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能登半島地震発生時の石川県総務部デジタル推進監室情報システムグループの動きと「石川県 令和6年能登半島地震 支援情報ナビ」を立ち上げた株式会社アスコエパートナーズさんにインタビュー


こちらの取材は日本財団の助成事業です。

今回インタビューさせていただいたのは、石川県総務部デジタル推進監室情報システムグループに所属する北山和彦さんと石川県戦略広報課の川通翔さん。 そして、 被災した方が必要な支援制度情報を受け取るためのサイト「石川県 令和6年能登半島地震 支援情報ナビ( https://aidfor.ishikawa-pref.supportnavi.jp/ )」を立ち上げた 株式会社アスコエパートナーズの方にもインタビューさせていただきました。

取材の時点では、地震発生から4ヶ月が過ぎ、被災者も避難所から二次避難先やみなし仮設住宅への移住など、住まいの確保がある程度できたという状況です。地震発生直後から、サイト立ち上げまでの経緯、サイトの運営の実態などをお聞きしました。

能登半島地震発生直後について

職員も休日だった元日に起こった地震、石川県庁内の動きとは

提供:石川県

2024年元日に起こった令和6年能登半島地震。石川県庁は混乱していたといっても過言ではない状況でした。県地域防災計画では、震度5強以上の地震が県内で観測された場合、全職員が登庁することになっていますが、年末年始を実家で過ごそうと移動していた職員も多く、県外や能登半島へ帰省している人も少なくなかったといいます。また、金沢市内も震度5弱を観測しており、石川県庁のある金沢市鞍月は避難場所となっており、避難した住民の対応や国との連携のために必要な情報の収集を行うなど、現場は混乱していたそうです。今回お話を聞いた北山さんは羽咋市に滞在しており、地震発生直後はリモートで同僚と連絡を取りながら情報収集を行い、登庁できたのは翌日の1月2日でした。

デジタルの分野での対応


提供:石川県

当庁した職員は、人手が必要なところへ配置されました。全国の支援物資が保管されている体育館では、荷物の搬入から仕分け作業を行い、何がどこにあるかを把握しながら配置を行ったそうです。デジタル化の総合的な企画及び調整に関することを業務としているデジタル推進室は、災害時に使えるデータベースの構築を目指し、県外からの応援職員と一緒に日々作業に追われました。

その一方で、能登半島は地震の影響で停電や設備の故障で通信障害が続いていました。道路の寸断により基地局まで各電話会社はなかなかたどり着けなかったそうです。ドコモとKDDIは「船上基地局」を運営したり、5000機以上の小型人工衛星を使った「スターリンク」の活用を働きかけたり、住民の通信手段の復旧に力を注ぎました。
(参考:北國新聞「被災地でスターリンク活用」)


更新されなかった知事の呼びかけ


提供:石川県

地震の影響は幹線道路にもありました。地割れや土砂崩れの発生で道路が寸断されてしまったのです。地震発生からしばらくは交通インフラが弱い上に、移動のための個人の車が列をなし、救急隊や救援物資を運ぶ車輌の支障になってしまいました。手立てを講じてほしいということで、知事やメディアも個人の一斉移動については極力控えてほしい というメッセージを発信します。

その後、道路の応急処置が落ち着き、いざ、ボランティアに能登に来て欲しいときには地震への関心度が低くなり、地震直後ほど大きく報道されなかったため、ボランティア活動ができるという情報が広がっていきませんでした。逆に「どうして来ないでと最初に言ったのか」という批判的な意見になってしまい、能登半島へ行くのは避けるべきという認識のまま、更新されない人の意識を上書きするのは大変でした。

復興に向けて動き出す

今回の能登半島地震の情報収集をして感じたこと


提供:石川県

県が被害を受けた市町村に被害情報を確認するのも困難でした。市町村の職員も被災し、避難所が次々と開設される中、その中で自分のできることをやらなくてはいけなかったこと。また、被災地の電波状況が悪く、携帯電話を使っての通話が困難なエリアも多かったことも情報収集の壁となったのでした。県庁は自衛隊とDMATと呼ばれる「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」と定義される災害派遣医療チームと情報の共有を取りながら、被害状況を把握していくことになります。

全国から援助物資だけでなく応援職員の派遣もありました。被災経験のある人から物資配送もモノの整理から分配までアドバイスを受けながら作業をしたり、専門的な知識を教えてもらったり、蓄積をしていきました。住宅の被害が見えてきたのは、半月が経過してからでした。

県は被災者データをどう収集し活用するべきか続く議論


提供:株式会社アスコエパートナーズ

地震発生後の住民の安否確認を行うのも現場は大変だったそうです。被災した珠洲市は2023年5月にも最大震度6強の地震が発生しており、その際に石川県側はマイナンバーカードを活用した一人ひとりの安否確認をスムーズ行うために登録を推進していた矢先の地震でした。

急速に避難所が開設された影響と、家屋の倒壊で着の身着のまま避難した人もいる状況で、当初は紙に名前と住所を記録するアナログな方法を取っていました。また、避難所に留まらず、車中泊や自宅から避難所に物資を取りに行く人もいて、把握しきれない状況が続いたのです。

さらに余震が落ち着くと、二次避難先へ移動したり、親戚の家に身を寄せたりする人が現れて人の移動がさらに活発に。その影響で被災者が避難所からどういった経緯で移動したか記録されていないため、移動先で再度個人情報を確認しなくてはならないという手間も発生しました。

そんな中、能登半島地震を受けて避難生活を続ける住民に対し、被災者の状況を把握し、きめ細かな支援に生かしていこうと交通系ICカードのシステム、JR東日本の交通系ICカード「Suica」の配布をします。カードには名前や住所、避難先といった情報が紐付けられ、住民が避難所にあるカードリーダーにタッチすると、いつ誰が来たのかを県や自治体が確認できる仕組みになっています。並行してLINEを使って被災者の状況を把握する取り組みも行われました。
(参照:NHK「石川県 被災者に交通系ICカード配布 システム活用し支援」)


中長期的な支援情報を提供する手段

二次避難中の被災者へ被災地の市町村の情報をどうやって届けるか


提供:石川県

「今後の課題は、住民のみなさんが知りたい情報をどうしたら確実に届けられるかです」と話す北山さん。取材時は地震発生から4か月以上が経過。仮設住宅の建設も進み、入居も進んでいます。二次避難先での生活も落ち着き始める時期。被災地から移動した方のほとんどは、家が倒壊して住めないため、残してきた家の修理や解体を行う必要があります。そのためには、住んでいた市町村から発信されているり災証明の情報や、公費での解体についての情報を確実に届けなくてはいけません。

LINE、メール、郵送どの手段を使うのか、ひとつの通信手段だけでは全住民に届かないことも念頭に置いて、高齢者、子育て世代、単身者と様々な立場にある人が情報を受け取れるように考えています。

1月26日「令和6年能登半島地震 支援情報ナビ」サイトの公開


https://aidfor.ishikawa-pref.supportnavi.jp/

被災した方が必要な支援制度情報を受け取ることができるよう、公開した「令和6年能登半島地震 支援情報ナビ」。このサイトは株式会社アスコエパートナーズが2011年の東日本大震災時に構築した「復旧復興支援ナビ」やその後の「被災者支援ナビ」を基にして、2020年7月から取り組んでいる「Aid forプロジェクト」の一環です。今回の能登半島地震発生直後にアスコエパートナーズが他の協力会社と共に着手をはじめ、1月26日に公開となりました。その後石川県との連携が始まり、ともに情報更新を進めています。

今回は支援が必要な方の視点に立って支援情報のデータ整備を進めている、一般社団法人ユニバーサルメニュー普及協会の北野菜穂さんが指揮をとり、国や公共団体が提供する被災者支援制度に加え、石川県の被災者支援制度に関する情報を対象に、制度の概要や利用条件などに加えて、問合せ先へのリンクを整備しました。支援制度が探しやすいよう、タグ付けなどによる分類と制度の説明文の編集、加工を行っています。
「民間の団体が主導でこうした支援情報を発信するために協力いただけたことが、本当に嬉しいことです」とお話を聞いた石川県庁の北山さんも喜んでいました。

Aid for プロジェクト を通じて期待することー長期的な支援情報を確実に届けるー

Aid for プロジェクト発足から現在までの経緯


https://aidfor.noto-peninsula-earthquake2024.supportnavi.jp/


今回は株式会社アスコエパートナーズでサイトの運営と更新などで尽力されている、原田一弘さん 、小山恭平さん にもインタビューさせていただきました。

石川県 令和6年能登半島地震 支援情報ナビ

現在、社員2名がサイトの運営と更新を行っています。 このプロジェクトは2024年の仕事始めのときにすぐに議題に上がり、動き出しました。
被災者向けの支援情報のナビサイトを立ち上げるきっかけは2011年の東日本大震災でした。当時、支援を受ける方が、なかなか自分たちが必要とする情報を得ることが難しい状況がありました。そのため、被災者にわかりやすく探しやすい支援情報を届けることを念頭に、ウェブサイトを立ち上げたのです。また、令和2年に九州地方で発生した豪雨災害 のときにアップデートを図り、6日間という短期間でウェブサイトを立ち上げ、運用を始めています。

被災者に確実に情報を届けようと、進化を続けているAid for プロジェクトですが、あくまでも有志。被災された方は、支援 情報を早く知りたいというニーズがあるという想いを持ち、サイトの運営と更新はメインの仕事の傍ら、時間を捻出して構築や運営の協力をしています。

プロジェクトを重ねていく中で、特に国の制度など基本は変わらない部分もあり、どの災害でも同じパターンで支援情報が使われるなどもわかってきました。国の情報を揃えてから、今回独自に発表される支援情報を探していくという流れを掴み、構築するスピードは速くなっているとアスコエパートナーズの社員さんも感じています。

今回の支援情報ナビの立ち上げ時には複数の会社や東京都目黒区 の職員さんにもご協力いただいたそうです。多言語翻訳連携ややさしい日本語をサイトに標準で搭載していますが、各企業様からご提供いただいていることに感謝しています。

現在は石川県の支援情報を元に更新を行っています。支援情報に関する取り扱いで気を付けていることは、言葉が固く、理解しづらい内容も多いため理解しやすい言葉に置き換えるといった工夫をし、被災者のみなさんが情報を取りやすいよう気を付けているところも印象的でした。

一般社団法人コード・フォー・カナザワ(Code for Kanazawa)との協力

打ち合わせの様子

プロジェクトも普段の業務がある中でアスコエパートナーズの有志のメンバーで行っています。的確に被災者向けの支援情報の整理をしながら更新を行い、保守作業や維持管理まで一社で作業を続けるのには限界があります。

その中で金沢市をベースに活動する一般社団法人コード・フォー・カナザワ(Code for Kanazawa)との協力にも注目して欲しいです。Code for Kanazawaは、市民の課題を集め、その課題を整理・分析した上で、メンバーが実際に課題解決となるソフトウェアやハードウェア(仕組みや方法)を開発する団体。サイトの枠組みはアスコエパートナーズが構築しているので、更新の手順を共有していれば、協力可能です。石川県の団体と協力体制にあることを、とても力強いと感じてくださっています。

オープンデータとしての活用

打ち合わせの様子

支援情報ナビは誰でも作れるようにオープンデータとして公開しています。
石川県の支援情報も、「新型コロナ対策⽀援ナビ」を作ったときに作ったサイトのデザインのフレームワークを利用し、中の情報を入れ替えれば使えるものになっています。
(参考:ユニバーサルメニュー普及協会「ユニバーサルメニュー®に準じた、令和6年能登半島地震 復旧復興支援情報データをオープンデータとして公開」)
https://universalmenu.org/blog/2024/01/29/pr-20240129/ 

石川県もアスコエパートナーズの協力も仰ぎ、県や市町村、支援団体が持っている被災者に関するデータをまとめて活用できるように準備を進めています。

まだまだ試行錯誤しながら取り組みを進めている途中ですが、集めたデータを活用し、被災者支援DXの仕組み造りに繋げるといった可能性を秘めています。デジタルの面からも石川県、能登半島地震の復興を支えていけたら幸いです。

※今回の取材については、日本財団の助成事業として行いました。

今回の取材は日本財団の助成事業です。


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