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7 朝食、リハビリ
朝がきて、朝食もきた。だが私はどこから手をつけたものか迷っていた。下手をすると吐いてしまうかもしれない。そして私は吐きたくはなかった。
まるで世にも奇妙な物語の「夜汽車の男」の気分である。もっとも、彼はどのような順番で食べるのがもっとも食事の質を高めるかという積極的な動機で戦略だてて弁当を食べるのだが、私の場合、どのような順番で食べれば嘔吐を防げるかというあんまりな動機である。
ミカンは止しておこう、とか、たったこれだけしかない牛乳を大事にしなくてはといった具合のことを考えながら食事をした。だから遅々として進まず、食器を下げにきたおばさんに呆れられた。そして結局、牛乳を飲みきってしまったために完食をあきらめることになった。
たしか「毎日牛乳」という商品名の牛乳だったと思う。この小さなパック牛乳はストローをさして飲めるようになっているのだが、そのストロー穴がちょうど「毎日」と「牛乳」の間にあって、私のぼやけた目には「(二字熟語)の(二字熟語)」という文章にみえる。そして、その二字熟語の部分が注意を向けるたびに変わるのだ。
もっとも、私はそもそも目がわるく、手術後ずっと裸眼ですごしている。だからこれくらいは「なんとなくそう見える」の範疇だと考え、むしろ牛乳パックの上に現れる突拍子もない文章を楽しんでいた。
「世界の崩壊」「時代の反逆」といった大仰な文章が出てきたと思えば、「業者の失敗」のような何なんだという文章が出てくるのである。
***
看護師とともにリハビリテーションの先生がやってきた。全身麻酔後の人間は廃用症候群といって極端に筋力が低下している。ここから普通の人のように動き回れるようになるためにはリハビリがどうしても必要なのだ。
私は立つどころか、そもそも身を起こすことができない。どうすればいいのですかと聞くと、体を横に向けて腕の力で体を起こすのがよいとのこと。腰の力で身を起こすのは難しいし、体に大きな負担がかかる。(集中治療室で自分はまさしく腰の力で身を起こそうとし、すぐに無理だと悟った)
私はようやくベッドの端に座ることができた。座ってしまえば座っている狀態を維持することはさほど困難ではないように感じる。立ってしまえば、案外立てるのではないだろうか。
じゃあ立ってみようか、と先生は私の手を引いた。
なんだ、けっこう立てるじゃないか、と私は一瞬思った。
「大丈夫? 眩暈とかするんじゃない?」
その言葉に不安が心をよぎった瞬間、回るような眩暈が私をおそった。私の手は溶けてしまって流れ去ってゆく、そのように感じられた。
そしてまたこのようにも考えた。はじめは全く大丈夫だった。なのに「眩暈」と言葉をかけられてから思いだしたように眩暈に襲われている。これはいわば暗示にかけられた状態であって本来なら眩暈はおきなかったのではないか? しかし、そのように考えても、眩暈はおさまらなかった。
私は座った。リハビリはまだまだ先なのらしい。今はとりあえず体力を回復することである。何か横になったままでもできるリハビリはないだろうか、と私は思った。
「腹式呼吸はどうですか」と聞いた。
「よく知っているね、それで腹筋を鍛えることもできるよ」
「昔、吹奏楽部にいたので」
それで、腹式呼吸を試してみた。先生が帰ってからも繰り返した。
腹式呼吸は簡単にできるが、しかし確実に腹筋を使っている。何度もやっていると、腹のおくで何かがしびれているようなビリビリした感覚があらわれた。筋肉痛なのだろうか?
少し休んでから再開すると異様で不快な感覚が私をおそった。吸気してふくれあがった臓腑が呼気の縮小に追いつけないで肋骨にはさまれてしまうような臓器をえぐられる感覚だった。看護師にも言ってみたが、しかしどうにもならない。ただ、できるだけ気にしないようにするほかになかった。
***
入院生活とは、ただひたすら待つことに尽きる。ただ時間が自分の上を通り過ぎてゆくことを待つこと、何もしないでただ休んでいること、それが入院生活の本質である。
目を閉じると、錆びて表面のメッキがはげたところが点在する金属のなめらかな板がどこまでも続いていくようなイメージが見えた。あるいはそれは広い雪原で、ところどころに木々の集まりと人のかげがあるのである。
背伸びをして目を閉じてまた開けたら、自分がさっきまでいたところとは違うところにいるような気分がした。もしかしたら、一瞬のうちに時間がいくらかとばされたのかもしれない。本当にそうなら良いのに。
昼食の時間になった。朝食のときのように無駄に考えることをしないで、とにかく食べようと考えたのだが、しかし、どうしても時間がかかってしまう。食べなくてはという気持ちで食べる白米はおそろしく味気なく、これが映画か何かならこんな無駄なシーンはカットしてくれるのにと思った。何か超越的な存在が私の経験を編集してもっとコンパクトにしてくれたらいいのにと、そう思った。
***
二〇一九年の私は、まさしく当時の私の体験を編集して切り貼りしている。今の私は、時間が勝手にスキップされて椀のなかのご飯が少なくなってくれるのではないかと期待する病床の私の一秒一秒を描写することはできないのだ。
さらに言えば、私は一シーン一シーンの出来事は覚えているのだが、それが何日のことだったかとか、どういう時系列になっているのかは記憶していない。だから私はその一シーンの内容を検分して何の出来事の後でなくてはならないとか、何の出来事の前でなくてはならないといったことを分析しながら、この回想記を書いている。
たとえば、「手術前日の夢」として書いたものは夢そのものはきわめて印象的なのだが「手術前日」という点については後から推測したものである。(根拠の一つは「この夢の中でベッドの上を立ち上がっている」という点で、全身麻酔後のほとんどの夢では夢のなかでさえそんな元気はなかった。また、幻想の内容が比較的おとなしいのもポイントだ)
また、「光脈」の体験も、手術直後の夜だったということは後からの推測である。ただ、これ以後、このような静かな夜がありえただろうかと考えるとこの日に置かなくてはならないのである。
これ以後・・・・・・。
・・・・・・私は点滴に悩まされるようになるのである。
全身麻酔後の私の身体は、血液を体中にめぐらせることさえ助けを借りなくてはならかった。何も手をうたないとエコノミー症候群を引き起こすそうだった。集中治療室では面白い機器が登場した。その機器は風船でできた二つの筒のような物で、その筒のそれぞれに脚を入れる。筒はいくつかの節に分かれていて、空気が送られてくることによってそれぞれ膨らんだり萎んだりする。こうすることによって脚をマッサージし、血液の循環をうながすのである。
たしか、普通の病室にうつったときに点滴が取り付けられたはずだ。これは血液の流れをスムーズにするために必要な薬液が入っているらしかった。
点滴をとりつけた直後、背中に管が当たる感覚があったので、看護師にどかしてよいか尋ねてみた。「え、そんなものあるの」と聞かれてまさぐってみたら何もなかった。また、左腕だけではなく右手首あたりからも線がのびていたのだが、その点滴が外れてしまって針が露出していることを看護師に伝えたら、そんなものはないと言われた。確かになかった。私は存在しない針や管を幻視していたのだろうかと困惑したが、しかしこれらは点滴をとりつける際の混乱にすぎない。本当の問題はその先である。
はじめは気にならなかった。だがあるころから、おそらく昼食の途中から、ある不快な感覚に苛まれるようになったのだ。
左腕の点滴されたところから、何か冷たいものが流れている。それが血管を通って胸のあたりを通り過ぎる、この感覚の不快さに私は悩まされるようになるのである。