のとささえーる 代表の薮下佳代さんインタビュー【能登半島地震】~障がい者への支援を続けていくために必要なこと~
今回、取材させていただいたのは、障害がある方やご家族への相談活動や被災施設へ支援活動を行う支援団体「のとささえーる」代表理事の薮下佳代さんです。
障がい者を持つご家族や支援者も被災され、ご苦労があったと思います。障がい者は子どもや高齢者など「災害弱者」とも呼ばれ、災害時の支援に特に気をつけてケアを行わなければならない難しい分野です。薮下さんからお話を聞きながら、声を上げるのが難しい障がい者の支援について今一度考えてみたいと思います。
災害発生時の障がい者へサポートする難しさと行政の壁
障がい者の支援を行う団体「のとささえーる」を立ち上げるまでの経緯
薮下さんは現在、安全・安心・自立した生活を支援する共同生活援助・短期入所のグループホーム「ハートの家」の責任者です。
薮下さん自身はすでに成人したお子さんがいらっしゃいますが、自身が子育て中に、子育てサークルやイベントを開催。親子の心の悩みや問題にも向き合った経験があります。
仕事で「ハートの家」の立ち上げに携わり、現在に至ります。障がい者にも関わると、環境の変化に適応するのに時間がかかる、自分のことをうまく人に伝えられないなど、サポートが必要な場面を見てました。
そのときに起こった2024年1月1日の能登半島地震。珠洲市の施設に知人がおり、真っ先に連絡を取ろうと思いましたが、連絡を取る手段がなく、数日後に何とか無事を確認したときは安堵したそうです。
ただ、障がい者の中には環境の変化に敏感で、避難所に入れない人もいるということ経験上心配しており、ハートの家で空いていたワンルームの3部屋を確保。すぐに受け入れが可能な状態を作りました(※現在は満室)
その支援活動の様子が北陸中日新聞に掲載されました。
SNSでも発信をしたところ、障がい者の支援をしている家族や関係者からも問い合わせや相談が相次ぎ、災害時のいろいろと障壁があることがわかってきたのでした。
行政の対応
今回の地震で、日々情報が変化する中、支援者である薮下さんたちも自主的に情報収集をしていましたが、必要関係各所に問い合わせをしてみたものの、現場が混乱しており、「確認して折り返す」という返答をもらっても、なかなか折り返しの連絡がないこともありました。
行政からは義援金や移住を勧める資料などが郵送で届きましたが、資料に目を通してみたものの、障がい者には理解が難しい内容でした。資料の内容についても薮下さんところには、当事者、その人に関わる支援者からの相談、問い合わせが多く寄せられたそうです。
今回の地震で見えてきた問題点
また、障がい者が二次避難所からグループホームや福祉施設に移住がなかなか進まなかったことも金沢にいた薮下さんたちは気をもんでいました。
今回の地震でわかったのが、障がい者には要介護者のような「みなし」という制度がなかったことです。要介護者は担当のケアマネージャーではなくても「みなし」として他のケアマネージャーがケアプランを作成することができるので、今回の震災もケアマネージャーが被災して手続きが困難になっても施設入所などの手続きを代行でき、進めることができました。
障害者には、そのような制度がなく、福祉サービスの支給決定をするのは市町村。該当する市町村の担当の相談支援専門員が個別支援計画を作成し、市町村に提出してから、支給の決定を待たなければいけません。
今回、担当の相談支援専門員も被災者で、市外に避難していると安否確認から始まり、連絡が手段も安定しない中、市町村の行政機関も被災で混乱していたため、対応する人数の確保も困難で、すぐには進まなかったのが現状です。
障がい者に対して動きだせたのは2月中旬
行政が動き出したのは、2月中旬。全国の基幹相談支援センター、相談支援専門員に応援を依頼し、ローラー作戦と称して、避難所生活をしている障害者に個別訪問を開始したのでした。その後は、被災している担当の相談支援支援専門員に引き継ぐか、金沢市の相談支援専門員で引き受けてくれる人を自力で探さなければなりませんでした。
金沢市でも相談支援専門員は不足しており、引き受け手がなかなか見つからない状況です。その中で、能登出身者や気持ちのある人が無理をしながら引き受けているのが現状です。
また、障がい者グループホームの入居は、みなし仮設や仮設住宅の入居として扱えってもらえないので、家賃、生活家電の購入の負担も大きくのしかかります。
着の身着のまま出てきた人も多く、もし補助があれば生活環境を整えるのがスムーズだったことでしょう。勤めていた職場も被災して仕事を続けられない中、障がい者の立場はとても大変だということに直面したのでした。
地震発生後、自分ができること
薮下さんはイベントを主催し、日本各地に友人がいたこともあり、全国の人から心配の声が寄せられました。自分たちにできることはないか、何か役に立ちたい、という声をもらいました。
薮下さんが住む金沢市は地震の被害が少ない地域で、「ハートの家」も行政とも連携をし、二次避難の送迎および受け入れを行い、全国からの支援者の中継拠点として、物資を集めたり、休憩所や宿泊所を提供しています。
新聞の報道をきっかけに広がった支援の輪
2024年3月7日に「被災者の声を聞こう」というイベント開催。全国から約40名が集まり、ボランティア活動も制限されている中で輪島市、七尾市でボランティアに入った方が直接地震後の被災地の様子を伝えする場となりました。さらに実際に被災された方の震災直後のお話を聞きながら、必要な支援について参加者と語り合いました。
4月には珠洲市へニーズ調査、そして復興支援イベントを開催
2024年4月には珠洲市を訪問した薮下さん。倒壊している家屋が多い中、BIG UP石巻やBIG UP大阪の協力を得て、社会福祉法人すず椿を訪問してニーズ調査を行いました。被災地の現状を直接聞くことで、より必要な支援について検討することができました。
同月に復興支援の一環で「来て応援!食べて応援!しよう」と県外からゲストをお呼びして、金沢を楽しんでもらいながら、参加費から経費を除く全額をのとささえーるに寄付していただいたそうで、本当にありがたいことです。
将来のことを見据えた支援とは
今後の支援について
障がいを持っていると、大きな環境の変化に対応するのに時間がかかったり、環境が変わることで体調を崩してしまったりすることがあります。
障がい者向けの環境を整えるのには場所の確保も必要です。また、一般避難所、二次避難先からも移動についても課題が多く、事前準備段階において障害当事者の不在のまま準備を進めていたことで取り残されています。
二次避難から移動し、慣れない土地での生活を考えれば、支援者の見守りを受けながら、生活を整えていくことも大切であると考える薮下さん。被災した障がい者は、自宅が倒壊した場合、住んでいた自宅をどうするかという手続きも同時に進めなくてはいけませんが、複雑な手続きを行っていくには、やはり支援の手が必要です。地域事情にも対応した、きめ細やかな具体的な計画が必要だと感じました。
Aid for プロジェクトについて
Aid for プロジェクトとして立ち上がった石川県 令和6年能登半島地震 支援情報ナビ(https://aidfor.ishikawa-pref.supportnavi.jp/)についてもお聞きしました。
取材の時点では、地震発生から4ヶ月が過ぎ、被災者も避難所から二次避難先やみなし仮設への移住など、住まいの確保がある程度できたという状況。それまでは、どうしたらいいかを各市町村に問い合わせして確認していく作業が多かったため、電話で確認をすることが中心でした。
障がい者は施設に入るにも元居場所で手続きが必要なため、こうしたサイトがあると、被災地域から避難している状態でも、自分がいた場所の情報を入手しやすいのはとてもありがたいとのこと。ご家族や支援者にはまだまだ知られていないので、これから活用していきたいと思います。
障がい者さんは自分では理解が難しい場合もありますが、周りの人が同じ情報を共有できていることがスムーズな支援につながります。そういった意味でも必要なのではないでしょうか。
石川県 令和6年能登半島地震 支援情報ナビ
※今回の取材については、日本財団の助成事業として行いました。
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