探さないことも「思いやり」のうち
インターネット上のつきあいでは、ある日突然、「その人の存在が消える」ということが起きる。
ソーシャルネットワークサービスを活用している人であれば、そのような体験をしたことがあるだろう。
消え去る側の人間は、周囲の喪失感を知ってか知らずか、突如目の前から去っていく。いったいどのような心境なのだろうか?
私自身も辞めたいと思ったことが度々あるので、辞めたい気持ちはわからなくもないのだが。
それでも悶々としてしまう。
消え方には「アカウント休眠」というスタイルもある。積極的に距離を取ることもあるが、放置していたら月日が経っていたというパターンもあるようだ。
複数ある「消え方」のうち一番堪えるのは、突然、何の前触れもなくアカウントごと消えるやり方だ。
消える側にも様々な事情があるのだろうとは思うが、本人の抱える事情とは関係なく、消えた方の存在を知った時、私がとっさに思うことは次の2つ。
「私が何か悪いコトをしたのだろうか?」
「何かのトラブルに巻き込まれたのだろうか?」
これらの可能性を考えて、あれこれと思案してしまう。
消えたことを知ったショック、交流を突如奪われた喪失感。それらがあるのは事実。
けれども、自分の心の痛みを脇に置いて、「あなたがそれを望むのなら」と相手の決意を肯定する。
探さないことも「思いやり」のうち。
そう受け止めて、前に進んでいくしかない。
記憶の隅に、出会えたことへの感謝の心を刻みつつ。