幸せの道しるべ。10万円の使い道
10万円は大金ですか?
給付金という形で全国民に配布される10万円をどう受け止めるかは人それぞれです。中には「ポンとお小遣をもらった」ような感覚の人もいるでしょう。
けれども、この10万円は「普段の生活を維持するため」に使うべきお金。そういう性質のモノではないでしょうか?
物価の上昇を意識していますか?
いろいろなものが少しずつ値上がりしているように感じます。
トイレットペーパーは値段が若干上がっているという印象です。(2020年5月16日時点)。在庫不足という状況ではないようですが、品数には限りがあるようです。
品薄だったマスクは、通常50枚で500円程度のものが、3,000円ほどの値段でお店に並んでいるのを目撃しました。販売があったとしても、普段の数倍の値段で売っているようです。
普段からマスクをつける習慣がない人にとって今の状況は、マスクを買うこと自体がプラスアルファの支出。
物はある。物流は止まっていない。
けれども、売られている商品には、ちょっとずつ値段の上乗せがある。
こいういう状況です。
10万円の使い道は経済感覚によって差異がある
「生活の維持」を最優先として現状を捉えたとき、給付金の10万円をお小遣と受け止めてしまうのは危険でしょう。
収入が減っている人であれば、まずは、普段通りの収入で賄えたはずのものに充てる。それにプラスして、自粛生活により上昇した「食費や光熱費」に充当。
それでも余剰が出たなら、自粛が解けた暁に、苦しみを乗り越えた喜びを表現できるような「特別なこと」に使う。
このような発想になるのが健全なお財布感覚だと思います。
10万円給付したことで起きる現象が顕在化させるもの
私のような感覚の人もいるでしょうが、そうではない人も多数いるでしょう。私のような考え方は単なる「サンプル1」の存在でしかないのです。
だから私は、「配布された10万円で、どのように人が動いたか?」という「実験」としての価値に大変興味があります。それこそが10万円一律給付の価値ではないかと思うほどです。
給付金10万円の一律配布は、人々の幸せと苦しみを顕在化させる「大きな実験」のようなもの。
今後の予想をする人はたくさんいます。自粛した人びと巣ごもり消費を行い、その後の経済活動はどのようになっていくのかと。
でも、私は、予想や予測よりも、実際に起きたことを「観察して検証していくこと」に興味と感心があります。
幸せの道しるべ
給付金の10万円が配布されたとしても、生活の維持すら難しい人もいるでしょうし、10万円を「あぶく銭」として、パッと使ってストレス発散する人もいるでしょう。
10万円をどう使うか?
人びとの幸せはどこにあるのか?
あるいは、人びとの苦しみはどこにあるのか?
給付金の使い道は、ひとりひとりの幸せの在り処を教えてくれるもの。
その事実にこそ、次の世界をよりよく作るヒントがある。
私はそう思います。