第四節 狼
どんな世界にも名もなき歌ってものが少なからずある。
満員のスタジアムで歌声になることすら叶わず、会議室やスタジアム外というブラックボックスで却下され、そしてひっそりと消え去っていく応援歌だ。
そんな歌たちを見るたびにいつも平家物語の一節を思い出してしまう。
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」
風を前にただただ漂う塵のような存在。心から憐むほかなかった。忘却の縁に置いていかれるかのような運命。
目の前に死という現実を突きつけられている応援歌の生命について考えたりするたびに、普段それほどモノに執着することのないぼくでさえチクリと胸が痛くなる。
愛するクラブを歌で応援する。支えるべき選手たちを声で後押しするというサポーターの思いが、そのまんま応援歌として一〇〇%マッチする可能性は限り無く低い。
もしかするとぼくが作る応援歌がこの世の中で受け入れられること自体、年末ジャンボ宝くじに当選するよりも確率が低いのではないかとさえ思ってしまう。
逆に、居酒屋でおこなわれる宴会の場で悪ノリの末に誕生した ― 本当にどうでも良さそうな ― 応援歌が、末代にまで語り継がれて伝説になることだってある。
そう考えてみると、応援歌の良し悪しなんてものは限りなく博打に近いとも言える(いつの日か、この居酒屋宴会発祥の応援歌が日本中をあっと言わせることになるのだけどここでは割愛しておこうと思う)。
だから人間も応援歌もこう言えるのだ。「母の体内に宿ったこと。そして生まれてきたこと。それこそがすべて奇跡と呼んでしまっても構わない」のであると。自分の腹を痛めて生み出した愛すべき我が子なのだ。
血を受け継ぎながらこの世に辿り着いた生命の息吹に、無償の愛を注ぐのは至極当たり前のことではないだろうか。なにかの箱に入れて葬り去るなんていう野蛮な行為を、ぼくにはできるはずなどなかった(「サッカーボールを持って生まれてきたような子なのよねー」というフレーズの出てくるサッカー漫画の中で、道路に飛び出した主人公を両親は目を離してしまったわけなのだけど)。
そんな中、ジャパンフットボールリーグ開幕に向けてぼくらは着々と準備を進めていた。
はたしてJFLは、初年度のJリーグが見せたようなあの熱気に包まれる楽園のような場所になるのか。それとも強敵が山のように集まっていて、まるで檻に入れられた獣の群れによるヘル・イン・ア・セルが展開されるのだろうか。
目線の先にそびえ立つ高さ五メートルをゆうに超えた鈍く光る金属のボックス。タイトルマッチ、いや、デスマッチと呼んでもいい。そんなリングへと向かうスーパースターの心境。
ほんのわずかだけど湯を沸かすほどの熱い思いが徐々にぼくの中でも芽生えはじめている。勇ましくも心静かにリングインするかのような足取りでぼくは着実に歩を進めていた。
心配なのは客の入りだった。吹田市とはいえども大阪府にはすでにJリーグクラブが存在する。初年度の成績はともかく関西地域における一定のステータスも手に入れているわけだし(現に日本最高峰のサッカーを見るとしたら万博までいくしかなかった)。
この差がJリーグクラブとしての品と格なのだろうか。サッカーはともかくクラブとしての地位という点では、どこからどう見ても微妙に見下されている感が、巷では溢れているように感じた。
そんな冷たい逆風の中で大阪第二のプロサッカークラブとして誕生したセレッソ大阪なのだから、お腹にあるのは新参者としての未知数への期待よりも、一抹どころではない不安だけが詰まっている、穴が空きかけの四次元ポケットだけだった。
もし、この一年でJリーグに昇格できなかったら、きっとぼくは笑いものになるのだろうな。
その時には恥ずかしくてスタンドにはいられないんじゃないだろうか。それくらいの大きな覚悟を持って事を推し進めるべきなのだろうか。浮かんでくるのはなにかが起こるかもしれない未来のことばかりだった。
サポーター風情がそこまで重く考えなくてもいいのではと言われそうなのだけど、客観的に見ても、クラブも選手も全てのサポーターもしっかりとこの未来と現実のギャップを自分事として捉えていくことが重要だった。すべてはカルマ、宿命なのだ。陰と陽。光と影。棒の端を持ちあげれば反対側も持ちあがるのだ。
受け止める覚悟が徐々にこの身体に宿っていくようにも感じた。なにかが生まれる瞬間、人はとてつもないパワーを発揮する。大仙古墳群や難波宮、大阪城といった大阪にある史跡たちが見せる規格外のスケールがその典型だ。
太古の昔から多くの先人によって育まれてきた街、大阪。そしてこの地に住む大阪人の心意気がそうさせているのだ。心の底から畏敬の念を抱くしかなかった。
そんなチャレンジの最中に”狼”と呼ばれる応援歌が生まれた(これも誇りと同じくの持ち込み企画だ)。テレビアニメ「狼少年ケン」のテーマに合わせた出色の応援歌だった。
動物の鳴き声(鳴き真似とも言える)という画期的な応援歌。ましてやそれが狼の雄叫びなのだから、ぼくのドキドキが止まらなくなったのもさぞわかってくださることだろう。
応援探検家となって世界中の隅から隅まで飛び回って探してみても多分こんな奇抜な応援歌は地球上のどこにも存在していないのではないか。口ずさみながらこの絶滅危惧種に数えられるイヌ属の生き物に思いを馳せた。
「この応援は、狼になりきる、というそんな単純なものではないで。今まさに、自分自身は狼や、狼そのものなんや、という強固な信念で歌うのが重要やで」
最初から勘違いをされると非常に困るので、ぼくはこの部分をより強調して話した。正しく理解されたかどうかはいまひとつ不安だった。狼も応援も気の持ち方だけでは絶滅を食い止められないのだ。だからともに野生の中で大事に育てていく必要があった。
まあ、本放送自体が生前のテレビアニメなのだ。だから、そういうぼく自身もそれほど馴染みがあるわけでもなかったのも実情だった(懐メロ大会なんて日常茶飯事。それこそ毎日のようにぼくの目の前には歌留多が並べられていったわけだ。言葉にできない応援だっていったいどれだけあったと思うのだ!)。
それでも”狼”に対するぼくの思いが徐々にサポーターへと浸透していった。
「ウォーゥ ウォーゥ ウォウォーゥ」
このアニメ主題歌の出だしには類まれなる強烈なインパクト(という名の押しの強さ)がある。魂のソウルとも言える文句のつけようがまったくないビートが充分すぎるくらいぼくの肉体に伝わってきた。
全身のすべての筋肉をフル活用して、腹の底から絞り出す狼の叫びだ。この応援歌が試合を熱狂の渦に巻き込んでいくという妄想が十分すぎるくらい湧きあがっていた。
全員で歌合わせをするたびにぼくのこの応援歌に対する気持ちはさらに増幅していった。とてつもなく狂気に満ちた狼の群れが発する歌声が、スタジアムの至るところで響き渡るのだ。その瞬間を思ってぼくは身震いした。
単に感動したからではない。それ以上にぼくがこの感覚や感情を正しく多くのサポーターへと伝えていかなければならないのだ。正直ハートブレイクの破壊力のほうが声援よりも巨大化しそうだった。しっかりしろ、ぼく。
人間という生き物が内に秘めた狂気をさらけ出すのは容易ではない。だけどそうしなければこの”狼”という応援歌の効果を最大限に発揮することはできないのだろうなという思いが日増しに大きくなっていた。
この”狼”は攻撃のシーンで多く利用されていくだろう。ぼくはそう確信した。「カウンターアタックで繰り出される応援のほうが合ってるかもよ」とか「強弱をつけても面白いかもな」といったたくさんのアドバイスを仲間からも貰った。やはり持つべきものはアミーゴだ。
逆に、攻め急ぐシーンでもないのにわざわざ繰り出したりしてしまうと選手ひとりひとりのプレーの正確性をかき乱すことになる。大事なのは対話。応援とは選手との対話であり、試合との対話であり、自分との対話なのだ。
まあ結論づけるのはもう少し先でもいいのではとも思ったけど一定の方向性だけは用意しなければと感じていたのも間違いなかった。だからこそ出しどころには充分に注意しなければならない。ぼくは心に誓った。
それにしても考えれば考えるほど深みにハマる。どこにいても応援のことばかりを考えてしまっている。まるで円を描きながらクルクルと回り落ちていく。まるでダンテの地獄絵の図だ(そうすると今ぼくは何層くらいにいるのだろうか)。
遊んでいても心から楽しめないくらいにぼくの気持ちはマイナス思考へと傾いていた。応援をリードするという漠然としたイメージを描けない日々が続く。武者震いなんて似ても似つかないけど、恐怖への怯えに近い心情を隠しきれなくなっている自分がいた。
「酒や酒や、酒持ってこーい」と言えたならどんなに気が楽になるだろうか。先日のミーティングでも緊張してキョロキョロと周りを見渡してしまっていたし。
多分いつの日か、あの子供のときのようにおかしな奴のレッテルを貼られるのだろう。その日までは耐えしのぐ決意をした。
そうしているうちに目の前に一匹の狼が現れた。いつもの妄想なのかと思った瞬間にぼくは現実と理解する。
それは我が家のワンコだった。確かに茶色いフサフサの毛が狼にも見えなくない。まあいいだろう。妄想ついでに乗っかってやる。ぼくはワンコとふたりでシュミレーションしながら空想の世界へと飛び込んでいった。目を瞑ってふたりで”狼”を歌う。
「ウォーゥ ウォーゥ ウォウォーゥ」
瞼の裏にはすでに多くの狼たちが集まっていて綺麗な群れを成していた。もしかしてあれはボスだろうか。一番大きくて凛々しい狼がまるで手招きするかのように小刻みに顔を上下に動かしている。
恐る恐るぼくは近づいていく。誘われるままにボス狼の背中に乗る。思ったよりも肉感に柔らかさはなかった。もはや全身筋肉の塊なのだろう。
瞬間、ぼくのことなど気にせずにボス狼は駆け出す。このスピード感。集散する力。にわかにわかったような気がした。狼になるのではない。この時点ですでにもう身も心も狼なのだ。
パッとおもむろに目を開いた。現実に帰ってきたらしい。ぼくの目の前ではブラウンの髪色をしたワンコがすでに眠りこけていた。
自分の口元になんだか違和感があった。ぼくは恐る恐る手を突っ込んで確認した。なんだか口の中で犬歯が伸びているような気さえした。ようやくぼくは狼になったのだ。試合がとても待ち遠しかった。