大量虐殺の朝
芝の手入れが日課となっている今。
目下の課題は、芝に住みつく害虫の駆除であった。
芝の手入れをしたい立場で見ると害虫ではあったが、虫の立場から見るとただ必死に生きているだけ。そう思って殺虫剤を使うことをためらう気持ちがあったのだ。
幸い、カエルが3匹ほど居つきボチボチ食料にしていてくれたのでバランスをとっていてくれるだろうという甘い期待をしていたのだか、その期待は裏切られることとなる。
爆発的に増え続ける虫たちを見るだけで体に痒みを覚えるほどの増えよう。これはもう仕方ないなと私は覚悟を決めた。
購入した本で情報を集め、ホームセンターへと何度か足を運び、芝にばらまくタイプの殺虫剤を選ぶ。そして、雨が降るタイミングと重ならないよう注意深く機会を待った。
◇◇◇
水やりの度に芝の中から湧き出す虫たち。
あまりにも小さい。
ピンピンと跳ね回るので、どのような姿かハッキリと確認できないものの、ザックリの印象では小さな蛾のように見えた。
30センチ四方から20匹ほど沸き起こる場所もあり、芝は虫たちの住みかであったが、住みつづけてもらうわけにはいかない。私にとっては芝のほうが可愛い。
意を決して、殺虫剤を撒いた。
昨日の夕方のことだ。
殺虫剤を撒いたとはいえ全滅ということはないだろう。害虫たちが半分くらいになっていてくれたら嬉しいなという程度の淡い期待だった。
害虫といっても、あれほどの量がいなければ多少はいても許容範囲。
日々の水やりのなかで情が移ったのかもしれないな。
そんなことを思いながら、朝、芝に水やりを開始した。
けれども、害虫たちは、ただの1匹も湧いてこない。
あれほどそこら中にいた害虫たちはどこへいったのか?
小さな虫たちは、その死骸すら見られることがなく、土へと還るしかないのか。
自分の都合で殺しておきながら、胸が痛んで仕方なかった。
水まきを行う30分ほどの間、小さな虫が本当にいないのかと藁をもつかむ気持ちで芝の合間を見つめた。
ただ1匹がぴょんと跳ねて姿を見せたが、それきり、その場から動かなかった。
まさに虫の息だったのだ。
◇◇◇
私の都合で殺した虫たちへの思いは、なんと表現したらよいのか浮かばない。
大量虐殺は、私の意志で行ったことだ。
薬が大変よく効きましたと手放しで喜べないものの、芝のためにはこれでよかったのだ。
芝の勢いがあるこの時期だから、害虫が湧いていても、生き延びていられるが、涼しくなって芝の勢いが衰えてくると害虫に負け、枯れてしまう恐れがあるという。
そんな知識で自己弁護してみても、なんともいえない複雑な気持ちになる。
空の青さに芝の青さがより一層引き立っていた大量虐殺の朝。
この気持ちを抱えながら前に進ことが「生きる」ということなのかなと思った。