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【女性に優しいサロン】東京▶︎伊豆 帰郷した先にあるもの

月に一度、
身近で働く女性をフォーカスし、
ざっくばらんにお話しを伺う連載
《女性に優しいサロン》

私の周りにはパワフルで
魅力的な女性がたくさんいます。
そんな彼女たちですが、
この数年を見ていると
「マインドや人生を変えた」
方々を多く見受けます。
自身もその内の一人。
リアルに体現しているからこそ、
彼女達も何故このタイミングなのか、
年齢的なものか、

そしてどう変わっていったのかを
お聞きしたいと強く感じました。
仕事のことや身体のこと、
将来のことで
立ち止まって悩んでいる女性たちへ。
お話しの中から
ちょっとしたヒントを頂き、
人生の一歩を踏み出しましょう。

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第四回目は、代々木上原にある「さつまおごじょ」の料理長を長年務め、料理に携わってきた小田原さん(Oさん)43歳。この度、伊豆へ帰郷した理由と、田舎での生活についてお話を伺いました。
久しぶりにお会いし、近況報告を兼ね、お酒を交わしながらのざっくばらんな対談。終始笑いが絶えず、お酒も進みますが、顔を合わせて話すことが、いかに大切かを感じられた時間でした。

それでは、始めましょう。

◼︎サロンオーナー(M)
Oさんが勤めていたお店には、仕事やプライベートで通わせて頂き大変お世話になりました。
とにかく、私はOさんのお料理が大好き。
この度、帰郷してしまい、食べられなくなってしまったのが本当に残念です。

ー数年間も料理に携わっていましたが、伊豆へ帰郷したきっかけを教えてください。コロナ禍は関係ありましたか?

◼︎小田原さん(Oさん)
実は、父が他界したからです。

◼︎M
えっ!

◼︎ Oさん
でも45歳のころには戻ろうとは考えていました。実家が兼業農家で、田んぼや畑があり、柿の木がたくさん植っています。代々受け継がれている土地を守りたいという想いと、このまま東京に居続けることはどうなのだろうか、という想いが2年程前から、ふと湧き上がりました。

私の実家では、お正月には家族が集まり餅つきなどの行事をします。そういった場所や風習をこれから先も続けてゆきたい。

帰りたいというよりも残したいという想い。

農家も食ですから、まずは料理に繋がる仕事で野菜から育てようかと。

代々受け継がれてきた土地。それを守りたいと言う。

◼︎M
そうだったのですね。

◼︎ Oさん
私の場合は、伊豆は東京から距離も近いですし。東京に帰ろうと思えば帰れる距離感も、安易に考えていた理由だと思います。

そんな想いの中で父に癌が見つかったのです。ちょうど2年ほど前に。若かったので進行も早く、それまで元気だった父が、急に弱りだしました。勤めていた会社も状況を理解して頂き、毎週のように帰省しました。それによって父と過ごす時間を作れたことは、本当に良かったと思います。それから半年後に亡くなりました。

ですから、帰郷するタイミングが予定より早まっただけです。

◼︎M
お父様が亡くなったことが大きな決断の一つだったのですね。歳を重ねてゆけば、誰もが通る道ですが、弱っていく親を見るのも辛かったですね。私の両親は二人とも健在ですが、だいぶ高齢です。帰る度に、小さくなっていく両親を見るのが、悲しい。そして帰ることで、私自身も少しずつ受け入れている気がします。もちろん受け入れたくありませんがね。少しでも、親の顔を見ておきたい。そんな心境です。とりあえず今の一仕事を終えたら、一度顔を見に行こうと思っています。

ー戻って一年近く経ちましたね。生活は落ち着きましたか?
◼︎ Oさん
そうですね。落ち着いたと思います。
今は畑の仕事以外で週2日近くの鰻屋さんとキノコ屋さんへバイトに行っています。長年、飲食店で働いていたので、昼夜逆転の生活をしてきました。昼頃に起き、16時頃が最初の食事。そこから夜中の2時、3時まで働き、帰る生活。
それが今では、朝、目覚めたとともに畑仕事をし、戻って家族と朝ご飯を食べ、また仕事をする。そして夜中の0時前には就寝。

朝日を浴びる、太陽にあたり仕事をするって気持ちがいいな、としみじみ思っています。

◼︎M
いいじゃない。人間らしい生活。

◼︎ Oさん
やっと農家らしい作業をするようになりました。まだまだ新米なので、先輩農家さんから見れば、まだまだでしょうけど(笑

早寝早起き、1日3食食べて、お金を使わない、使うところがない。

◼︎M
笑笑

お米も生産し、自給自足生活。ある意味羨ましい。

ー伊豆での生活で良いところ、不便なところはありますか?
◼︎ Oさん
近所の人たちは、父が亡くなり戻って来たことを知っているので、私が畑仕事をしていると、おじさん、おばさん達が私に対して面倒見がいいんですよ。
先日も畑に行ってみると、凄く綺麗になっていて。知らない間に草刈りをしてくれていたみたいです。東京ではそういう事はないじゃないですか。

◼︎M
いいですよね、そういった近所付き合い。
今、東京から田舎への移住者も多いでしょ。あるある話しだよね、きっと(笑

◼︎ Oさん
あと、休みの日に何をしていいのかわからない、どうしたらいいのかわからない。東京に居れば、外出するとお店がある、洋服も好きな時に見に行けて、外食だって出来ますよね。目的がなくても、気軽にどこへでも行けていたのが、田舎だと車に乗って出掛けなければいけない。近くにお店もない。
出掛ける事自体にハードルが高いんですよ。

◼︎M
確かにねぇ。
私の地元も電車が通ってないところだから、車がないと何処へも行けないですよ。帰省しても、家の近くに飲食店も少ないから、友達と会うことも億劫になるものね。
飲んだら乗れない、帰れない。

ー将来どうしていきたいとかありますか?
◼︎ Oさん
仕事を辞めて帰郷したことは後悔していません。寂しいなと思うことはありますが。今改めて思うことは、結局人が好きなんだということです。
将来的に、飲食のお店なのか、自分で育てた野菜を売るかは、わかりませんが、何かしらはやりたい、人が集まれる場所を作りたいな、とは思っています。
ですが、ここにいて感じることは、商売をする難しさ。東京とは圧倒的に人の多さが違いますから。そして、田舎の人は外食をする意識が低いというか文化もないですし。私もそうですが、自分たちで作り、それを食べる。わざわざ外食はしないですよ。
もちろん商売の仕方次第なんですけどね。

◼︎M
地元の人に売るよりかは、外の人や東京の飲食店へ向けてはどう?
私の地元でも、有名な農家さんがいらっしゃって、全国から料理人が買い付けに来ています。そこではイタリアン野菜とか変わった野菜も作ったりしていて。

◼︎ Oさん
私もそういうものに興味があります。まずはコロナが明けてどう変わるかですね。

◼︎M
ですね。
私は、東京に居ても外食がだいぶ減りましたよ。もちろん今まで散々食べてきたということもあるけれど。やはりコロナの影響も大きいかな。本当に美味しいものや特別なものなら出掛ける。だけど中途半端な外食は、随分減りました。ましてや街へ出向くことは。

それならば、田舎でもそこでしか食べられないもの、わざわざ行くことに価値があるものにはお金を出してもいいと思っていて。

◼︎ Oさん
それはそう思います。特別感。
ですがそれは、少し上のMさん世代だからだと思いますよ。

◼︎M
そうなんですね。

◼︎ Oさん
だからこそ、ターゲットを絞らないといけない。

◼︎M
せっかく今までの経験と腕があるのだから、ましてや、自分で野菜も育てている。近くでは新鮮な魚も獲れる。その時はOさんの集大成だね。楽しみ。

◼︎ Oさん
好きなことだけをやっていければ、それが一番良いことですけどね。

◼︎M
それだけで稼ぐのは大変だけど、畑もあるし。

◼︎ Oさん
今バイト先では一番下で責任がない立場なのですが、今まで上の立場の経験もあったので、俯瞰で見られて面白いですよ。私だったらこうやるなぁとか、もっとこうしたいとか。そういう想いがどんどん強くなってきて、自分でやるしかないなって思っています。

◼︎M
まだまだ焦らないで。フラストレーションを溜めて溜めて、ここだ!というタイミングが絶対来るから。そのうちに、新しい人との縁も繋がり出しますよ。

◼︎ Oさん
ですよね。

◼︎M
まだまだ休んだばかりだから、ゆっくり楽しんだ方がいいですよ。
私なんて、お洋服を作るのを3年近く休んじゃってますしね(笑

Oさんの料理の一ファンとして、地産地消な食材と自ら作ったお野菜とで、料理をして頂きたい。待っています!!

昨年のお米。もう立派な農家さんです。
今年の田植えも終了。


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