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第二章 第七節 ”初めて”の日

 第三回ジャパンフットボールリーグ。通称JFL。Jリーグに昇格するために避けては通れない道があり、そして、その一歩目が今日ということになる。
 どんなスポーツでも初日という魔力に取り憑かれてしまう可能性が充分にある。イベントと呼ぶと軽すぎるし儀式というにはおこがましい。ある種、特別な雰囲気を醸し出すのがこの初日であり、セレッソ大阪にとっての初日とはもちろん開幕戦のことだ。
 生まれる前の情報なので正直なところ知らなかったのだけど、前身のヤンマーディーゼルサッカー部はJFLの前身である日本サッカーリーグのオリジナル八として第一回大会を戦ったらしい。
 それよりなによりこの八がとても印象的だ。もしかしたらこれは我がクラブには八という数字が生涯ついて回るような気さえした(まあ、当のJSL、日本サッカーリーグの第一回大会は七位だったそうだ。何と発すればいいか言葉に詰まってしまうので、そっとしておく)。

 そんな、一九六五年という過去に思いを寄せながらの開幕の日の朝、いつものようにぼくは二枚の食パンをトースターへと投入した。
 チチチチン。
 今まで気づいていなかったけどいつの間にか音色が変わっている。さては父親がまたなにかいじくったのかもしれないな。そんなことを思いながら見事に完成したトーストを手に取る。なんだか焼き加減も良くなったような気がした。
 若干の怪我人がいたのは不安材料だけどセレッソ大阪は比較的順調にジャパンフットボールリーグの開幕を迎えた(ペニャロール戦を見ておきながらどの口がいう)。
 新米コールリーダーのぼくはというとまだまだ発展途上としかいいようがない。それでもなんとか祝うべきこの門出の日に立ち会えることができてほんの少しだけ安堵した。
 当面のライバルは前年からJリーグ準会員である柏レイソルだと考えるのが妥当だ(あのカレッカと聖地・長居で戦えることもかなりのモチベーションになっていた)。少し経つ間にジャパンフットボールリーグの音色はガラリと変わってしまっている。
 現時点でJリーグ準加盟は二クラブだけど、今年度中に認定を受けようとしているクラブもいくつかある。それ以外にも古豪と呼ばれるクラブもあったりして、かなりひしめき合っている状況だ。大混戦は避けられない様相であり、なんだか身が引き締まる思いがした。
 前身が日本サッカーリーグ四度優勝、天皇杯三度優勝のレジェンドクラブとはいっても、おおよそゼロからのスタートに近い(少なくともサポーターという観点で見るとゼロどころか測定不能なくらいのマイナスだ)。
 もちろん一定数の補強も敢行したわけだから、我らのセレッソ大阪が優勝候補の一角に名を連ねているのは至極当然だ。それでも、何度でもいうけど、一緒に「初めての日」を迎えられたことが正直嬉しかった。

 手に取ったトーストの味は劇的と呼ぶほどの変化はなかった。チチンチンとチチチチン。音色は違っても、最終的な結果に差なんてものはほとんど出ないんだなとぼくは思った。
 もうこれ以上考え込んでしまわなくてもいい。状況なんて変わることはないのだ。そう思うと、いつもどおりの朝が本当にありがたかった。
「昇格でけんかったらどうしよう」と幾度となく泣き言にも近い悲鳴が周りから聞こえていたのも事実だ。極度の緊張も分からなくはない。とはいっても時は待ってはくれない。そのたびに「いまさら悩んでも仕方ないやろ」と返答する日々がしばらく続いていた。
 どうあがいてもぼくらがプレーをすることはできない。この期に及んでうまくいくかどうかを考えるよりも、サポーターができることはたったひとつ。クラブを、監督を、そして選手を信じて熱量を高めていくしか方法はない。立ち止まってはいられないのだ。
 マルキーニョス、トニーニョといった外国人選手がいる。森島寛晃ら若手がいる。そして久高友雄、佐々木博和らのベテランがいる。この素晴らしい選手たちの背中を押し続けるという思いがぼくの胸を掴んで離さなかった。
 だからことあるごとに「クラブとサポーターが目指すのはJFL優勝とJリーグ昇格しかない。季節外れやけど今秋には桜が満開になることだけを考えよう」とぼくは強がって見せた。確固たる自信なんてものはない。
 そういえば昨年昇格したクラブのサポーターもこんな気持ちで初めての日を過ごしていたのだろうか。当日の朝にもかかわらず、トイレの便座に腰掛けた瞬間、そんなどうでもいいことを考え込んでしまっている。あいかわらずの変な人。

 開幕戦のコスモ石油とのオープニングゲームを端的に例えるならば、まさしく過酷な初日。サイエンスフィクションの映画で宇宙人が攻めてきた初日に地球が壊滅状態になる、あれだ。このドラマ仕立てのようなストーリーを簡潔に表現したようなウノゼロだった。
 観客の入りはあの神戸の夜と比べ物にならない。素晴らしい。だけどあの試合とはまったくの真逆で、選手とサポーターの見事なまでの空回りが目立つゲームだった(神戸では、応援をしているだなんてお世辞にも言えなかったけど)。
 タイムアップになった瞬間、キックオフしてからの試合内容なんて海馬の片隅にすら残っていなかった。空回って気持ちが先走りすぎて舞いあがる。このように書いたりするのがじつに優等生っぽい模範解答だろう。
 空回り。先走り。舞いあがり。これはもうあれだ。チェリーボーイの常套句ではないか。焦る気持ちと高揚感だけが前面に強調されすぎて、あれよあれよという間にジ・エンド。
「おめでとう。ゴム風船を膨らませるだけの簡単な仕事を今、お前は成し遂げたのだ」と、どこかの誰からかそう言われている気がした。
 思い返すだけで頭だけでなく下半身さえもモヤモヤしてしまう魔性の「初日」と同様の思いがこのコスモ石油戦後にぼくの身体を貫いた。大きななにかが一気に萎んでいく感覚がして、結局、最後の最後まで苦笑い以外の対処方法を見つけられなかった。
 無事にミッションをクリアしたのだからいいじゃないかという声ももちろん聞こえてくる。だけど、それこそ、雄としての本能を真っ向から否定されてしまったように感じて余計にストレスを負う羽目になる。どこまでもB型・しし座・適当男の寂しい末路だ。
 開幕戦の重圧。長居第二陸上競技場の醸し出す微妙な空気感。在阪テレビ局の取材攻勢。
 多くのアクティビティによってぼくは心身両面で疲労困憊になってしまった(それ以上に、テレビカメラに向け勢い余ってとてもここでは書けないようなとんでもないことを口走った可能性がある。当たり前のことながら放送に使われもしなかったのでテレビ局とぼく以外の誰も知ることはない)。
 男子諸君。初体験などまあこんなものなのだ。

 前後半九〇分を通して神田勝夫の左足が唯一のエクスタシーだった(この試合をどう贔屓目にいっても一回転以上の価値を見出せない)。
 フォワードからコンバートされた左サイドバックのゴールに救われた。Jリーグを目指しているクラブとは到底思えないような試合内容に悲しみのどん底に突き落とされた気分だ。優勝なんておこがましい話である。
 もちろんこれまでのゴタゴタ(まあちょっと前を読み返してくれたまえ)をわずかながらでも払拭してくれたことだけは感謝している。
 だけどこの先こんな試合が続くと思うと、その前にぼくの神経系がやられてしまう恐れは十二分にありえる。ぼくは身勝手なほどセレッソ大阪サポーターの思い全部を背負っていると勘違いしていたところもあった。
 試合終了後、肩の荷がすっぽりと腕を抜けて足元にストンと落ちたように、ぼくはスタンドの椅子に崩れ落ちてしまった。もしも開幕戦があのままドローで終わっていたらどうなっていたのだろう。スタンドの空気はいったいどれだけ淀んでしまったのだろうか。
 SF映画ならぼくは間違い無く、例の宇宙人によって初日で消されてしまったことだろう。背負った荷物の重さだけが身体に書き込まれている。ぼくではヒーローにはなれないな。春なのに背筋の凍る思いがした。
 終了時間に達し、急かされるままに脱いだ服をそそくさと着ていくような空気。スタジアムに流れる次の試合の案内が「また予約してね」という取って付けたかのような決め台詞に聞こえた。
 残響が耳に居座り続ける。周りのサポーターに、背筋を伸ばしたり丸くしたりを繰り返すお辞儀くらいしかできなかった。仲間に向ける四五度の情けない気持ちだけがかろうじてぼくを動かしている。なにもかもが精一杯になっていた。
 ここから続く、まるで苦行のような残り二九試合のセレッソライフ。本当に戦い抜くことができるのだろうかという思いにぼくは苛まれた。
 次の試合からはもう少しだけ荷物をおろそうか。でも荷物をおろせばまた次の荷物が回ってくるだけだ。とどのつまり、凡人には休む暇などない、ということなのだ。

 不安ばかりが積みあげられてしまった開幕戦という初日の幕が下りた。
 イメージを頭に浮かべてキャンバスに描いていくという理想と、実際に目の前に広がっている世界は必ずしも一致しない。ぼくは、コスモ石油戦というたった一試合でそれを思い知らされることになった。
 でもぼくはその場所にいた。閉じこもって机上の空論を練りあげるだけの作戦参謀ではない。そう思えるだけでも進歩はあったのだ。
 改めてだけど、たかが一試合されど一試合、という言葉はまさにこの日のためにあるのだろうな。この記憶を文字にして今日の日記に書いておこうとぼくは心に誓った(たった一行の、神田勝夫の左足は凄まじい、になったのはいうまでもない)。
 どんな試合内容だろうとブラジル人監督のパウロ・エミリオの表情はとても柔らかくそして明るい。すべての外国人監督がこのようなスタイルではないことは、海外経験がそれほどないぼくでもわかっているつもりだ(当たり前なのだけどブラジルやアルゼンチンなどの南米に行ったことなど皆無だ)。
 経験豊かなこのブラジル人ならではの愛情表現だ。スタンドにいるサポーターにも気さくに手を振ったりピースサインを見せている。対象的な選手たちの表情との鮮やかなコントラストだけが、ぼくにとってこの試合唯一ともいえる微笑みの材料になった。
 これからは監督と選手、監督とサポーター、選手とサポーターの間のギャップをどう保つのかが重要になってくる。
 今は良くても、多分、何十年後かには大きな課題になるのかもしれない。そんなことすらすぐに思いつかないくらい苦悩の九〇分でこと切れていた。とにかく勝利だけが口の中にほろ苦く残っている。ホッとした気持ちだけが手に入ったほろ苦い開幕戦だった。
 こうしてぼくにとっての初日は終わった。ひとつ殻を破って大人になったぼくは、もう一段階上の”雄の狼”になれたような気がした。
 どんなSF映画にだって反撃の機会は必ず存在する。だからこそ宇宙人に向けてぶっ放す大砲を磨いていくしかない。心に誓いながら、左手をそっと添えながら。

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