自分の苦しみは自分しか救ってあげられないと思うに至る
不眠症というのは、夜の時間を楽しむ権利のようなものだと思うことにした。
だから、かつての私は、夜通し好きなことをして過ごしたのだ。例えば、延々と自問自答を続けるなど。
お題を用意して、自分がそれに答え眠れぬ夜を楽しんでいたのだ。
苦しい時には誰かに助けを求めるべきか
助けを求めることを推奨する言葉を見聞きする。身近に相談できる人がいれば「悩みが深刻になることは避けられる」という言葉。それ自体を否定する気はない。
だが、それだけで物事は解決するのだろうか?
悩みは人に話すことで楽になるのか
人に相談できれば「悩みが深刻になることは避けられる」という状況も考えられる。そういうことは否定しない。だが相談することは万能策ではない。
そもそも深刻な悩みというのは、深刻になった状態で突然発覚することも多い。不慮の事故のように降って湧いてくる悩みほど厄介なものだ。
相談のタイミングが難しいこともある
相談をしようと思いつつも、状態が悪化していき、悩みが深刻になることもある。
なんとか出来ると思う気持ちと、もう無理だという気持ちがせめぎ合っているうちに、事態は深刻化していくのだ。そうこうしている間に、手の打ちようがなくなることもあるだろう。
苦しみから逃げるべきか
深刻化した問題からは逃げるべきという意見もある。命と引き換えにするくらいなら逃げるべきというのは至極全うな意見だろう。
だが、逃げようとしたタイミングでは、逃げ道すらなくなっていることもある。その状況にある人にとっては「逃げて!」というアドバイスもただ空しいだけなのだ。
心の平安を手に入れるには
苦しみの種類にもよるだろうが、心の問題で苦しみが増減するのなら、その苦しみは、人に相談をすることなく解決はできる。
「自分の苦しみは自分しか救ってあげられない」と自覚して生きることだ。言い換えるなら、苦しみや深刻さが心の持ちようで軽くなるなら大丈夫だと自らの精神状態を把握する目安にすることである。
原則、人は一人で生きている
自分一人では背負いきれないと思うタイミングで人に相談する。自らを律し、自らの精神状態を把握し得るのは、「自分の苦しみは自分しか救ってあげられない」という自覚があるからこそ。
原則、人は一人で生きているのだ、私も、あなたも、見ず知らずの誰かも。
自分を救うということ
不思議なもので、人は一人で生きていると自覚し、心の持ちようでなんとかすると覚悟が決まると、誰かが救ってくれる可能性を漠然と感じるようになるものだ。
とどのつまり、その感覚を持てるのは、自分自身が自分を救っているからではないだろうか?
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自分自身を信じる力があるから、最終的には一抹の安堵を他人に求めることも可能だと無意識に悟る。その「無意識」こそが自分の苦しみを自分が救うことなのだ。
眠れない夜に、そんなことを思ってみた。