夢で見た景色の意味。「夢占い」よりも確かなモノ
不思議な夢を見た。
繰り返し夢に登場する「私の家」ということになっているマンションがある。そのマンションの一角が「私の部屋」としていつも登場するのだ。
久々に夢の中の「私の家」が登場した。
そのマンションの夢を見たのだ。
◇
「夢占い」に非常に凝っていた時期があった。
実をいうと、今でも凝りたい気持ちはある。だが、「これは当たる!」と信頼していた夢占いの本が行方不明なのだ。
だから、仕方なく夢占いを諦めて日々過ごしている。
◇
そもそも、夢占い読本が行方不明になったのには理由がある。
全くといってよいほど夢を見なくなった時期があったからだ。その時期に夢占い読本の行方が分からなくなり今に至る。
時々探そうとするのだが、それでも見つからない。今は夢占いに頼るなということなのだろう。
◇
そうはいっても、見た夢が気になることもある。
久々に登場した夢の中の「私の家」は、複雑な構造をしており、どこからどう出入りするのか分からないような迷路になっているマンションだ。
近未来的なスケルトン構造の建物。そのマンションの夢を見るたび、格好良くもあり、複雑すぎて不安要素もあるような。そういう感想を持つ。
今回の登場で、マンションはリフォームされていた。特に私の部屋のドアは新品になっていた。内装もきれいになっていた。
夢の記憶として、「新品の部屋の微かな匂い」が鼻の奥に残っていたほどだ。
◇
リフォーム後のマンションは、構造自体は変わらず複雑なまま。
だが、梁だけは太くなっており、夢の中の私は、「梁を太くして複雑な構造でも強度が十分になったのね」と納得していた。
そうやって納得している私の視線の先に登場したのは、かつての上司らであった。
夢に出てきたのは2人。私自身が「嫌な気持ち」を抱えたまま、辞めた職場の上司。その2人が「満面の笑み」で夢の中の我が家にやってきたのだ。
◇
勤めることの最低条件は「働いているときに感じのよい笑顔でいられること」。そういう職場であった。対外的にも好感度が高い人物像が揃っていると評判の組織だったと思う。
だからあの2人が感じよい笑顔をすることは決して不自然ではない。
けれども、久々に現れた2人は、あまりにも最高の笑顔であった。
◇
一方、私は、リクルートスーツを着ていた。ぎこちない体の感覚を覚えている。
その上、夢の中の私は、心中穏やかでない状況だったのだ。
マンションの梁をみつめていたタイミング。上司が登場する直前、私は、文章を書く仕事をしていた。
原稿の推敲が未実施であるにも関わらず「原稿を書き上げたので確認をお願いします」の状態へと進捗ステータスを変更したけれど、まぁいいかと感じてひと息ついていたのだ。
◇
行動の選択肢としては、進捗ステータスを「執筆中」に戻すことが正解だと「現実の私」は思う。
だが、夢の中の私は、進捗ステータスを戻すことなく、「先方からの確認が入るまでのタイムラグがあるはずだから、その間に推敲すればよい」と考え、ひと息ついているのだ。
その途端、上司らの訪問がある。急な来訪にアタフタする。
進捗ステータスを戻すこともできず、推敲作業を進めることもなく、心中穏やかではない状況で、お茶を入れていたのだ。
◇
夢は夢でしかない。
そういう考えもあるだろうが。
不思議な夢だったから、どうしても気になってしまう。
だから、私は、夢占いではなく、自分の感覚的なコトはどうかと自問してみた。
夢で見た景色の意味は、解釈するよりも、感覚的なコトのほうがメッセージを受け取りやすいと考えたからだ。
◇
「夢占い」よりも確かなモノ。
それは、自分の感覚。直感といえるものかもしれない。
夢の終盤、「進捗ステータス」のことがなければ、夢自体は悪いものではなさそうだと感じる。
だからこそ、気になる部分「アタフタした感覚」を払拭するような生き方を選択していこう。
「誠実に、機敏に、全うに」と、心がけていきたい言葉は浮かぶが、「言うは易く行うは難し」である。
生きて実践あるのみ。
自分の生きる「物語」を書き換えることができるのは、自分しかいないのだから。