第一七節 三ツ沢での評価
結果の評価には定量と定性がある。定量は明らかに数値で目に見える形になっているものであり、定性は状態や期間などぱっと見では判断がつかないものというのが定説だ。
例えば、、勝ち点六〇を獲る、というのは定量であり、五月までには全選手にチーム戦術を浸透させる、は定性だと言ったら、わかりやすいのかもしれない。要するに定性は、結果の尺度に差があり、どう解釈するかは人によるってことだ。
逆説的にいうと答えなんてそもそもない(いや答えは神が持っているのかも、ということだ)。いくら選手を揃えたところで降格争いに巻き込まれることもあるし、日本人選手だけで構成したチームが優勝争いすることだってある。
ただし、物事にはすべて理由があり、そして、その理由は結果に大きく影響する。だからこそこの二〇〇〇年という記念行事的なシーズンは結果が必要だった。そういう解釈でいくと、この年のセレッソ大阪は、ある意味では成功であり、別の意味においては失敗だったとも言える。
それでも、これまでのシーズンとは違うなにかがクラブにもサポーターにも存在していたし、開幕戦ひとつ見ただけでも手に取るようにわかった。
結果的に日本平での清水エスパルス戦は負けたけれど、得点王不在を感じさせない熱い試合になり、素直にぼくは感動した。もちろん一試合で物事を決めてはいけないのはこの数年で重々味わってきた。それはぼくにとっての定石にもなっていた。
マネージャーなんていう飾り職を仰せつかったことで去年くらいから仕事が忙しくなり、ほとんどと言っていいほどアウェイゲームに行くことができなくなっていた。それでもなんとかホームゲームだけはと思い、長居スタジアムへと通い、そしてゴール裏の応援をリードした。
いつの時代も数字は人を呼ぶ。セレッソ大阪が勝ちはじめると途端にゴール裏のサポーター席に人が増えていった。その結果、とんでもない数のセレッソオリジナルズがゴール裏に集結するようになった。
長居スタジアムには下段と上段を分ける通路が真ん中にある。まるでワールドカップ南米予選のように上段と下段では空気の質や量がまったく違う。
特にI―四ゲート周辺とゴール裏最前列との寒暖差は、エベレストと昭和山の頂上を比べているようなものだ。高所特有の、鼻から入ってくるヒンヤリとした二種類の酸素をぼくは感じていた。
だけど、まだまだこの空気を嗅ぎ分ける能力が圧倒的に足りていなかった。わずかばかりの酸素を吸引するたび、ぼくの心身は苦痛を感じた。言葉にならない祭りのような感覚が徐々に大きくなっている。その空気感がI―四ゲート付近のサポーターまでも包み込もうとしていた。
気のせいだと思えばそこまでだけど、優勝争いをしているのにもかかわらず、このままでは駄目だという空気のほうが完全に上回っていた。チームの勝利との合算でプラスマイナスゼロ、なんていう気分に浸ってしまい、そんな自分自身に強烈な吐き気を覚えた。
Jリーグのファーストステージは稀に見る ― J2への降格が起こるようになってからは毎年常態化している大混戦の様相を呈していた。我らのセレッソ大阪は順調に勝ち星を重ねた。その結果、上から二番目の順位にまで押しあげてきた。
正直なところ実感というものは少なかったし、まだまだ上位クラブには遠く及ばないとも考えるようにしていた。だから、横浜F・マリノスとの大一番もただの一試合と思っていたけどそうは問屋が卸さなかった。
神奈川県横浜市にある三ツ沢球技場に向かう車の中で、この試合の重要さが改めてぼくの脳内に溢れ出してきた。
あの尼崎や、天皇杯の決勝や、満員の大阪ダービーマッチが重要でないかといったらそれは嘘になるけれど、それでも多分この試合はこれまでに味わったことのない壮絶な戦いになるという思いしか正直浮かんでこなかった。
勝つようなことがあれば横浜F・マリノスとの順位が入れ替わり、その結果、単独首位になることもぼくは知っていた。変に考えても仕方ないことも重々わかっていた(ある意味で冷めていたと言っていい)。
今のところ怪我人もわずかでベストメンバーで戦える。まあそれがアドバンテージになるなんて一ミリも思ってはいないけれど。唯一頭のいたるところにこびりついているのは、最高の応援を選手に届け、そして勝ち点三を大阪に持って帰ることだけだった。
それが今日の使命だ。持てる力をすべて投入する理由なのだとぼくは心に強く誓った。
時間が経つにつれ雨がひどくなっていく。五月中旬という初夏の気分は完全に吹き飛んでいた。
記憶によるとそれほど雨天に強くないセレッソ大阪だけど、ここで負けたらこれまでの努力も水の泡になってしまう。そう思ったら自然と身体が火照った。とんでもないコンディションのなかでも、ぼくの気持ちは一片も変わらなかった。
「とにかく目の前の試合に勝つぞ!この試合は絶対勝つぞ!戦うぞ!」ぼくはあえてトラメガを使わずに地声で叫んだ。
その直後に、この心の叫びすらもかき消すほどの大雨が曇天の空から落ちてきた。顔を上に向けるにも必死なほどだ。
アミーゴはすでにずぶ濡れ状態になっている。それでも誰ひとりとして応援を止めようとする人間などいなかった。いや、止められるわけがなかった(身体を目一杯伸ばして同点ゴールを決めたアキを目の前にして暴れ狂わないセレッソ大阪サポーターなど、この三ツ沢のゴール裏にいるはずはないだろう!)。
もし応援が歌声が停止してしまったとしたら、それはもうぼくの儚い命そのものが止まってしまうような気がした。この世の中に生あるすべてのセレッソ大阪サポーターがゾーンに入っていた。
これはもう、厳かな儀式のようなものなのだ。雨に濡れ、大量の水分を含んだピンクと紺の帯は、完全にウェイトオーバーで肩への負担は増していた。
だけど、ここにいる全員が握ったその手を離そうとはしない。魂と魂をつなぐ赤い糸と化している。チームカラーの二本の帯から多くのアミーゴの熱や鼓動が伝わってきた。つながっているのだと確信した。
これまでのどの試合とも同じ所作なのにこれまでに感じたことのない波動だ。受けているぼくの掌が脈打つ。
一定周期で繰り返す波形が、自分の心臓の鼓動と完全に同化していく。シンクロ率がより一〇〇パーセントに近づいた。相手のゴール、そのフィードバックは甚大な損傷を身体に与える。人を超えていく、ってこんな感覚なんだ。
瞬間、本物のエクスタシーってものを生まれて初めてぼくは味わっているんだなという気分になっていた。感情のままに応援歌を歌い続けた。憧れ続けたぼくはようやく本物の狼になれたのではないか。ふとそんな気がした。
時間が経つにつれ試合は緊迫度合いを増す。一進一退の攻防の熱さに、空からの水滴すら感じなくなっていた。とはいえ相変わらずの豪雨だ。前を見ることすら困難な状況だった。
それでもぼくの眼球は仕事をする。ふたつの硝子体が選手たちを見つけ、捕まえ、視覚として脳へ伝達する。
こんな場面でも冷静に試合の流れを読むのがコールリーダーの務めだ。わずか一〇〇人程度の集団だったとしても意思の統一は非常に重要だ。吊り橋効果とは言わないまでも同じ状況を創り出して共有することで、より信頼関係は強固なものになっていく。
ボールがラインを割って一息ついたとき、改めてぼくは周りを見渡してみた。すべての目がピッチのなかの選手たちを追っている。
試合に集中している、なんてレベルの話ではない。彼らも(もちろんぼくも)今、ゲームと一体化している。これを見て、サポーターはお荷物、だとか、いなくてもいい存在、だと誰が言えるのだろうか。
セレッソ大阪を愛するすべてのサポーターが気力と死力を尽くし切った試合だった。どれくらい残っているか知らないけど、この先の人生でこれ以上に感じることなんてないんじゃないかと思うくらいのエクスタシーに到達した。
二対三というスコアとずぶ濡れの観客だけが、三ツ沢球技場のアウェイゴール裏にとり残されたままになっていた。
斎藤大輔の幸運以外のなにものでもない試合終了間際のゴールから勝利の瞬間までの記憶のほとんどが、雨露と混ざってすっかりぼくの足元へ流れ落ちていた。
西谷正也の先制点、小村徳男の同点ヘッド、西澤明訓の伸ばした足、外池大亮の同点ヘッド、そしてラストシーン。
シュート数一三対一二、コーナーキック七対七、フリーキック一五対一五。サッカーのすべてが凝縮されたJリーグ史に残る完璧な試合だった。
試合終了を告げるホイッスルは、まるで安ホテルの狭い部屋のスイッチを切るかのようだった。
プツン。
やがて訪れる静寂。
真っ暗。
なぜ、なんて理由は見つからないのだけど、なんだか急に脱力してしまい、ぼくはただただ帯にしがみつき、ぶら下がっているだけの生き物と化した。喜びたい気持ちと、引き締めたい思いとの葛藤がぼくの疲労をさらに増幅させていった。
雨やら汗やら涙やらでベチャベチャになってしまっているTシャツと一緒に、身体を構成する部位のなにもかもが取り除かれていくかのような感覚に陥る。
脱皮とは真逆。空からの粗相を今なお受け続けている外側の物質だけがそこには残っていた。皮膚以外の中身という中身はすべて取り外されてしまっていて、まるごと抜け落ちたような気分になった(こういう表現が正しいかどうか、確認することは生涯ないのだろうけど)。
足元を見る。
胃や腸や心臓という内臓系と同様に、あちらこちらに散らばっているぼくの頭蓋骨、肋骨、大腿骨、大小二〇〇以上もの骨という骨が、この試合の残酷さを物語っている。一八〇センチ七〇キロの体内にはもはや精魂らしき無形物しか残っていなかった。
神経接続回路だけは辛うじて息をしている。ぼくはまだ生きている。まだ尽き果ててはいなかった。
Jリーグファーストステージの首位に躍り出たという紛れもない事実と、ぺらっぺらになった表皮の内側に唯一取り残された気力だけが、翌週にホームでおこなわれる最終節の川崎フロンターレ戦へと向いていた。
悲観的な要素は何ひとつなかったけれど、調子に乗ってしまうことだけはどうしても避けたかった。そんな浮かれた気持ちも三ツ沢で一緒に脱ぎ捨てた、はずだった。
だけど世の中はそう甘くはなかった。
確かに定量評価(勝ち点)で首位には立っていた。しかし、定性評価において、果たしてふさわしいチームだったのだろうか。ぼくには知るよしもなかった。
これまでちゃんと経験してこなかったことを心から悔やんだ。優勝を目前にした者たちの強さと脆さを。