は行田の知人の畑で、農作業という名の伐採作業をしていた。久しぶりの畑作業。前にやったのはいつだろうか、記憶の海を探るが、この1年ぐらいは畑作業をした記憶がない。デスクワークが中心で、山に入って構えるのはICレコーダーとA4ファイル、4色ボールペン、カメラだけ。ノコギリを鍬も持つことなく生きてきた。それが悪いとは思わないし、その道を選らんだのは自分だ。
けど、だからこそ、今日久々にやった竹の伐採はとても楽しかった。以前、山の人が「ボランティアの人がノコギリを持つと色んな木を伐りたくなるんだよ」と呆れながら愚痴をこぼしてたわけだけど、まさに今日の自分はその伐りたがりの人になっていた。なんでここまで楽しかったのだろうか。その答えはえらく簡単で、ありきたりで、単純に、成果がわかりやすいからなんだと思う。
竹だから木を伐るほどの安全管理を求められるわけではないし、ノコを3回ほど入れれば倒れる。簡単かつ、わかりやすい。そして、無心に伐り倒して振り返れば、開けた空間が広がる。なんていいんだと思う。記事を書いていても明確な基準というものがない。もちろん、伐採作業1つとっても上を目指せばキリがない。だけど、普段と違ってやったという達成感が違った。隣の芝生が青く感じられたのかもしれない。それでも楽しかった。
もちろん、1人でやっていたわけではない。知人のところでいうように複数人で作業をしていた。
他愛のない雑談や連携作業など楽しかったのだ。もっとシンプルにいえば、ワイワイやるのがまるで文化祭前夜のようで、心地よかったのだ。たぶん、他の方もそんな感じだったのだと思う。で、これはたぶんハレの日なんだなぁと感じる。たぶん他の人もそうなんだと思う。もちろん、畑主である知人の人間性や雰囲気もいいからだろう。そこに、惹かれる人達もよい人だからコミュニティの雰囲気がいいんだろうと感じた。
その後に熊谷駅周辺で開催されていた「星川夜市」というマルシェに全員で参加した。コロナで失われて光景というとおおげさかもしれないけど、あれだけの人が集まって熱気ある環境は久々に体感した。人混みを歩けば、笑い声や掛け声など様々な声が聞こえる。忙しなく動き回っている実行委員の人もいる。彼らも笑顔で楽しそうだ。NEWSでみる欧州の映像のようにコロナ前が戻ってきているのを感じる。もちろん、みんなマスク姿だが。
「星川夜市」は、通常のマルシェと違い夕方から夜間にかけて開催された。だからどこかお盆休みに各地で開かれる夏祭りのような雰囲気さえ感じる。そんな浮ついた雰囲気だからこそ、慣れないセリフを口にしたり、行動したりもする。「ラグビー型おはぎ」というよくわからないものも買って食べてみる。このおはぎは、その名の通り、あんことお米でラグビーのボールを表現。そしてお米に古代米をつかってムダにもちもちなのだ。価格は3個で500円。ちょっと高い。買ってみたらみんなから「本当に買ったのか?」と驚かれ、「美味しいからと食べてみる?」と差し出したら実際食べて「本当にもちもちだぁ」と口にする。「でも高いよね」と笑いあう。そんなどこか非日常だから笑って過ごせる。
お祭りはハレの日だ。普段とは違う。日常はケの日だ。
私の生活を振り返って思う。記事を書くのはケだ。取材するのもケだ。Netflixでアニメをだらだらと鑑賞するのもケの日だ。この1年間、私にハレの日はあったのだろうか。記憶の海を漂っても、なかなか思い出せない。このどこか、単調な生活はハレの日をつくってこなかったからなのではと思う。そして、事業もそうだ。ケのサービスだけではなく、ハレの要素を持ち合わせたサービスを考えないといけないんだと思う。
そんなことをふとおもった1日だった。
皆様ありがとうございました。