
両親は「何も与えない」を与えてくれた、という話。
どうも、死に急ぐ生命の果実です。
今回はちょっと思い出話をしようと思います。
墓参りにいってきた
9月半ば。
世間ではお彼岸と呼ばれる季節だ。
両親はすでに他界しているので、実家には誰も住んでいない。
とはいえ、それなりの大きさの家とそれなりの広さの田んぼと畑がある。
誰もいないからと言って、管理を怠るわけにはいかない。
そんなわけで、三か月に一度くらいの頻度で、田舎の実家に顔を出している。
やることはせいぜい換気をして空気を入れ替えるのと、水道や電気の動作確認、あとは床にたまったほこりの掃除や、庭の草むしりなどだ。
今回はお彼岸ということもあり、お墓の掃除もしてきた。
……といっても、枯れた花を捨てて、雑草を抜いて、線香をあげただけではあるが。
岐阜の片田舎。実家からお墓までは片道30分くらいの道のりだ。
山の勾配を考えると自動車があれば使いたくなるが、残念ながら帰省中はそれもままならない。(そもそも自分は自動車の免許を取っていないのだが)
夕暮れが近づく午後4時。
すっかり鄙びて雑草に覆われてしまった実家や周りの家々を眺めながら、子供の頃の懐かしい記憶をたどりながらてくてくと散歩をしてきた。
思えば、さほど不自由を感じなかった子供時代だったと思う。
もちろん、今思えば、だが。
子供時代を思い返す
田舎ゆえの娯楽の少なさには幾分か不満があったし、都会へのあこがれはもちろんあった。
テレビ東京系列である岐阜テレビはアニメに弱く、すぐ隣を飛んでいるテレビ愛知の電波を羨んだものだ。
当時はそれでも楽しい子供時代を過ごしていた。
ただ、友達と遊んだ記憶はあるが、兄弟以外の家族と遊んだ記憶はあまりない。
両親は兼業農家で、収入を得るための主要な仕事の他に、夏は野菜、秋は稲刈り、そうでない時も家事など、今思えば子供三人を育てながら祖父母の面倒を見るなど、相当忙しかったはずだ。
当時、父は水力発電所のダムの管理者で、日勤・夜勤を織り交ぜたスケジュールで、さらに大雨の日などは泊まり込みもよくあるハードな仕事だった。
休日、眠っている父親を無理に起こし「遊んで」とせがんだのは、はなはだ迷惑がられていたに違いない。
そんなこともあり、自分で思っているよりも、両親のことを知らないなということを最近感じるようになった。
両親のことを知らない、という気付き
父がフォークソングを愛好していたことはなんとなく知っていたが、地元での一大音楽イベントを復刻するのに積極的に協力するほど熱意があるとは思ってはいなかった。つくづく、自分のことを話さない飄々とした人だったと思う。
また、どうやら父がそれなりに女性にモテていたらしいことは、彼の葬儀の時に初めて知り、少なからず驚いたものである。
母は母で、畑仕事や家事、子供の世話などの傍で、いろいろなことに熱意を持って取り組む多趣味な人だった。
ソフトボールや習字、弓道や編み物・縫い物などやっていたように思う。
野菜作りも母の趣味が始まりだということは、母の死後にその遺志を継ぎたいという人から伝え聞いて知ることとなった。
5年前の母の葬儀には田舎のわりにはたくさんの……本当に多くの人が参列してくれ、その交友関係の広さには驚かされた。
両親の馴れ初めや、新婚旅行で各地をドライブしたことなど、そんなプライベートな面に触れるのは、両親が亡くなってからのことだった。
自分は両親のことを、なにも知らなかったのだ。
両親にはとても感謝している。
ただ、自分は両親のなにかを受け継ぐことができたのかと思うと、答えはNOだろう。
両親に感謝はする。だが……
父が亡くなってからもうすぐ一年となる今になって、少し考えてしまう。
派手で贅沢な幸せではなかったが、思えばなんだかんだで充実した子供時代を過ごせたのは、両親のおかげなのだなと。
今思えば、両親は自分に「敢えてなにも強いなかった」のではないか、「敢えて自由にしてくれた」のではないかと思う。
人生の大切な分岐点において、両親は自分に助言することはあっても、真っ向から否定し、違う道を示すようなことはしない人たちだった。
比較的強く言われたのはせいぜい「大学は行っておいた方がいい」「自動車の免許は取っておいた方がいい」あたりだろうか。
(この2つに関しては本当にその通りだったと、のちに後悔することになるが、それはまた別の話)。
本当にいい両親に恵まれたのだな……と、今になって深く感謝している。
自分が自分の人生で後に残せるものは何もない、と思う。
ただ、こういった両親への感謝や、両親が善い人間であったことは、きちんと後に伝えていけるようにしたいと思う。
甥姪がいるが、まだわんぱく盛りでそんな話を聞いてもつまらないだろう。
彼らが大人になって興味を持ったとき、祖父・祖母がどんな人間だったのか、話してあげられるようになりたい。
亡き両親の願いの中に「自分が幸せであること」や「自分が健康に長生きすること」が含まれていたのは想像に難くないし、間違っていないだろう。
心身やメンタルの不調でとても心配をかけたであろうことは、後悔している。
残り少ない今後の人生を、きちんと生きていけるように。
もう遅いかもしれないが、気持ちを新たにしたいと考えた。
そんな夏の日の話。