見出し画像

過去の夢を繰り返し見るのは

ここ数日、夢を見ることが増えた。

過去の夢を繰り返し見る。

ブラック気味の職場に勤めていた頃の夢だ。

当時、私には「うち解けあうのが難しい」上司がいた。

実は、その上司のことが私は結構好きだった。うち解けあうのが難しかろうとも、上司の仕事ぶりや指示の的確さが素晴らしく、私なりに尊敬の眼差しを送っていたからだ。

最近、その上司の夢を連続で見た。

すごく怒られた夢。

挨拶をしても無視された夢。

決して楽しい印象ではなかった。

そして、なぜあんな夢を見たのだろうなと思案しながら眠りにつく。さらに繰り返し見たのは次のような夢。

その上司からの指示に従いたいと必死で働いているにも関わらず、思うように動けず、そんな自分にもどかしさを感じていた。

上手くいかない、これではダメだと自分で自分を責め続け、モヤモヤした気分を抱えながら目が覚めた。

社畜という言葉を自らに使ったことはないが、ここのところ社畜という言葉を耳する機会が増え、心の中に引っかかりを感じてきた。

あの職場を続けられなかったのは、自分が社畜になれかったからだと思っている。

もし仮に私が社畜になれたとしたら、あの仕事を続けることができたのだ。

私に向いているかどうかは別として、「仕事そのもの」はとても楽しかった。

だが、連日の長時間労働を「是」として行動に移せない自分がいた。楽しいと感じる自分の心とは裏腹に体力がついていかなかったのだ。

体力の限界。気力の限界。

それにも増して、自分がどれだけ無理を重ねても、そのことは全く評価されなかったこともストレスを加速させた。

だがしかし、不当と感じる評価であったとしても、それはそれで1つの評価の形。

ダメな人間だという周囲からの評価を私は受け入れて辞職をした。

あの職場では「社畜になれない人間は使えない」と評価されるしかなかったのだ。

それは汚点でも美徳でもない。

私にとっての単なる過去。

そういい聞かせても夢に出てくるのはなぜなのだろう。

答えを教えてくれることを、今夜の夢に期待しつつ。