第八節 お遊戯会
子供のドタバタ劇を見る親の気持ちは如何ほどだろう。幼稚園児の頃、お遊戯会で田原坂という劇の主役に抜擢されたことがある。
しかしながら右足を出さないといけないときに左足を出したり、違う人の膝に足を乗せてしまったり、右に走らないといけないのになぜか左にいってしまったり。シリアスな場面で何度も笑いを誘った記憶が今もぼくの大脳皮質にファイリングされている。
あの、どうしようもないくらいの初日だった開幕戦以来、セレッソ大阪は順調に勝ち星を重ねた。
だけど序盤の大一番だった当面のライバルである柏レイソルとの直接対決はPK戦の末に敗れてしまった(しかも聖地・長居で、ホームで、だ。大事なホームゲームでの負け癖は本当によくない)。
勝負は時の運なんて言葉をよく使う。運は確かに重要なファクターではあるけどそれがすべてでもない。大半の結果はプロセスによって導かれる。
どんな物事にも必ず理由はあり、その理由によってあっちこっちと翻弄され続けるのが勝負のアヤというものだ。かき回されたその結果、まるで子供のお遊戯会のようなドタバタ劇を見る羽目になったといえる。
選手層だけじゃなく、どう考えてみてもこのふたつのクラブは抜きん出ている。相手にはあのカレッカがいて日本代表選手もいて、こちらには今やエースとなりつつある森島寛晃がいる(彼の類まれなる能力にようやくメディアも気づきはじめている。そしてなによりあの兄弟対決を忘れてはならない)。
それでも正直なところ一年の差というものがこれだけあるのかと思えるくらい我がクラブの未熟さを感じる敗戦だった。
試合終了後、多くのサポーターが涙にくれる姿を目の当たりにした。人目をはばからず泣く若い女性。悔しさを滲ませながら目に大量の涙を貯める中年のおじさん。
ヘラヘラしている場合ではないのは百も承知だけど、あまり悲観的になるのもよくないなとぼくは感じていた。いや、違う。心がここにない状態。要するに”しらけて”いる状態だったのだ。
長居第二陸上競技場のメインスタンドには人知れず涙を流せるポイントがあまりにも少なすぎる。負けて泣くなんてことが想定されていないスタジアムの構造を考えた人は一体誰なのよ。
敗戦の苛立ちと無関心さをすり替えるかのように、犯人を見つけたい衝動にぼくは駆られてしまう。駄目だ駄目だ。ふと我に返り、善良な設計者や建築者を恨んだことを心の底から恥じた。
たかが一試合、されど一試合。一六チームによるホーム十五試合アウェイ十五試合、計三〇試合のリーグ戦を今まさに戦っている。引き分けなしの延長戦。さらにそれでも決着がつかない場合はPK戦が行われる。
耐え抜いて引き分けることすら求められないこのリーグに憤る。ふと一九九〇年イタリアワールドカップアジア最終予選のアラブ首長国連邦が一勝四分けという成績で突破し、ワールドカップ本戦に出場した大会をぼくは思い出した(当時は勝利で勝ち点二、引き分けで勝ち点一というレギュレーションだったためこのような結果をもたらしたのではと話題になったりした。あとでよくよく結果を見てみると仮に一勝が勝ち点三であったとしてもアラブ首長国連邦は二位を確保していた)。
引き分けが有効な手段であるという思いを脳裏に戻していく。よくよく考えてみればセレッソ大阪の戦いには引き分け自体が存在していないのだから勝ち続けるしかないのだ。同時に出てしまう右手と右足を修正するかのように、開き直りの精神を保とうとぼくは必死でもがいていた。
それにしてもコールリーダーという生き物が背負う責任とはなんだろう。試合を重ねるたびに責任の重さを深く考えるようになっている。
そこまで思いつめなくてもという自問自答が毎日のようにぼくのドアをノックしている(応援のタイミングは典型的な例。繰り出した途端に失点してしまったり攻撃のスイッチを入れようと第一声を発した直後に選手たちが勢い余ってミスをしてしまいカウンターなんてくらったりしたときには本当にガックリきてしまう)。
輪をかけて「サポーターの応援なんてものは所詮、試合の流れを変えられるわけがない」という心ない声もちらほら聞こえはじめていた。
だけどぼくはそうは思わない。サポーターによる応援の力、コールリーダーが導く応援の力は、試合の至るところに影響を及ぼしていく。
だから喉が枯れようとも呼吸がままならなくなろうともけっして応援を止めようとしないサポーターの一挙手一投足が、選手たちの身体の隅々へといき渡たる。
短時間で一〇キロ以上を走った末に徐々に失われつつある体力や気力や精神力を支える活力源となる。選手との関係が良好だろうが険悪だろうがそんなものは関係ない。チームが勝つために、目標のために、力の限り声を張りあげるだけなのだ。
沿道に立ちエナジードリンクのボトルを選手に渡し続ける。それがサポーター。それが手助けする人。この言葉の意味をぼくはようやく理解しはじめていた。
サポーターにとっての敗北は、負けて北に逃げ延びる、のではなく、愛すべき選手に背を向ける、の意だ。それを知れただけでも、このたったひとつの敗戦には大きな意味があった。
厳しい戦いの中でチームが持ちはじめた自信と同様にサポーターの声をまとめていく自信の欠片をかろうじて手にしはじめている。だけど、クラブの目標に対してのは自信のほどは、まだまだ未知数だった。
ぼくらの目標は、単なるJリーグ昇格ではなく優勝したうえでの昇格でもあるわけだ。だからこのままで良いわけはなかった。最低でもダブル。最高でもダブル。何があってもダブルなのだ。ジャッジメント・デイはすぐそこまで来ていた。
「なんでこんな時間、ましてや平日におこなうんや」
わかってはいたものの、中央防犯FC藤枝ブルックスとの大事な一戦を前にぼくは声を荒げた。
JFLの試合は平日日中のキックオフなどざらだった(ナイターだとそれだけコストも掛かるわけで当然といえば当然だ)。だけど、この試合はセレッソ大阪にとって、ちょっとだけ、いや、とんでもなく意味のある試合なのだぞ。
一九九四年一〇月二〇日。木曜日。台風によって順延になったゲーム。割り当てられる土日も無くなっており、已む無しの平日午後二時キックオフという第二五節。この試合がJリーグ昇格を決めるための大事な一戦になるなんて思いもしなかった。
しかも場所は兵庫県。あの三月の悪夢がぼくの記憶領域から呼び起こされる。神様はなぜ、繰り返しぼくらにこんな仕打ちを与えるのか。この一週間は信仰心の欠片も持たないぼくでさえ、道すがらの神社という神社すべてにお賽銭を入れるような状況だった。
で、その結果の「なんでこんな時間、ましてや平日におこなうんや」である。
尼崎に向かう電車の中でぼくは苛立ちをぶちまけ続ける。大阪の中心部、あの”約束の地”新地のある梅田界隈から淀川と神崎川を越えたらそこはもう兵庫県尼崎市だ(ちなみに何の因果か知らないけど、市外局番は大阪〇六だ)。
ヤンマーディーゼルサッカー部時代から通っている練習場が姿を現す。見なれた景色。いつもならこれだけで心が和むはずなのに。
尼崎駅には電車だとわずか十数分で着く。職場からでもドアトゥドアで一時間とかからない。尼崎駅からスタジアムへの移動中にも、またふつふつと怒りが湧いてきた。
怒り。今にはじまったことではない。なぜならリーグ終盤に近づくにつれセレッソ大阪の勢いが徐々に止まりかけていたのだから当然だ。
完敗だった柏レイソル戦(雪辱を期すべきアウェイの日立台ではコテンパンにやられた。
結局柏レイソルには一度も勝つことができなかったわけだ)はともかく不可解な結果に終わる試合がいくつも存在したのは紛れもない事実だ(アウェイの東京ガス戦、PJMフューチャーズ戦はその典型だ。まあしかし、ホームではあの敗戦だけだったのだから正直なところ悲観する必要も全然なかったのだけど)。
そんな中での中央防犯FC藤枝ブルックス戦の重要さをぼくは身に沁みてわかっていた。だからこそ午前中に仕事を無理やり終わらせ、昼食を摂ることもなく急いで試合会場へと向かったわけだ。
平日なんてものをもろともしないサポーターでスタンドはすでにピンク色で染まっている。
なんでもいい。泥臭くていい。マルキーニョスの華麗で正確な右足のキックも、トニーニョのダイナマイトヘッドも、森島寛晃のトリッキーなプレーも全部無くていい。とにかく勝つ。なにがなんでも勝つ。そのための応援をしよう。ぼくは強く心に誓った。
絶対にここで決めるという信念らしきものがキックオフからスタンド全体に漂っていた。だから正直なところまったく負ける気すらしなかったし、結果的にも勝利を手にした。
見崎充洋のループシュートの放物線。けっして美しくもなく、とても泥臭いのけど、歓喜のアクションがセレッソ大阪劇場を豪華絢爛、桜花爛漫にしていく。
大小のフラッグが振られ、紙テープが舞う。平日なのにこの地に集った多くのアミーゴが笑顔を爆発させている。完全に泣き崩れているサポーターもいた。
でもあの餅ダービーでの敗戦とはまったく意味合いが違う。この涙は正真正銘の嬉し涙だ。試合途中から上半身むき出しのアミーゴが、まるで大好物のおやつを取りあげられた子供のようにウォンウォン泣いているのが印象的だった(これは泣き方の癖の問題だ、完全に)。
茶屋町の一角にある建物のあのドアを開けたのは、今日という日のためなのだろうか。父親が古新聞をぼくに差し出してみせたのはこの日のためなのだろうか。ぼくが今日まで生きてきたのはこの瞬間のためなのだろうか。
センチメンタルな気持ちを通り越えて、なぜかこの一年の出来事が一気に舞い降りてきた感があった(子供の頃に一度だけ死の淵に立ったことがあるけどそのときにも走馬灯の灯りは見てはいない)。
みんなが大騒ぎしているメインスタンドの最前列で、なんだかふわっとする思いに包まれながらぼくはピッチを見つめた。
「やったなー。長かったなあ」
そう叫びながらアミーゴが、夢見心地でボケッと突っ立っている、大柄で細身のこの体に向かっていきなり抱きついてきた。まるでわんぱく子ども相撲でも取るかのような体勢。なんだか恥ずかしさが先に立った。
まあいいか。
お互いの感情を爆発させながらJリーグ昇格の喜びをわかちあう(この時点ではまだ条件を満たしただけだったけど)。感謝してもしきれないくらい隣にはいつも多くの仲間がいてくれた。
がっぷり四つからアミーゴを寄り切ったぼくは、再び歓喜の輪から離れた。スタンドの最上段まで登り、そこからピッチを見つめた。あの頃とは違う。今のぼくはもう”しらけて”などいなかった。
それでもひとりでいると、まるで子供のように空想や夢想が舞い降りてくる。JFLでこのレベルのプレッシャーを感じていたら、Jリーグではいったいどんなことになってしまうのだろうか。来年は。その先は。上手くまとめられない思考だけが未来を向いていた。
だけど、今日くらいはいいではないか。未来なんてその先なんてくそっ喰らえ。そんなどうでもいいものたちを、今この瞬間だけはすべて忘れることにする。心身に絡みついてくるすべての雑念を、ぼくは神無月の曇天の空へと放り投げた。
「どうや見たか!Jリーグやぞ!俺らJリーグやぞ」
支離滅裂な言葉。ちぐはぐな足取り。右足と同時に出る右手。どっちらかったお遊戯会の主役さながらに、ぼくはみんなのところへと急いで駆け寄った。
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