時空を超えて出会う喜び
雑草コレクションに熱心だった頃。かつて住んでいたアパートの敷地内に可愛らしいオレンジ色の花が咲いていた。
その名はヒメヒオウギ。
種を採取して自家製で栽培しようとしたが、その道程は予想していたほど楽なものではなかった。
これまでの時間の流れを簡単にまとめてみる。
2017年 初夏
春に咲いた花から種を採取。
2018年 春
2017年に採取した種を撒いたが芽が出なかった。
そのため、アパートの敷地内で咲いている雑草から
「もう一度採取しよう」と試みたが失敗。
2019年 春
2018年に発芽しなかった鉢植えに水を撒き
一縷の望みを託したが芽吹かず。
失敗した鉢植えの土をプランターに再利用し、
芝の脇芽を植える。
2020年 早春
プランターの中に新芽を発見。
「もしやこれは?」
2020年 春
ヒメヒオウギ開花(*^_^*)
ヒメヒオウギから小さい種を採取したあの時、花を咲かせるのは楽勝だろうと思った。放って置いても育つ雑草なのだからと。
だが、プランターの中では育たなかった。
土との相性もあるのだろうか?
頻回に水やりをし過ぎたのだろうか?
あれこれと思案した。
育てやすい植物(=雑草系)のヒメヒオウギ。
ハードルの低さゆえ、十分に育てられなかった事実は、随分と私の心を沈ませた。
◇
ヒメヒオウギが咲いてから、私の意識は漠然と過去に向いている。
過去にお世話になった人、良くも悪くもご縁があった人。
みなさんどうしているだろうか?
お元気だろうか?
そんな思いでパソコンに向かう。
ネットを使って検索してみる。
すると、案外探し当てることができるものなのだ。
時空を超えて「懐かしい記憶」に対面する。
消息にたどり着き、お元気な様子を知ることもあるが、既にお亡くなりになっていることもある。
もちろん、現在の状況を探しあてることができない人も多い。
けれども、過去にご縁のあった人たちを探すために、苗字や出身地や年齢等々、記憶の断片を手繰り寄せるだけで、なんともいえない懐かしい気持ちになる。
だから、実際はWEB上で再会できなくても、それはそれでよい。
思い出そうとするだけで、既に心の中では再会しているのだ。
ヒメヒオウギが咲いたことをきかっけに、これまでの人生で多くの人の支えがあって今の自分がいるのだということを改めて感じている。
こんなに昔のことを思い出すのは死期が迫っているからではと思うほどだが、幸か不幸か、今のところその予定はない。
ヒメヒオウギが発芽せず心が沈んでいたように、ひたすらに心が鬱々としてしまうことが続いたとしても。
人生を終わらせないでいこう。
時空を超えて花が咲くこともあるのだから。