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第六節 へその緒

 愛する我がクラブ、セレッソ大阪にとって大事な ― 最初で最後の一年であってほしいと切に願って止まない ― ジャパンフットボールリーグが間近に迫っている。
 とにかくぼくが考えていたのは初戦の重要さだった。なんといっても開幕戦に勝つと負けるのとでは、初詣で引いたおみくじが大吉か凶かよりも優先度が高い。どう考えても。
 もちろんスタートダッシュは大事だけど、人生と同じく最後の瞬間から逆算した結果としての今日が存在することもぼくは知っている。だから全試合がラストスパートだ。いや、今この瞬間の毎日が、なのかもしれない。
 カンカンカン。審判員が鐘を打ち続けている様子が目に浮かぶ。最後の周回が幾度も繰り返されるその先にゴールは待っている。

 あの神戸の夜以来、なんだか純粋に楽しめていない気持ちになっているのも事実だ。放っておいたらぼくの憔悴感が流れ落ちていって、いつの間にか足元のバケツを満タンにしてしまっている。なにもかも忘れたくなり、ただただ慌ただしさを見せるバケツリレーのような仕事にぼくは没頭していた。
「あの日からここまで、かなり長い距離を走ってきたよな」
「あほ、何を言ってんねん。まだJリーグにもあがってないんやで。これからやわ」
 アミーゴと会うたびこんな話になる。気を抜いた瞬間、それほど長くもない歴史をしみじみと考えてしまう日々。身体中の回路という回路が停止しているかのような毎日をぼくは繰り返していた。
 クソっ。あの鐘の音がまた耳元で鳴っている。この音のせいで溶け切ったコーヒーフロートの末路みたいにぼくの脳みそがかき混ぜられていく。そのうえ心臓の鼓動が腹部へと伝わっていくのがわかる。
 静脈から動脈へピンクのブラッド(御存知の通りこの頃にはすでに真の桃色と化していた)が加速と減速を繰り返して今にもへそからピュッと飛び出してしまいそうになっている。
「そういや、へその緒って血管通ってたんかな」
 また変なことを口ずさんでいる。どうも、春という季節は人の心を乱す。優しい気持ちになったかと思うとその瞬間に周りの目も気にせず心に秘めた狂気をもはらんでいく。
 いっそのこと、こうなったら、へその緒の入ったぼくの分身でもある小さな木箱にでも誓おうか。この我が身が、ただの血と肉に成り果てようとも戦い続けると。ぼくはそう決心した。
 もうすぐ第三回ジャパンフットボールリーグが開幕する。全勝優勝で昇格するという半ば夢物語のような妄想のストーリーテリングが日常に散らばっていた(確実にあとでしっぺ返しをくらうだろうことにもぼくはまったく気づけていなかった)。
 そろそろ決めなくてはと思っていた矢先。クラブとサポーターで話しあった末に長居第二陸上競技場での応援場所がメインスタンドと決まった。
 長居第二のゴール裏は全面芝生である。しかもピッチレベルと完全に同じ目線なのだ(それが良さなのに、という声もちらほらあるにはある)。それ故に「試合が見やすい」という点を最も考慮して最終的にはこの場所に落ち着いた。
 それだけではなかった。観客動員への不安。日を追うごとに重なっていく選手たちの緊張感。うすうすぼくは感づいていた。ここのところめっきりとメディアも騒がなくなっている。周りの反応を見ても熱が冷めたように閑散としていた(それこそペニャロールとのあのプレシーズンマッチの不甲斐なさも影響しているのだろう)。

 話を応援場所に戻そう。
 蹴ったらすぐに壊れそうな、柵とも呼べない低層の金網がゴール裏に張り巡らされている。
 いつなんどき荒れ狂う暴徒と化したサポーターがこの柵を乗り越えて選手に掴みかかってくるのか。クラブとしては恐怖が先に立ったのは言うまでもない(念の為の報告だけどロスタイムの劇的なゴールによるエクスタシーでは無く、クソだらしない試合後の大暴れだってことは誰にでも想像に難くない)。
 聖地長居のゴール裏をセレッソ大阪サポーターで埋め尽くす。それがベストだとぼくは考えていたし、なにものにも増してあるべき姿だとも思っている。だけど今のままでは観客で埋まるどころか春の芝生の新緑だけが映えてしまいそうだった。
 チームの戦力に対しては不思議なくらいポジティブなくせして、サポーター、応援についてどうも悲観的なことばかりが脳裏に浮かんでくる。
 だから応援場所が長居第二陸上競技場のメインスタジアムなのはいわば時期尚早だ。その時期尚早というキラーワードが余計にぼくの気持ちを必要以上にモヤモヤさせた。
 例えるなら、若い頃に快楽を求めて店に入り、勇んでお姉さんの布団に飛び込んだものの萎えていく姿を見られてしまって「あなたにはまだ早かったわね」と諭されたときのような気分。
 そうして最終的に感情を持っていく先が自慰という結末。その情景が重なってしまい、なおさらぼくの気分を害させた。
 ただ、それよりももっと深刻な問題がぼくに向かってにじり寄ってきていた。
 応援のための応援(どちらかというと「応援している自分、かっけー」となる類のほう)と、選手やチームのための応援というふたつの仮面が二項対立のごとくすっぽりとぼくらサポーターの顔を覆いはじめていた。
 生涯悩み続けることになるであろう恐怖にぼくは身じろいでしまった。四月の暖かな日差しを受けているにもかかわらず、なぜだかぼくは吐き気をもよおした。

 この程度で体調を崩すようなぼくなんかと違って、ニュータイプと呼ばれるコールリーダーが世の中には多く存在する。
 同じように悩みは尽きないのだろうけど、彼らには天性のカリスマ性と直感力が備わっている(この能力は度重なるサポーター同士の骨肉の争いの中で発達を遂げたのだろう。しかしこれはまだまだ研究段階と言わざるを得ない)。
 ジャパンフットボールリーグという名の一年戦争でぼくは生き残っていけるのか。
 貧弱で脆弱なぼくの能力はこのクラブの役に立っていけるのだろうか。人を導く者としての最も大事な要素、リーダーシップが鍵を握っている。だけど、ホワイトベース船長の数パーセントですらぼくは持ち合わせてはいなかった。
 そう。いつだってコールリーダーのひらめきから応援ははじまっていく。適当にやっているように見えても、いとも簡単にやってのけているように見えてもだ。
 本物のコールリーダーってのは、どでかいコンピューターに匹敵するくらいの大量の計算式を頭のなかでグルグルと回している。ゴール裏にいる人だって、そんなニュータイプなコールリーダーの一面に気づいている人は限りなく少数だろう。
 カス同然のぼくには当然ながらそんな能力が備わっていない。どノーマルなオールドタイプ(一応地球人という扱いでもいいかとは思う)ができることといえば、コロニーで逃げ惑うかボールにでも乗って死ぬ気で戦うかの取捨選択しかない。
 そんな馬鹿なことばかりを考えていたぼくには、感は感でも危機感しか無かった。だけどうまくいくとかいかないとかなどやってみなければわからない。
 地上だろうが宇宙(そら)だろうが、戦わないといけないのは紛れもない現実だ。「やれるとはいえない、けど、やるしかないんだ」ぼくはようやく腹を括ることができた。

 現実に戻ってきた。メインスタンドで応援する意味を改めて考えてみる。
 それほど応援の場所に固執していたわけでもなかった。なにより全員の話し合いで決めたのだからその結論に異論などない。
 ただ何となく、いつの日かこの結論が二項対立という卵を生み出すのだろうなとぼくは思った(現にJリーグ初年度で多くのクラブが同様の出来事を引き起こしていたのもよく知っている)。
 とにかく淡い恋と同じで、ゴール裏という場所への愛着が消えることはなかった。「まあその時期が来れば諸手を挙げて堂々とゴール裏へと凱旋すればいいやん」と比較的そんな軽い気持ちで受け止めていた。
 だけどなんだかそれって「彼女とつきあう前から別れ話の言葉を考えている」ようで、浅はかな自分への嫌悪感を抱かずにはいられないのだ。
 とはいえ人間はじつに不可思議な生き物でもある。そんな応援場所のことなど開幕一週間前には頭の片隅から綺麗に消え去っていた。
「開幕戦で選手とともに戦う。そのためにできることは一体なんなのか」。唯一、今、考えなければならないことを多くのアミーゴに伝えていくだけだった。
 そういう意味では、話を聞いてくれる相手がいるのは本当にありがたい。帰る場所なんて準備していないつもりだけど、アムロ・レイ同様にぼくには多くの仲間(アミーゴ)がいるのだ。
 この時期、アミーゴとともにリアルな日常だけを意識するよう、頭を切り替えていた。開幕戦の当日がすぐそこに迫ったある日のミーティングで、ぼくは自分自身の迷いなき思いを粛々と話した。
「他のクラブのサポーターと比べても、ぼくらセレッソ大阪サポーターはまだまだ幼な子やからな。ここからみんなで作っていこう」
「ほんまや、両手両足を付いてよちよち歩きをはじめたばかりやで」アミーゴが相の手を入れる。
「いや、もしかするとこの表現は間違っているのかもしれんな。公式戦すら戦ったことがないんやから。もしかしたらついさっきおかんの腹から出てきて、みんなまだベッドの上で並んでる状態かもよ」
 ぼくはお腹の中心、下丹田の少し上にあるちょこっと飛び出たブツを見せながら言った。
「見てみ。へその緒もちゃんとついてるで」
 全員が爆笑した。この空気感のほうがぼくには合っていた。

 見えるものに触れて吸収していく赤ちゃんの姿と重ね合わせていく(それを口の中に入れるなんてとんでもない行動を平気で取ってしまう子供の狼ぶりは称賛に値するわけだけど)。口が裂けても成長期だなんて呼べない。ジャン・ピアジェの発達段階で言えば感覚運動期なのだ。
 人間のチルドレンと同様にこの狼の子がこの一年間でどう成長を遂げるのだろうか。ワンコは一年で相当立派になるというからもしかしたら成長速度はさらに早いはずだ。このぼくの気持ちを聞きつけたのか、外で正真正銘のワンコが吠えはじめた。
「どんな生き物であっても大人になることで失う物がじつに多いはず。成犬(若狼はあっても、成狼という名称はないと思うけど)になればなるほど、物心も知恵もついてしまうんだから」そういうぼくも立派な成獣になっていた。
 いよいよセレッソ大阪サポーターにとっての歴史的な第一幕があがる。改めてぼくは、今ここに生きていることを実感した。
 とにかくやってみなければなにもはじまらない。絶滅の危機にある哺乳綱食肉目イヌ科イヌ属の子供は、へその緒を噛み切って、そして独り立ちして前へ進んでいく。未来なんて誰にもわからない。だから、面白い。

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