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「心の病が治る」というコト

通院の中止という形での寛解。

投薬もなく、精神科医との面談もない。

「これで本当に治ったのかな?」と半信半疑で動き出した日常は、病の最中にあった私が想像していたものとは全く違っていた。





素晴らしい未来が待っていると思っていた。

だが、違っていたのだ。

長期的な治療を寛解という形で中止した後。突然の嵐に飛び込んだような恐ろしい目にも遭った。

世の「普通の人」は、こんな辛い思いをしながら生きているのかと驚くほど、危険な状況を何度もくぐりぬけた。

人生の荒波は、手を変え品を変え「こんな荒波はどうだい?」と私を試すように何度も襲ってきたのだ。

命からがら荒波を乗り越え、「ホントに大丈夫になったかもな」と思ったときには、最後の面談から10年以上が経っていた。

そしてそこからさらに10年以上が過ぎた今。過去の苦しい時期の存在を誰にも信じてもらえないほど快癒している。

つまり、「心の病が治る」というのはそういうコトなのだ。





私は誰かに誇れるような立派なところがない。

「心の病を克服した素晴らしい人格者です」などということもない。

どこにでもいる「ただの人」だ。



病を克服した今、何か素晴らしい成果を残せるほどの人物になれていたらよかったなと思うことがある。お世話になった精神科医や医療関係者のみなさんにも喜んでもらえるのではないかと思うからだ。

だが、おそらくは、そういうことは大した問題ではないのだろう。

当たり前の日常を、凡庸な人として生きていることは、ただそれだけで意味のあることなのだ。

医師に言われた「言葉」を支えに自分自身との対話を繰り返し、死なずにいること。

無名の私になりきること。

そのことこそが、「心の病が治る」というコトなのだ。