「多様性がわからない、みたいな人はこの映画を見ればいいんじゃないか」フェミニズム専門書店「エトセトラブックス」代表・松尾亜紀子さんと、映画ライター・ISOさんが、ジェンダーロールや家父長制の呪いなど語りまくる!「ジョイランド わたしの願い」トークイベント
カンヌ国際映画祭で「ある視点」審査員賞とクィア・パルム賞を受賞、さらにパキスタン映画として初めてアカデミー賞の最終選考に残り、世界で旋風を巻き起こした話題作『ジョイランド わたしの願い』が、10月18日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開となります。
伝統的な価値観に縛られる若き夫婦が、そこから解放されて自分らしく自由に生きたいという願いの間で揺れ動く姿が繊細に描かれます。パキスタンの新鋭サーイム・サーディク監督(33歳)による長編デビュー作です。
公開を記念し、フェミニズム専門の出版社「エトセトラブックス」代表で、同名の書店を東京・新代田に2021年1月にオープンし、出版活動と書店の場を通してフェミニズムを伝えている松尾亜紀子さんと、本作を「今年最も心を揺さぶられた傑作」と絶賛する映画ライターのISOさんによる登壇イベントが10月10日、ユーロライブにて行われました。ジェンダーバイアスや家父長制の呪い、また本作の見どころなどについて語っていただきました。
松尾:家父長制の社会で生きている夫婦やその周囲の人たちの生きづらさが描かれていました。家父長制を一応さっと説明しておくと、家長、この映画でいえばお父さんの存在が一番偉くて、その系譜が続いていくために家があり、女性や子供は家長に従うというシステムです。朝ドラ「虎に翼」をご覧になっていた方もいると思いますが、戦後、新民法に変わるまで、日本でも家父長制が法で定められていました。とはいえ、やっぱり日本も戦前の社会のまま、その風習、慣習が強く残っています。家父長制的な社会ではみんな生きづらい。この映画でもお父さんのせいでもなく、お兄さんのせいでもなく、みんなが悲劇に向かってしまった。トランスジェンダー女性のビバだけが自由に生きているわけでもなく、みんな抑圧されている中でそれぞれ生きている。
ISO:近所のおばさんがお父さんの面倒を見るっていうときに、彼は失禁してしまう。でも、お父さんも大丈夫としか言いようがない。なぜなら、弱いところを見せられないから。
松尾:私はフェミニストなので、より弱い立場の属性を踏みつけておきながら「男もつらいよ」って言い訳する描き方にはどうしても厳しくなります(笑)だけど、この作品は、みんなが辛いこの社会はなんなのかと突きつけてくる。そのなかでもっとも歪みを受けるのは誰かということもきっちり描く。
ISO:失禁の場面を淡々と描いているだけですが、お父さんも抑圧されているんだなっていうのがすごくよくわかります。監督にインタビューしましたが、「男性も家父長制に抑圧されていると気づけば、女性やトランスジェンダーにも共感できる。男性に権力を与えるが、幸福にするわけではない。家父長制では誰も幸せにならないシステムだ」と。
松尾:ムムターズが仕事を辞めざるをなくなるという、自分をずっと殺されている、自分が自分であるためにやっていることを自分の意思に反して、誰かにやめさせられるっていうことの辛さが描かれている。あんなに輝いてたのに。自分が一番大事に思っているものを、ある日突然奪われたと思ったら、すごく共感できると思います。
松尾:好きなシーンは、遊園地であの義理の妻同士が楽しい時間を2人で、シスターズで過ごすあの素晴らしいシーン。それと、お義父さんの誕生日でムムターズと女の子だけで鬼ごっこするシーン。あのふたつのシーンは対(つい)になっているように感じました。囲われた社会の中ながら遊園地に行って女同士で楽しむ。抵抗として、家長であるお義父さんの誕生日で鬼ごっこする。その時は刹那とても楽しいし、笑いながら捕まらないぞとも言う、でも捕まってるんですよね。“家からは逃げられない”を強調したシーンだと思います。ムムターズが家出して戻ってきたけれど、戻ってこざるを得ない、そしてある意味で殺されてしまう社会だ、ということを突きつけられました。
ISO:ぼくも遊園地シーンは好きです。抑圧されている者同士がつながる、一瞬の出来事で、心が救われるような感じです。
松尾:ビバは生き続ける。それは素晴らしいこと。ダンサーとして成功して、傍らにはお気に入りであろうマネージャーがいて。これまでの映画の中では、トランスジェンダー女性はほぼ悲劇的な退場をするか、殺される役回りでした。
それぞれに美しい瞬間もあります。お父さんと隣のおばさんが心を寄せ合う瞬間も丁寧に描かれていましたね。多様性がわからないとか、トランスジェンダーがこの社会に一緒に生きていることを知ろうとしないで、昔の方が性別の役割がはっきりしてて幸せだった、みたいな人はこの映画を見てほしいと思います。
ISO:ムムターズみたいに家父長制に耐えられない人もいれば、ヌチみたいに適用しようとする人もいるし、ファイヤーズみたいに夫が亡くなった後にまた恋愛しようっていう気持ちになる人もいるし…女性の多様性を描きつつも全員抑圧されている模様を見事に描いている。この監督、まだ33歳なんです。びっくりしますよね。映画の構想が24歳の時に思いついたとか。
松尾:本作の字幕を手掛けている藤井美佳さんに、ブッカー賞翻訳部門で受賞したインドのギータンジャリ・シュリ―による小説「Ret Samadhi(原題:砂の三昧)」を訳していただいていて、来年出版予定です。80歳の女性が、夫を亡くして死ぬ前にパキスタン側にいる昔の恋人に会いに行くというとっても良い面白い小説です。
【映画『ジョイランド わたしの願い』10月18日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開】
パキスタンで2番目の大都市、古都ラホール。保守的な中流家庭ラナ家の次男ハイダルは、現在失業中だ。家父長制の伝統を重んじる厳格な父からの「早く仕事を見つけて男児をもうけなさい」というプレッシャーを受けていた。妻のムムターズはメイクアップアーティストの仕事にやりがいを感じ、家計を支えていた。ハイダルは、就職先として紹介されたダンスシアターでトランスジェンダー女性ビバと出会い、パワフルな生き方に惹かれていく。その恋心が、夫婦とラナ家の穏やかに見えた日常に波紋を広げていく―—。
本作はパキスタンの新鋭サーイム・サーディク監督による長編デビュー作。伝統的な価値観に縛られる若き夫婦が、そこから解放されて自分らしく自由に生きたいという願いの間で、揺れ動く姿が繊細に描かれる。
辛口批評サイト「ロッテン・トマト」でも98%(批評家スコア/7月6日時点)の支持を受け、フランスやアメリカ、イギリスなどでも大ヒットを記録。ところが本国では少数の保守系団体から「LGBTQ+や、彼らとの恋愛を美化して描いた」ことが「社会的価値観や道徳基準にそぐわない非常に不快な内容が含まれており、“品位と道徳”の規範に明らかに反する」と反発を受ける。その圧力に屈した本国政府により、公開1週間前に上映禁止命令が出されるという事態に見舞われる。しかし監督や出演者らの抗議活動に加え、ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイやパキスタン系イギリス人の俳優リズ・アーメッドらから支援の声が上がり、禁止令は撤回。逆境を乗り越えて、本国での上映が実現したことでも注目された。
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