第一〇節 悲喜交交
人生にはいくつかの転機がある。何度か訪れているように見えても、変化の乏しい瞬間が存在したりする。乗り越えられる壁が二、三度あったなら正直なところ御の字だとは思うけど、神はときとして抗いようのない試練を人間に与える。それも、何の前触れも無く、ごく自然に。
ぼくのセレッソライフを根本から覆してしまうかのような出来事が起こったのは、そんないつもと変わらない日だった。
一九九五年が明けて数週間経ったその日の早朝。神戸で震災が発生した。JR鶴ケ丘駅近くでひとり暮らしをしていたぼくはその瞬間、大きな建物の揺れを感じながらも布団から出られずにいた。
なんだか嫌な予感がしたけれど、テレビも見ないまま朝食も摂らないまま職場へ向かう準備をした。
家を出ようと玄関へ向かう。それほど倒れる要素などなかった塩や胡椒の瓶が床に落ちて中身がちらばっている。人ひとり通るのがやっとのキッチンの足元はまるで道路工事の砂撒きのようになっていた。
ひとしきり片づけたあと、ぼくは最寄り駅である西田辺駅へと向かった。道すがらの電話ボックスにはなぜだか長蛇の列ができている。携帯基地局の故障なのかなと思ったけど、それほど気にすることもなくぼくは地下鉄の入り口へと辿り着いた。
地下に入る階段を駅員が塞いでいる。
「動いてないんですか?」とぼくは尋ねた。
駅員は「そうです、現在運転を見合わせています」と答え、すぐに右を向いてぼくと同じように質問している人に忙しく対応していく。
とにかくここにいても仕方がない。なにがなんだかわからないままひとまず家に戻って職場に電話でもしようと思いテレビをつけた途端、身体中の毛が逆立つような感覚に陥ってしまった。
よく車で走った阪神高速道路が倒れており、街では建物が燃えている。そんな状況がブラウン管に映し出されていた。
慌ててぼくは実家に電話をかけた。だけど無情にもツーツーという音を発するばかりで、家族の声が受話器から流れることは一向になかった。
地震の直後にはつながらなかった両親や弟とも数時間で連絡が取れた。ひとまずぼくは安堵した。
一月一七日以降、日が経つごとに復旧作業が行われている。運送会社に勤めている父親は、地震直後、トラックに仮設トイレを載せて神戸に向かったらしい。このあたりのスピード感は尊敬に値する。
ヤンマーディーゼルサッカー部からのつながりもあり兵庫県民や神戸市民のセレッソ大阪サポーターも多くいた。
「何日経っても連絡がつかないんです」長田方面やポートアイランドに住む仲間が見つからないことをアミーゴから聞いて本当に胸が痛んだ。
サッカーどころでないのも重々わかっている。それでも、多くのスポーツ選手が発した「スポーツの力を見せるとき」という言葉は、貧弱なぼくを動かすのに充分だった。
安っぽい言葉だけどこういうときにこそ亡くなった多くの方の思いを背負って戦わなければならない。セレッソ大阪サポーターはいつでも、いつまでもセレッソファミリアなのだから。
もう三月に入っている。だからといって二ヶ月前の神戸淡路大震災の傷が癒えたわけではなかった。いや、癒えるはずがない。
それでもセレッソ大阪にとっての初めてのJリーグ開幕戦は予定どおりぼくの元へとやってきた。甚大な被害を受けた神戸市をホームとするヴィッセル神戸に比べたら大阪のサッカークラブはまだ傷が浅いのかもしれない。
未だに行方がわかっていないサポーターもいる。この数週間なんだか心にナイフが突き刺さってくるような気持ちで毎日の生活を送り続けた。神戸の街を横目にシルバーのワンボックスが通りすぎていく。昨年と同じように仲間と相乗りしてアウェイの地へと向かった。
サポーター界隈では通称”旅団”と呼ばれるこの移動手段。Jリーグにおける遠征のディファクトスタンダードだ。ひとりよりもふたり、ふたりよりもたくさんのアミーゴと連れ添うことで、サポーター同士の関係性をさらに強固にしていく。
吊り橋効果とまでは言わないまでも、お互いの命を助けあうという点ではまったく相違ない(まさにこれがサポートなのだと思う)。
サンフレッチェ広島との一戦がおこなわれる広島広域公園陸上競技場、広島ビッグアーチが視界に入ってきた。ぼくは小躍りしそうになる気持ちを抑えながら冷静に努める。いよいよJリーグでの戦いがはじまる。
車に乗り込む前はそうそう眠気すら来ないのではないかとヒヤヒヤしていた。しかしながらそればっかりは要らぬ心配だった。いつもと同じで、後部座席に座るとどうしても睡魔に襲われるぼく独特の体質はまったく変わってはいなかった。
年末年始に味わった圧倒的な戦力差をクラブも感じたのだろう。日本のトップリーグで戦うために、セレッソ大阪は他クラブに負けないくらいの多くの補強を敢行した。
その反動というか、JFLという厳しいリーグを戦い抜くために身体を張ってくれた選手の何人かが惜しまれつつクラブを去っていった(なにより佐々木博和の引退にぼくは驚きを隠しきれなかった)。
車の窓から見える暗闇に目を移すと同時に選手たちのプレーを思い出してしまう。プロの世界はじつに厳しい。なんとも言えないやるせない気持ちがぼくの肺を満タンにしていく。
一介のサポーターがプロ選手の行く末を心配するなんて行為が果たしていいのか悪いのかなんて判断がつくわけない。それでも、どこへ行ったとしても(たとえサッカーを辞めたとしても)、いつまでもセレッソ大阪を愛し続けてほしいのが切実な願いだ。
そしてもし可能であるならばいつの日かこのクラブに戻ってきて、また一緒に戦いたい気持ちでいっぱいになる。だけど、感謝してもしきれない思いを伝える術が、ぼくの手元にはもう残っていなかった。
広島ビッグアーチに到着してすぐ、ぼくらは横断幕を書くことになった。アミーゴが言うには「書く言葉はすでに考えている」らしい。なんとも用意周到だ。
スタジアムの入場口から少し離れた平らな場所を見つけて無地の生地を広げてみる。この布はいったいどこで買ったのだろう(だいたいのケースは心斎橋筋にある「とらや」で買うのが普通なのだけど)。ここではあえて聞かないようにした。
五メートルくらい横幅がある、ネイビーに近い色。地面に敷いてみるとさらに大きく見えた。寸法なんてものは測ることすらしない。適当なのは通常運転だ。何人かのアミーゴがスプレー缶を握って待ち構えている。
アミーゴはウォーミングアップをおこなったらすぐに、まるでウォールアートでも書きはじめるかのような勢いで、ためらいもなくピンクの霧を吹きかけていった。
少しずつ線を伸ばしていく。都度都度曲げていく、はねる止めるを繰り返す。そうやって横断幕は徐々にメッセージ性を高めていく。
業者に依頼したときの美しいフォルムも趣があるのだけど、即興で生まれる幕ってものにはなんだかそれなりの哀愁が漂う。人間臭さというか地球上で最強と呼ばれる生き物の儚さみたいなものを感じてしまう。手書きの横断幕というやつはいつのときにもぼくらに向けてなにかを発信している。
十数分かけてようやく『セレッソ大阪』という文字が出来あがった。じつにシンプルに描かれているじゃないか。まるで、あれだ。大阪のあちらこちらに存在していて、いつもスプレーの洗礼を黙って受け止め続ける無機質なシャッターのようだ。
人の背丈ふたり分以上の長さを持ち、濃紺色で無表情を装っている横断幕。まるで契のようだ。すべてのセレッソ大阪サポーターの宿命のような言葉を受け入れていっているようにぼくには思えた。
ぞろぞろと集まってきた旅団以外の傍観者も、この先に起こるであろう出来事に対して固唾を呑んでその場を見守っている。息つく間も無く一気に書きあがっていく横断幕をぼくは改めて見た。
何という適当さなのか(おやおや、適当、はぼくの代名詞ではないか)。
大丈夫なのかという気持ちが心の中に芽生えはじめていたけど、ついぞ口にはしなかった(だってコールリーダーが語る名言だって、横断幕となりスタジアムと一体化する金言だって、すべては適当なひらめきから生まれてくるものなのだ)。
ついに書きあがった。Jリーグで戦う我らの記念すべき第一作目の横断幕。もののあはれ、とはこういう瞬間に使うべき言葉なのかもしれない。『セレッソ大阪、今ここに…』
言葉足らずのような、はたまた、古文の謎かけにも似たこの一一文字がサッカーっぽく見えてくる。期せずしてオーディエンスからもどよめきが起こった。職場のトイレで悪い噂を流しているかのように、ヒソヒソと隣の人に向けて話しを振っているサポーターもいた。
そうかそうか。世界を驚かせるほどの衝撃がそこにあるのか。だけどそんなことは正直どうでもよかった。これからサポーター全員が生涯大事にしていくであろう横断幕。それが確かに今、お披露目されたのだ。
スプレーとペンキが乾くまでさらに時間を要す。「もうそろそろいいやろう」と輪の中の誰かが言い出した。
その声に合わせて、何人かのサポーターが四隅を掴んでこの大きな幕を持ち上げる。オーディエンスから、これまでとは少しだけ音階の違うどよめきが起こった。いや、これはどよめきでは無く、驚嘆と呼ぶほうが文法上は正しそうだ。
「どうした?何があった?」ぼくは聞いた。すると跡切れ跡切れに若手サポーターのひとりが答える。
「これ…を…見て…ください…」
まるで餌欲しさに口をパクパクさせている鯉のようだ。目線は完全に足元を向いている。その目線の先。広島ビッグアーチの広大なアスファルトに、鮮やかなピンク色の文字が存在しているようにも思える。
改めてぼくは目を凝らした。かすれてはいるものの、それを正しく判別するまでにそれほど時間はかからなかった。
『セレッソ大阪、今ここに…』
けっして見間違いではない。広島の空の下。明らかにそう描かれている。ぼくはその場で固まってしまった。
若手サポーターはまるで鯉のように口をパクパクさせているだけだった。そうか。広島は恋の街ならぬ鯉の街ではないか。契(ちぎり)。宿命。いつのときにも悲喜交交。
やっぱり、嬉しいことと悲しいことが、いつのときにも淀みなくぼくのところに訪れるものなのだ(ぼくらには試合前のひと仕事が待っていた。必死になって道路のスプレー跡の除去作業をしたのはいうまでもない)。
もう弁当の添え物のようになってしまった当の開幕戦は、山橋貴史のVゴールでいきなりのJリーグ初勝利を挙げた。喜ぶのもつかの間、いよいよ次節はホームゲームを迎える。
なんだか気分がすぐれない。スプレーの匂いに酔ってしまったかな。そう思いながら帰りの車窓から暗闇に目をやった。なんの拍子かわからなかったけれど、JFL開幕前に危惧していたサポーターの二項対立というフレーズがなぜだか頭に浮かんだ。
あの、跡切れ跡切れになってしまったピンク色の文字が、セレッソ大阪サポーターの未来を予見しているのだろうか。
車は今、あの神戸を通りすぎた。